13 私、追手をかけられたみたいですわ
王都まであと3つ程街を経由すれば着くという所で、私は今日の宿屋を決めかねていた。
やはり王都に近くなればなるほど、街の規模も大きくなる。私は目立ちたくはないが、あまり安いところに泊まる気もなかった。
最初に山賊に襲われたから分かっている。私の身に付けているもの、持っているお金、そして私自身が商品になる可能性がある、と。
貴族として暮らしていただけなら知らなかった価値観。この旅の中で、私は少しずつ、怖い、という感覚を覚えていた。
最初の宿屋はよかった。いくつめかの宿屋で、代金は銅貨20枚と聞いて銀貨を出し、そこにどの位の差があるかはわからなかったけれど……ご飯をお願いしたら晩と朝に重湯というにも粗末な粥が出てきただけだった。
次の宿からはまた普通にご飯を出してくれた。
私が細かい貨幣価値を分かっていないのがいけないのだけど、世の中には相場というものがあって、その相場をしらなければ足元を見られることがある。
安易に他人のものを奪おうとする人がいる。
私の中には……私の、平和で幸せな日常の中には無かったもの。私はこの一人旅で本当に得る物が多い。
お金に困ってそうしてるのか、困ってなくても少しでも得をしたいのか、盗みたいのか、儲けたいのか。たくさんの考えがあり、私はその人たちをひとくくりに民として見ていて、皆が善人だと信じ切っていた。
私は物を知らないと思い知らされることばかりだ。時には貴族も、市井に交わり民というものをしらなければいけない。
何をしたら喜び、何をされたら嫌がり、怒り、なめられるのか。民の思う正と不正の差を、貴族も知らなければならない。
国とは民があってこそ成り立つもの。ノブレスオブリージュは、民のことを知ってこそ成り立つのだと理解できた。
欲しくもない物を与えられても民は困るんだ。治水のためにどうしても人手を出してもらわなければいけない時、本当に欲しいのはお金じゃなくて食べ物かもしれない。
娘の婚礼衣装を買いたい時、割のいい仕事がしたい。そのためには知識が必要であったり、ツテが必要であったりする。
(シュヴァルツ殿下は、もしかしてこんなことも知らない私だから嫌だったのかしら……)
だとしたら、私を街に連れて行って欲しかった。正面から諭して欲しかった。
私を冗談でも崖から落とす真似をしてはいけない。そしたら私は死んでしまって、知識や見聞は広がらない。
きっとシュヴァルツ殿下は、どうしてかはわからないけれど、民のことは知っていても、人がいかにしたら死ぬかは知らないんだ。
そして、人に教えるということも、きっと知らない。分かち合うことを知らない。
人は教えられたら学ぶものだ。学ぶ気があれば、気付くことも多い。
私はとても……民のことを知らなかった。民は私と同じ人間。欲深い貴族も、節制する貴族も知っている。民も同じ。
程度の差はあれど、貴族は民によって生かされ、それを還元する義務はあれど、根本は一緒。
気付かせてくれてありがとう、シュヴァルツ殿下。
そして、私は警戒することを覚えた。
私の後をつけてくる男たちがいる。聞いて回っている男たちが。身形や体格、姿勢からして正規の兵士ではない。
どこで誰に目を付けられたかは知らないけれど、私、追手をかけられているみたい。