第17回 わたしの可愛い青い闇
【あらすじ】
――わたしには青い闇が憑いている。
美しい容姿を隠して生きてきた見目麗は、小学四年生のときに友人を性犯罪から救う。その際に、自らの秘密を友人に知られてしまい、以来好意を寄せられるようになってしまう。殺意と恋と嫉妬にまみれた闇の物語。
あーあ。
今日は親友のみちかちゃんと公園になわとびの練習に来ていたのに。
さっきまで楽しく遊んでたのに。
どうしてどうして。
どーーーしてこういう“クソオヤジ”が世の中にいるのかな?
「あ……あっ……麗ちゃん……」
さっきまで連続綾二重を華麗にキメていたみちかちゃんは、公園の女子トイレの、一番奥の個室の中で、キモイオジサンに上半身裸にさせられていた。
ちょっとトイレに行ってくるねーと言ってから十五分。
あんまり遅いから、心配になって来てみれば。
季節は冬。
いくらなわとびで汗をかいたからって、人前でこれだけ服を脱ぐってありえない。
みちかちゃんが、不審者に襲われているのは一目瞭然だった。
わたしは小学四年生になった現在でも、なわとびの前跳びを三十回までしか連続でできない。
片足飛びも駆け足跳びも後ろ跳びも、五回とできない。それくらい下手。
だけどみちかちゃんは連続綾二重を、なんと十回も、いとも軽く跳んでみせるのだ。
そんなみちかちゃんを辱めて半泣きにさせているなんて。
「なんってクズ。いますぐ死んで」
「は? なんだお前?」
鍵をちゃんとかけたはずなのになんで勝手に開いてんだ、って顔。
そんなの、外からも開けられるに決まっているでしょう。このクソバカハゲオヤジ。
わたしは十円硬貨をよく見えるようにオジサンの目の前でつまんでみせた。
こういった公共施設のドアの鍵は、緊急時に中の人を助けられるように外側からも開けやすいようになっている。外側にはちょうど硬貨がはまるくらいの溝があって、そこをくるっと回すと開けることができるのだ。
今日は運動するから喉が渇くかも……と、家から飲み物用のお金を持ってきていて正解だった。
「麗ちゃん、逃げ、て……」
オジサンの手から逃れようともがいているみちかちゃんが、必死でわたしに警告する。
逃げるなんて、しないよ。こんなの放って逃げれるわけないじゃない。
「オジサンさ、なにしてるの、早くみちかちゃんを放して」
そう言うと、オジサンはわたしをあからさまに見下して笑った。
「はっ。お前みたいなブスに用はねえよ。ひどいことされたくなかったら早く失せな。あと、誰かに助けを求めるような真似もすんな。言ったらこいつもお前も殺す」
低い声で威圧。ま、そうくるよね。
わたしはちらりとここから見える範囲の公園を見渡した。
遊んでるときも思ってたけど、今日は曇天でかなり寒い。わたしたち以外に公園に来ている子供たちはいない。
いつもなら犬の散歩をする大人たちも通りがかるのだけど……そういった人たちもいなかった。
「いますぐ助けを呼ぶのは難しい、か……」
キッズスマホも持っているけれど、今それを取り出したところで相手に奪われるのがオチだった。
さて、どうするか。
オジサンはわたしをたいした脅威とみなさなかったのか、またすぐにみちかちゃんに向き直る。
その節くれだった毛むくじゃらの左手が、みちかちゃんの細い首をつかむ。みちかちゃんの口から苦しそうな声がもれる。空いた右手がまたみちかちゃんの上半身に伸びる。
「ああー、もうやるしかないか!」
わざと大声を出して、この場の空気を乱す。
脅威とみなされなかった、じゃないんだよ。
そうなれないと、みちかちゃんを助けられないじゃないか。しっかりしろ、わたし。
ブスに用はない。ああそうですか。
でもわたしはね、わざと“そう見えるように”してるだけなんだよ。
本当のわたしは見目麗という名にふさわしい、最高に美しい見た目をしているんだから。
それを今、解放する。
わたしはわたしの可愛い“闇”に、心の中で呼びかける。
さあ、わたしの本当の姿を見せなさい、と。
「あん? だからさっきからなんなんだよ、いい加減うるさ――」
オジサンが心底煩わしそうにわたしの方を向く。
その目が、わたしを捕らえた。
「なっ……」
そう。
その目。
今のわたしはきっと、みちかちゃんより美少女に見えているはず。
無関心だったオジサンの目が一気に輝き出し、わたしはそっとほくそ笑む。
「う、麗ちゃん……?」
想定外だったのは、みちかちゃんもこのわたしの本当の姿を見てしまったこと。
ふたりとも、なにかとてつもなく尊いものを前にしているみたいにわたしを見ていた。
わたしの闇。
わたしの可愛い青い闇。
見目家の人間には生まれつき、そういう守護霊のようなものが憑いている。
お母さんは両足首に、お兄ちゃんは左腕に、わたしは肩から背中にかけて。それぞれ色の違う闇が憑いている。
お父さんだけは“イリムコ”だとかで、ひとりだけ憑いていないのだけど、みんなその闇の恩恵を受けていた。
お母さんが言うには、「闇が憑いていると不必要に他人から注目されない」のだとか。
見目家の人間は、大昔から容姿がとても整っており、昔からよく悪目立ちをして、ねたまれたり恨まれたりしていたのだそうだ。
そういう人々の負の視線をかいくぐるために、見目家のご先祖様たちは自らの存在感を消せる“闇”を作り出すことに成功したらしい。
まあ、そのせいでわたしはずっとうまくなわとびができなかったのだけど。
(いつも背中の闇に引っかかって、なわの勢いが弱まってしまっていた)
この闇は自分以外には見えない。
家族同士でも、見ることはない。
ほとんどの人はこの“闇”を見ることはないが、それでもここぞという時には、自分にかけられたありがたいこの闇の力を解放して、見せつけなければならない。
それが、まさに今この時だった。
闇は常にわたしの存在感を消してくれる。
人より見た目が良いという事実を隠してくれる。
でも今だけは、その力をなくす。
「なんで……なんで急に、顔が……」
オジサンはずっとわたしの顔を見て驚いている。
それはそうだよね。急にブスから美少女に“化けた”んだから。
みちかちゃんから手を放し、オジサンはゆっくりとわたしの方へその汚らしい手を伸ばしてくる。
「ねえ、オジサン。わたしのこと好み? ちょっとは好きになってくれた?」
「あ、ああ……。好みだ。さっきはブスなんて言って悪かった。さあ、早くこっちに……」
「あっそう」
ニヤニヤしたまま近づいてくるオジサンに、わたしはにべもなく右手を突き出す。
オジサンはわたしのとっさの行動にきょとんとした。
その間に、てのひらをオジサンの目元に当て、念じる。背中の闇がこれから起こることに期待して歓喜する。
「ありがと。じゃあ、この目もらうね?」
「えっ」
一瞬の間に背中の闇が動いて、わたしの右手の下へ潜り込んでいった。
そしてまた、さっと背中に戻る。
「はっ? えっ? なんだ?」
オジサンは目を見開いたまま、わたしの姿を見失っていた。
というかもうどこも見ていない。
オジサンの目の光を、わたしの闇が奪ったのだ。
「う、麗ちゃん……?」
「行こう! みちかちゃん」
わたしは床に落ちていたみちかちゃんの服を拾うと、みちかちゃんの手を取って一緒に女子トイレを出た。
外には相変わらず誰もいない。
夕方のチャイムが鳴りはじめた。
公衆トイレから離れて、みちかちゃんに服を着せていると、あのオジサンがふらふらと建物から出てきた。
「あああああ! なんでっ、なんで目が!」
ふらふらと何かに追い立てられるように、オジサンは公園内を走りはじめる。
わたしたちがいる方向とは別の方向に。
そっちは川だ。
オジサンはフェンスのところまでたどりつくと、それを楽々と乗り越えて向こう側に落ちてしまった。
「え、えっ……」
みちかちゃんが動揺している。
その方角からは、一度だけ大きな水音がした。それからはなんの物音もない。
わたしはキッズスマホで警察に電話をした。
その後、川の下流からオジサンの遺体が発見された。
■
見目麗には青い闇が憑いている。
■
麗ちゃん、麗ちゃん。
一年生のときからずっと同じクラスで、一番仲の良いお友達だった麗ちゃん。
なわとびがちょっと苦手で、でもとっても友達思いだった麗ちゃん。
クラスの中では一番目立たなくて、わたしも最初はうっかりいることを忘れてしまうほどだった麗ちゃん。
その麗ちゃんが。
わたしの目の前で、急に顔が変わった。
青黒い、闇のようなものが麗ちゃんの背後に広がって。
気が付くと、まるでテレビに出てくる子役みたいにキラキラした目で、綺麗な髪の毛で、スタイルも良くて、ふわっとお花が周りに咲いているみたいな、そんな素敵な女の子になっていた。
いままでの麗ちゃんは、どこに行ってしまったのだろう。
あの公園の女子トイレから出た後も、ふたりで警察の人に保護された時も、しばらく学校を休んでいる間に家にお見舞いに来てくれた時も、久しぶりに学校に行って教室で会った時も、ずーーーっと麗ちゃんはあの“変わった後の麗ちゃん”になっていた。
前の麗ちゃんって、どんな顔だったっけ。
思い出せない……。
でも新しい顔になった麗ちゃんを、わたしはもっと好きになっていた。
前よりも。
ううん、前とは違う“好き”。
こんな気持ち、おかしい。
おかしいのに。
今日も麗ちゃんは新しい顔でわたしに笑いかける。
「おはよう、みちかちゃん!」
その背後には、あの日見た“青い闇”が今もモヤモヤと広がっている。
【メモ】
・第二会場
・9pt、総合順位66位