1-2 兄と妹
「お兄様」
王城の中庭で鞍の補修をしていると、クランが近寄ってきた。
王女らしい純白のドレスを身にまとい、長く美しい金色の髪は駆けてきたためかわずかに乱れている。
「お兄様、私も竜に乗ってみたいわ。教えて」
中庭は、王家の竜フランドラグの住処である。今はそこに白竜のヴァンも加わっていた。
周囲の建物は竜の飛翔を邪魔しない配置に造られていて、そのまま飛び立つことも、上空から着陸することも可能だ。
「今さら竜騎士にでもなるつもりなのか?」
「別に、そういうわけじゃないけれど。お城にいる竜も二頭に増えたことだし、私もお兄様と一緒に飛んでみたいなって」
「…………駄目だ」
可愛らしい動機に一瞬頷き掛けるも、思い直して首を横に振った。
「ええー、どうして!?」
「慣れていない人間が乗るのは危ない」
クランはリュートの実の妹だ。
他の弟妹達とは異なり、同じ母から生まれてもいる。活発な性格も金髪碧眼の容姿も自分とよく似ているし、あるいは騎竜の才も秘めているかもしれない。
それでも素人が急に竜に乗るというのは危険なことなのだ。
「だから教えてって言ってるんじゃない」
「その年から始めて、乗れるものではない。俺もルッカも子供の頃から竜と触れ合って生きてきた。竜騎士のほとんどがそうだ。十六歳からでは、いくら何でも遅過ぎる」
「ふんだ、何よ何よ。もう良いわ、お兄様には頼まないからっ」
珍しく我が通らず、クランが頬をふくらませた。
この妹に対して、罪悪感にも似たものをリュートは抱えている。
竜騎士として修行を積むために、八歳からの五年間を母の生地で過ごした。
平民の母を持ち、その母にも先立たれたリュートとクランにとって、王宮生活は楽しいものではなかった。そんな状況を変えることも竜騎士の修行を望んだ理由の一つだが、反面妹を置き去りに逃げたのも事実だ。
何より単純に目に入れても痛くない可愛い妹でもある。
気を抜けばクランの願いに無条件で首を縦に振りかねない自分を、リュートは自覚している。
「お兄様になんか頼まなくたって、私にはもう一人頼もしい兄上がいるんだからっ。―――ルッカ、貴方が私に教えてちょうだいっ」
リュートの側近くに控えていたルッカに、クランが水を向けた。
「それは、ええと、……―――わかりました、お教えいたします」
視線で問われ、苦笑交じりに小さくうなずいてやると、ルッカはほっとした表情でクランに敬礼した。
少し乗せて難しさが分かれば、すぐに諦めるだろう。教師役としてはリュートよりもルッカの方がずっと適任だった。
飛竜の村に生まれ育ったルッカは、リュートよりも遥かに騎竜術に関する知識が深い。我ながら感覚に頼り過ぎるきらいのあるリュートには、他人にうまく教える自信が無かった。
「教えを請う以上はルッカはクランの先生だ。ちゃんと言うことを聞くんだぞ」
「お兄様に言われなくたってそうするわ。よろしくね、ルッカ先生」
「それと、竜はフランドラグに乗ること。他の竜、特にヴァンはまだ飛行が安定していないからな」
何かあっても、フランドラグなら安心だった。
ルッカがリュートの最も信頼する人間なら、フランドラグは最も信頼する竜である。
「はいはい」
妹の相手は一人と一頭に任せ、リュートは鞍の補修を再開した。
リュートは騎竜の間ほとんど手綱を取らずに足の締め付けで体勢を維持するから、鞍はかなり浅めに作っている。他の竜騎士の鞍が首回りを半周分ほど覆うのに対して、その半分ほどしかない。
浅い分だけ、竜の首を足でしっかりと捉える事が出来るのだ。同時に鞍の固定はどうしても緩くなるため、些細な変化でぐらつき、そして摩耗する。
リュートは牛革製の鞍の裏地を、油をしみこませた布で丹念に磨き上げた。
竜騎士は飛竜とどれだけ一体となれるかが生命線であるから、竜の世話と竜具の手入れは人任せにはしない。飛竜に乗る前に、最初に習ったことだった。
そうして作業を続けながらも、当然意識の大半はルッカとクランのやり取りへ割いている。
「鞍の位置はそれでは後ろ過ぎます。翼の動きの妨げにならず、首に負担を掛け過ぎない位置はもう少し前です」
個体によって差もあるが、飛竜はおおよそ二馬身ほどの胴体を持つ。
それぞれが胴とほぼ同じ長さの首と尾。首と胴体の付け根からやや後方の背に翼。鳥とは違い翼とは別に前足が存在し、地上では四つ足で歩くことも出来る。
フランドラグは、クランが跨りやすいように前足を屈めて頭を下げている。やはりとりわけ頭の良い竜だった。
竜騎士の竜は普通、騎士を一人と決めたら他の者を乗せることを嫌う。騎士それぞれに乗り方の癖が多かれ少なかれあり、それに順応するためだ。
しかしフランドラグは誰を乗せてもそれに合わせられるし、騎士に悪い癖があれば修正を促す様な飛び方までしてみせる。国内の竜騎士は皆、一度はフランドラグの背に跨っている。
加えて飛竜は騎士に対して独占欲に似た感情を持つもので、自分の騎士が他の竜に乗ることを嫌う。よその竜の臭いをさせて帰ったものなら、拗ねて騎乗を拒むこともあるのだ。
しかしフランドラグが相手の場合、そうした拒絶反応を他の竜は示さない。フランドラグはまさに竜の王のようだった。
「――――――」
リュートの頭上からヴァンが顔を突き出して、鼻を鳴らした。
興味深そうに二人と一頭の様子を眺めている。
飛竜は本来警戒心の強い生き物だが、ヴァンは見ているとこちらが不安になるほどそれが薄い。特に人に対した時にそれは顕著で、城の女中などにも平気で近寄っていって怖がらせたり、逆に可愛がられたりしていた。
頭上に手を伸ばして顎の下をかいてやると、ヴァンは気持良さそうにもう一度鼻を鳴らした。
その日、クランはフランドラグの背に跨って速足で駆けることに成功した。
「……昨日は竜に上手く乗れたのか、クラン?」
翌日の朝食の席で、父王が娘に尋ねた。
「はい、お父様。ルッカせん―――ルッカ殿も、筋が良いって」
「そうか。やはり血筋かな」
「どこで見ておられたのですか、父上? 気が付きませんでしたが」
父の発した血筋と言う単語で食卓が微妙な空気になることを恐れて、リュートは割って入るように問い掛けた。
父に褒められる機会を奪われたと思ったのか、クランが不機嫌そうな視線を向けてくる。
「私の執務室の窓からは中庭全体がのぞけるのでな。御開祖様は、執務中にもフランドラグの様子が気になったのだろう」
父王はワインで口を湿らせると、微笑みを湛えて言った。
「あまりいつまでもお転婆が過ぎても困りますよ」
王妃が口を開く。
リュートとクランにとっては義理の母に当たる女性だ。
他に食卓には、王妃の生んだ王子二人と王女が一人―――リュートの異母弟と異母妹―――で、総勢で七人が顔を並べている。
リュートは庶長子であるが、国民の熱狂的なまでの人気に後押しされる形で太子となった。開祖以来、王族から生まれた初めて竜騎士であるから当然ともいえる。
フランドラグ王国は、竜騎士の建てた国である。
およそ二百年前、大陸の盟主であった皇国は西方より起こった軍事大国―――帝国による侵略を受けた。
一時は東海岸沿いにまで領地を押し狭められたというから、まさに滅亡寸前である。
皇帝の信任を持って兵事の全権を担い、大陸のほぼ中央に位置する現在のフランドラグまで戦線を押し戻したのは一介の竜騎士隊長であった。
当時、竜騎士は儀仗兵にも近い扱いで、国民の憧れる軍の花形ではあっても主戦力ではあり得なかった。獅子奮迅の活躍でその認識を改め、ついには軍事の大任に当たったその竜騎士こそ、リュートたち王家の開祖である。すでに飛竜の聖地として知られていたフランドラグの地を後に下賜され、国とした。
翼を開いた蝶に例えられる大陸の、ちょうどすぼんだ胴体部分の真ん中に位置し、西方に追いやった帝国に対するまさに楯であり剣でもある。
「お兄様に続いて私までが竜に乗るとなれば、国の名誉でしょう? 多少のお転婆は許されていいはず」
「この子ったら」
王妃が嘆息まじりに言って、頭をふった。
「兄上、僕にも教えて下さいませんか?」
「私にも」
第三王子と第二王女が言った。
第三王子は十二歳、第二王女は十五歳になっている。第二王子はリュートより一つ年下、クランより一つ上の十七歳だ。
朝は家族全員で食卓を囲むというのは、リュートが竜騎士の修行を終え、村の暮らしを切り上げて王都に戻って以来の習慣だった。
リュートの提案に、はじめ王妃や弟王子ばかりかクランすらも良い顔を見せなかったが、今はこうして団欒にも似た会話が交わされることもある。
王妃と第二王子との仲は、言うまでもなく一時期険悪だった。王妃は皇国から枝分かれした格式と伝統を誇る国からの輿入れで、当然自分の子が王位を継ぐと考えていただろう。後から側室となり、先に父の子を身籠った母に対する嫉妬もあったはずだ。
今、王妃とこうして和やかな空間を共に出来るのは、二人に玉座を完全に諦めさせたということだ。民からの圧倒的な人気と、軍部の支持を得るリュートにとって代わることなどもはや出来ようはずもなかった。
騎竜術を習いたいと言う弟と妹を、第二王子は苦笑交じりに見つめている。
恐らく陰で散々に挑戦し、才が無いと諦めた過去がこの健気で真面目な弟にはある。
「あら、二人には私が教えてあげるわよ」
弟達の言葉をクランが受けた。
「姉上が?」
「ええ、すぐにお兄様にも負けない腕前になるから、少し待ってなさい」
クランが自信有り気にフォークを振りまわして見せた。
「……クラン」
王妃の咎めるような視線に、クランは慌ててフォークを下ろした。
リュートとは違い完全な王城育ちのクランの食卓マナーの乱れは、やはりリュートに起因するものだろう。
お忍びで街の散策に連れ出したことも一再ないし、露店で並んで立ち食いしたこともある。
「それでは、竜騎士隊の調練がありますので」
後ろめたさにリュートはそそくさと朝食を済ませると、席を立った。