2 傭兵団
帝国に全てを奪われた私は、帝国から全てを奪い返す。それがすでに永遠に失われたものであろうとも。
「ここに居られたか、団長殿」
早朝、岬の大灯台から眼下を見下ろしていると、背後から声が掛かった。
振り返ると、時代がかった大鎧を身にまとう初老の騎士が立っていた。
「これは、国王陛下」
傭兵団“赤銅の剣”団長セリアは、素早く跪いた。
この地、シーガイア王国の王である。
いや、“元”王と言うべきなのか。数日前に帝国軍に王都を落とされ、シーガイアは事実上すでに滅亡していた。
―――帝国。
ローラシア大陸西部の過半を領有するこの国は、国号を持たない。
あえて言えば、皇帝を自称する王家アルテーゲルからとって、アルテーゲル王国と言うことになるのだろうか。いつの頃からか大陸唯一の国家を標榜し、ただ帝国とのみ名乗るようになった。
早い話が、東の“皇国”に対する敵愾心の表れだろう。
「礼を言う、セリア殿。“敗戦専門”の傭兵団などと揶揄する者も多かったが、今は皆、貴公らに感謝しておる。お陰で見苦しくない戦をすることが出来た。女の身で、―――などと言っては失礼にあたろうな。まこと、素晴らしい働きであった」
シーガイア王国が例によって帝国からの一方的な通告を受けたのは、今から二年前のことだ。
かの国は大陸東側諸国に対してはまだしも国交という体裁を整えるが、西部の国々に対しては皇帝からの命令という形式をとる。
曰く、王宮内部に外交官―――大使の公館を設けよ、と。
帝国のいつものやり口で、拒絶すれば国交の断絶を望んだとして宣戦布告がなされる。
一方で王宮内に大使の常駐を許せば露骨な内政干渉が始まり、真綿で首を絞めるようにじわじわと国は力を奪われていく。そして最後には国土は帝国の一地方、王は地方領主へと成り果て、帝国からの代官として大使に統治されることになるのだ。
属国以下に身を落とすか、敗色濃厚な戦に賭けるか。
シーガイア王が選んだのは後者だった。
「今、戦前の自分を恥じております。帝国軍を追い返すなどと、よくも大言を吐けたものだと」
忸怩たる思いを口にした。何度も味わってきたものだが、今回は格別だ。
この大陸に戦火と呼べるものは現在帝国による侵略のみで、帝国は自前の兵力以外を徴収することはない。故に一般に傭兵の働きどころは賊対策などで商家に雇われることだが、団員百名を数える赤銅の剣は商家の護衛には規模が大き過ぎる。
つまるところ赤銅の剣はまさに“敗戦専門”、―――帝国軍に侵略を受けた小国に雇われることで成立する傭兵団なのだ。
「実際、一度は追い返してくれたではないか。貴公がおらねば見ることの出来ない夢であったよ」
大陸北西に細く長く突き出した半島というシーガイア王国の国土を利して、帝国軍を領内深くに誘い込んだ後、船団による敵後背への軍勢輸送による挟撃。
国王は不思議と初めから赤銅の剣に好意的で、セリアの示したその戦略を容れ、たかだか傭兵団の団長に参謀の地位を与えてくれた。
そして、帝国軍を完膚無きまでに打ち払った。そう、一時は国内に侵攻した帝国軍を完全に撤退させ、勝利の感動すら味わったのだ。
「結局、あの若い将軍が指揮を執る様になってからは、ただの一度も勝ちを収めることが出来ませんでした」
撤退から時を置かず、新たに侵攻軍の指揮官となったのは二十代も前半の若い将軍だった。若いとは言ってもセリアよりも一つ二つは年長だが、それでも帝国軍の将軍としては異例の若さだ。
名門貴族の出と言うわけでもない。それどころか貴族ですらないと言う。貴族以外の者が帝国の将軍となること自体が恐らく過去に例はない。若年ながら実績に実績を積み重ねてきた男だ。
当然新任の将軍に対しても同様の戦略が取られた。しかしこちらの兵の動きをあらかじめ知っていたかのような伏兵と強襲でもって、味方の戦線はずたずたに切り裂かれた。背後を突くはずの兵は孤立し、時には逆に挟撃を受け、各個撃破されていった。
「恐ろしい男だ。わが国の領土を自分の庭のように自由に闊歩しおった。まるで、天空から覗く目でも持っているかのように」
本隊を率いて戦線の救援に王が駆け付けるやするりと軍を動かして、僅かな守兵を残すのみの王都を陥落させた。
結果だけ聞けば誘われたと言うだけの話であるが、一万からの大軍がこちらの斥候を振り切り忽然と姿を消し、次に報告を受けた際にはすでに王都に肉迫していたのだ。
“天空から覗く目”という表現は言い得て妙であった。
戦の間、セリアはしばしばまるで自分が敵将の遊ぶ盤上の駒にでもなったような錯覚に捉われたものだ。
「さてと」
王が踵を返す。
「本当に、行かれるのですか?」
「王として、果たさねばならぬ責務であろう」
王は本隊を率いて王都奪還に臨もうとしていた。
岬のふもとには兵が整然と隊伍を成している。灯台からはその先に広がる平原、そして平原の中央にそびえる王都の城郭までも小さく望める。
岬から王都までは歩兵の行軍で半日と掛からない。当然、王都からもこちらの軍勢は丸見えだ。
「寡兵で攻城は無理があります」
本隊の兵力は六千で、王都に籠るは一万の帝国軍である。
「何、儂が出て行けば、向こうも野戦に応じてくれるかもしれんぞ」
「失礼ですが、あの敵将が陛下の首にそれほどの価値を見出しているようには思えません」
「はっはっはっ、確かにな。それで一度まんまと捨て置かれ、城を奪われたわけだしな」
「笑い事では―――」
「だが、出て来るさ。貴公が参謀としてあの敵の軍略を読もうとし続けたように、儂は王として我が国を侵そうという敵の為人を読もうとしてきた。あれは、実に徹底して価値を計り、利を取る」
「価値を計る?」
「うむ。王都に最大の価値を見出したなら、王の首すら捨て置き全軍で取りにいく。そうして王都を得たなら後は―――」
「価値ある獲物は、陛下の首を残すのみと言うことですか」
「うむ」
「……なればこそ、私ならもう戦は選びません。落ち延び、再起をはかります。奴の前に、みすみすその価値ある首を晒してやる必要などないのです。幸い、海路はまだこちらの手にあります。東部へたどり着けば受け入れてくれる国はあるはずです」
シーガイアは海洋国家として知られていた。
海上貿易は盛んで、精強な海軍を有する。何よりこの国には、海竜とも呼ばれる大海蛇に牽引させる高速大型艇が存在する。海軍力で言えば紛れもなく大陸最強の国なのだ。
「儂も傭兵であったなら、それも良かろうな。しかし儂は王だ。矜持と、果たさねばならない責任がある」
「陛下、私は」
「……そう言えば、数年前に帝国の要求を飲んで吸収された王国の姫が、その支配を潔しとせず出奔したという話を聞いたな」
「―――っ」
「何もおっしゃられるな、セリア殿。貴公はただの傭兵、それで良いではないか。雇用主のつまらぬ意地にまで付き合う必要はない。さらばだ、良き夢を見せてもらった」
「―――陛下、お待ちください。一つだけ、お耳に入れたいことがございます」
階段に足を掛けた王を呼び止め、耳元にそっと小さく告げた。
灯台の周囲は信の置ける人間に固めさせている。仮に間諜の類がいたとしても、あの将軍の元へ情報が届く頃には戦は始まっているだろう。
それでも囁き声になったのは、“天空から覗く目”を過剰に恐れ過ぎるが故か。
やがてシーガイア軍六千は気勢を上げて移動を開始した。平原を堂々と行進し、真っ直ぐ向かう先は王都だ。
「おうっ、ノッポ、来てくれ」
呼び掛けると、副官の一人タイチと他の幹部たちが灯台へ登ってくる。
ちょっと目を引くくらいの小男である。それがノッポと呼ばれるのは―――
「王都は見えるか?」
「ええ、問題ありません。城壁の上に立つ兵士の顔までばっちりでさ」
その異常なまでの目の良さが、まるで高みから覗くようであるからだ。さすがにあの男のように天空からとまではいかないが。
「おっ、出てきましたぜ」
迫るシーガイア軍に帝国軍は籠城ではなく野戦を選んだ。ここまでは王の読み通りだ。
足を止めず、行軍の勢いそのままに両軍はぶつかった。
帝国の兵力はシーガイア軍と大差なく見える。城の防衛に兵を割いたのだろう。
ただ、騎兵は帝国の方が多い。およそ二千騎ほどか。縦横に駆け回り、左右から歩兵に圧力を掛ける。
シーガイアの騎兵一千は歩兵の後方でまだ動きがない。
「……天空から覗く目、か」
こうして遠く高みから覗いていると、あの敵の凄みがより際立って感じられた。
騎馬に攻め立てられたシーガイア歩兵の両翼が押し込まれ、その分だけ帝国軍の両翼が前へ出た。初めは横列同士での正面切ってのぶつかり合いであったものが、今はお手本のように綺麗な“鶴翼の陣”が出来上がっている。鶴の両翼に例えられるこの形は、典型的な包囲殲滅の布陣だ。
シーガイアの歩兵たちは二対一とも三対一とも思える戦闘を強いられ、じわじわと押しつぶされ、すでに槍も満足に振ることは出来なくなっているはずだ。
そんな中、唯一戦線を切り崩し得る騎兵はまだ動かない。
「上がりましたっ!」
タイチが叫ぶ。
「おおっ、派手にやってくれたようだな」
戦果は予想以上で、やがてセリアの目にも明らかとなった。王都の城郭内から煙が幾筋も立ち上っている。
城内にあらかじめ傭兵団の何人かを潜り込ませていた。元々が自軍側の都なのだから難しいことではなく、帝国軍による占領以前から住民として潜伏させていたのだ。
とはいえそれもわずか数人だ。出来ることはせいぜい火を掛け、多少なり騒ぎを起こす程度のものだ。
しかし王都があの敵将にとって、王以上に価値のある唯一のものなら。
そしてもしあの敵将が王都に取って返すことがあれば、そこに付け入る隙が生じる。
「―――動きましたっ!」
タイチに言われるまでもなく、セリアも見た。
白地に黒の横一線という、面白みの欠片もないあの男の軍旗が王都へ向けて後退していく。護衛は数十の騎兵のみだ。
先刻セリアが進言した通りに、シーガイア軍が温存していた騎馬隊を動かした。
青地に大海蛇の紋章のシーガイアの国旗も一緒に駆ける。つまりは王自らの指揮である。
戦場を迂回し、あの男の軍旗に迫る。
帝国の騎兵が遅れて後を追うも、ここまでの戦闘で疲弊した馬は疾駆に耐えられず、ぽろぽろと離脱していく。
「よしよし、良いぞ。行け、行けっ」
覚えず拳に力が入る。
城内に将軍を迎え入れるため、王都の城門がどこか焦りを感じさせる動きで開かれる。
しかしこの調子なら、大海蛇の旗が背後に食らいつく方が早い。
「―――なっっ!?」
王都の城門から、騎馬隊が飛び出した。
「城門前に、騎馬隊を待機させていただとっ? 何のために? この展開を読んでいたとでも言うのかっ?」
一千騎ばかりの騎馬隊はやがて白黒の軍旗と馳せ違い、シーガイアの騎馬隊とまともにぶつかり合った。乱戦となって足が止まったところに、追い付いてきた二千騎も突っ込んでいく。
戦の大勢は決した。
「……姉御、行きましょう。今ならまだ、王様の用意してくれた船で逃げられます」
「―――ああ」
幹部たちに促され、セリアは踵を返す。
階段の前で最後に顔だけ振り返ると、戦場では大海蛇の旗がちょうど倒れ行くところだった。