今年のクリスマスプレゼントは「婚約解消」でした。
新規のざまぁ系悪役令嬢もの長編の執筆作業を開始する前に、読みきりの優しいショートショートを書いてみたくなりました。
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「これまでありがとう、今日から君は自由だ」
目の前の男性は、優しい笑顔でそう言った。栗色の髪とヘーゼルの瞳を持つ、端正な面立ちをした少年。
今日はクリスマス、世界中が祝福で満たされる日。王族に貴族に平民、富める者と貧する者を問わず愛を分かち合う日。そんな特別な日に、私たちは1つの区切りをつけることになった。
私たちはお互いに貴族の子、歳も同じ16で、そして8歳の頃から婚約していた。互いに侯爵の家柄で、両家の繋がりを強固にするための、典型的な政略結婚の流れだった。そして多くの政略結婚がそうであるように、そこに恋慕の類いを見出だすことはできなかった(それは私たちの出会いが早すぎたのもあると思う)。しかし代わりとして、そこには友情があった。いや、むしろ兄妹のような関係に近かったかもしれない。彼は幼少からしっかりとした性格で、どちらかと言えばボーッとしている性格の私をいつも引っ張ってくれた。多くの少年少女がそうであるように、一時は私の方が背丈を上回ったけれど、その関係性は変わることはなかった。いまでは20cm以上も彼の方が大きい。
そんな私たちは12歳の時にある約束をした。それを持ちかけたのは彼からだった。
『いつか正式に婚姻になる前に、お互いに本当に好きな人ができたなら、その時はちゃんとその人と結ばれよう』
私としても、その提案を断る理由がなかった。本当に愛することができる人が現れたならその方がいいのだろうし、なにもなくこのまま彼と婚姻になるのも嫌というわけではなかった。私としては穏やかに日々を過ごせるならそれでいいと思っていた。
今年の春頃、私は彼に好きな人がいることに気が付いた。
近隣の伯爵家の令嬢で、私たちの1つ年下。神秘的な黒の髪と瞳が印象的。そんな彼女を家同士の付き合いで見かける度に、彼は温かい視線を彼女に向けていた。
「やっと好きな人ができたんだね」私はついに彼に言った。
彼は驚きの表情を浮かべてから言う。「……分かるかい?」
「いくら私でも分かるよ。アリアナさんでしょ?」私は言った。「数ヶ月前からずっと彼女のことを見てたよね」
「うん」彼は頷く。
「ねぇ、何ですぐに言ってくれなかったの? 約束だったじゃない」
「僕だけ先抜けするのは気が引けるんだ。君はまだ恋を知らないようだし」
「――その通りだよ。でも、だからこそ、私はルキウスに道を差し示して欲しいって思う。アリアナさんを通して、恋をするってどういうことなのか、私に教えてよ。いつも、私を引っ張ってくれたように」
それからは慌ただしい日々だった。彼女の気持ちを確かめて、彼女も彼に好意を抱いていることを把握すると、自分たちの家と彼女の家も巻き込んで婚約関係の変更を訴えでた。勿論、最初は難色を示された。貴族の婚約とは2つの家だけではなく、実にいろんな人・集団が絡んで成立している。それをいまさら塗り替えるとなると調整は困難を極める。大人たちは諦めるように私たちを説得した。それでも私たちは退かなかった。私たちの婚約に関わっている人たち全てに自身の足で出向いて事情を説明し、この3家を跨いだ婚約関係の変更が必ずこれまでのものよりも利益になることを説いていくと訴えた。それを2週間近く続けて、ようやく大人たちは折れた。
それからこれまで、私たちは有言実行してきた。そしてすべてが解決し、私たちの円満な婚約解消はこのクリスマスの日になった。
「恋をするってことが、どんなものか分かったかい?」彼は私に問いかけた。
私は肩をすくめながら答える。「どうだろうね、正直なところまだよく分からないの」
「でも、大丈夫。君にもすぐ分かるよ。僕が保証する」
「やけに自信満々ね、他人のことなのに」
「……確かに。君との婚約関係は解消してしまったけど、それでも僕たちの関係はずっと続くよ。他人以上にね」
「――その通りね。それがみんなとの約束だもんね」
「うん」彼は頷いた。「じゃあ、僕はそろそろアリアナのところへ行くよ。またね」
「うん、またね」私は応えた。
私はアリアナとクリスマスを祝いにいく彼の背中を見送った。しばらくして、私はクリスマス礼拝に参加するために教会へ向かうことにした。教会までの道は一面雪で覆われていた。その白い絨毯に足跡をつけながら、子供たちは走り回っている。サンタからもらったプレゼントを抱えて。大人たちはそれを微笑みながら見ている。そして大人も子供も口々にする、メリークリスマスと。
私もすれ違う人たちに、メリークリスマスと挨拶をしていく。そして祝福を共有し合いながら、私は教会に到着した。教会の前には貧窮院の職員たちが募金の嘆願していて、私は手持ちの金貨3枚を渡した。メリークリスマス。教会の敷地に入ると、教会の中から讃美歌が聴こえてくる。私は教会に入る前に、近くのベンチに座った。座部に積もった雪を払いのけて座ると、まるで氷の上に腰を下ろしたようだ。しかしいまの私には、その目の覚めるような感覚が必要だった。
ふと、頬を温かい涙が伝った。私はそれを止めることができなかった。いろいろな感情が混ざり合った、いろいろな味がしそうな涙だった。
やっぱり彼のことを異性として愛していた、という訳ではないと思う。きっと、寂しいのだ。彼との8年という年月に終止符が打たれて、彼の言った自由の軽さに私は順応できていないのだ。私を引っ張ってくれた彼の手の温もりが、正式に誰かのものになってしまったことがただ悲しいのだ。私が焚き付けたことなのに、予想のできたことなのに、なんでいまさら泣いてしまうんだろう。
でもこれこそが、私が望んだクリスマスプレゼントなんだ。
「マライア様」
俯いていると、聞き覚えのある男の子の声が私を呼んだ。私は仰向く。
「……ブライアンくん」私は言った。
その男の子、ブライアンはアリアナの弟だ。歳13歳、彼女と同じ黒の髪と瞳を持っている。背はまだ低く、幼さが残っている。婚約関係の変更のためにアリアナ家に度々赴いていたなか知り合って、ちょっとした会話をするほどになっていた。
ブライアンはグレーのかっちりとした紳士服を着ていて(しかしサイズは些か大きいようだ)、うっすらとピンクがのった白い薔薇の花束を抱えている。
「マライア様、大事な話がございます!」
ブライアンは背伸びをしながら緊張した声で言った。
私は、涙を拭いて立ち上がった。