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1―1 空を駆る

 いつもそばにいるその人はとても眩しくて、まるで絵物語の主人公、歴史に名を残す英雄のようだった。

 だから、まさか自分がその英雄になるだなんて、僕は考えたこともなかった。




「ルッカ、遅いぞ」


「殿下が速過ぎるのです。これでは護衛の兵が付いて来れません」


「遅れてゆっくり来ればいいさ。この空で俺に護衛が必要か? お前一人で十分だ。……それよりルッカ。二人きり、それも、空の上だぞ。そう畏まるな」


 前を行く王太子リュート・フランドラグはぐんと身を仰け反らせて振り返ると、こちらを睨んだ。


「わ、分かりました。いや、分かったから、兄さんっ、ちゃんと前を向いてくれっ! 手綱も握って!」


「そうそう、それで良い」


 満足そうにうなずくと、リュートは前屈みの騎乗姿勢に戻った。

 リュートとルッカ、二人は竜の背にあった。巨大な翼を持ち、空を自由に飛翔する飛竜の背に乗って、空を駆けている。

 眼下には深い森に覆われた山々がどこまでも広がっていた。一面の木々の緑の中で、山道が一筋の黄土色を刻んでいる。

 振り返りその黄土色を辿ると、遥か遠くに土煙が見えた。近衛の騎馬隊をもうずいぶんと引き離してしまっていた。


「見えたぞ。久しぶりの山上だ。親父さんや、妹達は元気にしているかな?」


「手紙には、変わりなくやっていると書かれていたよ」


 竜の住まう険しい山岳地帯と、その麓に広がる人の住まう平原。フランドラグ王国の国土を端的に表現するとそうなる。

 そして竜の領分である山中にわずかに点在する人の集落の中でも、とりわけ高い位置に存在するのがルッカの生まれ故郷であり、この旅路の目的地だった。リュートも幼少時代の数年をそこで過ごしている。


「先に降りる。―――フランドラグ、頼む」


 言って、リュートが竜―――国名であり王家の姓でもあるフランドラグの名を冠する雄竜―――の首筋をぽんっと軽く叩いた。

 翼を丸めた自由落下と、ゆったりと螺旋を描く滑空を組み合わせて、ほとんど翼の力を使わずにフランドラグは集落の真ん中へ降り立った。


「フレール、行くよ」


 後に続くルッカは、翼の羽ばたきが生む浮力を使って、ゆっくり慎重に降下した。地面に降り立つ頃には、リュートはすでに人垣に囲まれている。


「親父さんは牧場らしい」


 村人から押しつけられた菓子や軽食を両手に抱え、口に頬張りながら、リュートが先を促した。


「そうしたものを口にする時は、ちゃんと私を通してくれ」


「まったく、せっかくの里帰りだというのに固いなぁ、ルッカは」


 耳元で囁くと、逆にリュートの方が呆れ顔で言った。

 牧場までの上り坂を、村人と二頭の竜を引き連れて歩く。

 飛竜の調教と竜用の装具の工芸で成り立っている村であるから、道幅は竜が翼を伸ばして歩いても支障がないだけの広さがある。とはいえ、普通の飛竜よりも二回りも体が大きいフランドラグは窮屈そうに翼をたたんでいた。

 飛竜の牧場は、村の中でも最も高所にある。人が住む土地としては大陸全体を見渡しても最も高い場所だろう。


「ルッカ、親父さんだ」


 リュートが大きく手を振った。牧場の入り口で、ルッカの父が待ち構えていた。

 飛龍の調教を担うドラグシェルフ家の現当主である。

 父の背後にそびえるのは家名の由来ともなった巨大な本棚を思わせる竜の巣箱だ。

 牧場と言っても柵で飛竜を囲うことなど出来るはずもない。竜は一つ所に居付かず、いくつもの住処を転々とする習性を持つ。

 牧場はその内の一か所として、住み易い場を提供しているに過ぎない。

 そうして交流を続ける内、飛竜は人の暮らしに馴染み、やがて人と共に生きる個体が現れるのだ。


「お久しぶりです、殿下」


「堅苦しい挨拶はやめてくれ、伯父さん」


「……ああ、そうだな、リュート」


 父が眩しいものでも見るように、目を細めた。


「今、牧場に飛竜は?」


「“あれ”も合わせて三頭だ」


 人に慣れる竜はそう多くはない。需要過多であるから、大抵はすぐに竜騎士の騎竜となったり、人々の暮らしの中で活躍していく。

 いつまでも牧場に居付く例外など、ルッカの知る限り一頭だけだった。


「おうっ」


 リュートが驚きと歓喜がいり混じった声を洩らす。巣箱の陰から、その唯一の例外が姿を現していた。

 全身を覆う鱗も、背筋に沿って垂れる鬣も、翼を形作る皮膜も、曇り一つ無い純白。おそらく現存するただ一頭の白竜である。


「―――俺を覚えていてくれたか」


 白竜はとととっと駆け寄ると、ぬっと巨大な頭部をリュートに寄せた。

 人間の感覚では獰猛といっていい顔つきの、その喉元が小さく、甘えるように鳴る。白竜の顔全体に抱きつくようにして、リュートは抱擁を交わした。

 リュートがまだこの村に暮らしていた頃、母竜の腹から自ら取り上げたのがこの白竜だった。

 飛竜のお産は大変に苦しいもので、大抵は出産と同時に母体は力尽きる。

 生まれた赤子は翼が育つまでの数年は飛行能力を持たないが、生まれながらにして大型肉食獣並みの体躯と、獲物を捕える牙と爪、そして高い知能を備えている。親の助けを受けることなく、一頭で育ち一頭で飛び立つのが飛竜の生態なのだ。飛竜が孤高の生物とされる由縁ゆえんだった。

 白竜の母も他の多くの場合と同じく、出産後すぐに息を引き取った。

 対して、生まれた子は特別だった。

 希少種の白竜であったことも特別なら、リュートの中に母性を求めたことも特別である。牛ほどの大きさもある白竜が、街行くリュートの後をヨチヨチ付いて回る姿は、村の人間に温かな笑みを与えたものだ。


「注文通り、基本的な調教をほどこしただけだ」


「ああ、それで良い。細かい事は、二人で決めるさ。―――おっ」


 白龍がリュートの足元にすっと頭を下げた。


「さっそく飛んでくれるみたいだ。ちょっと行ってくる」


 リュートがそこへ飛び乗った。


「おい、まだ鞍も轡も付けていないぞ」


「必要無い」


「兄さんっ、せめて轡と手綱だけは―――」


 ルッカは慌てて駆け寄るも、次の瞬間にはリュートと白竜の姿は地表から消えていた。

 おおっと村人たちから歓声が漏れる。すでに小さな影となっている二人―――リュートと白竜を、ルッカは溜息交じりに見送るしかなかった。

 リュートは竜を駆る時に、手綱を必要としない。首周りを足で締め付けるだけで、それ以上に自在に操る。国内にリュートとルッカを含め十二人、このローラシア大陸全土を見渡しても百人余りに過ぎない竜騎士の中でも、そんな真似が出来るのはリュートだけだろう。

 才に恵まれ厳しい鍛錬も積んだ竜騎士の中で、さらに百人、いや千人に一人の天才だった。恐らく歴史上にもあれほど巧みに竜を操る者はいないだろう。空高く飛行中にも平気で手綱を手放し、背に寝転がったりもする。努力を重ねてなお竜を御すのみで精一杯のルッカの目には、それが危なっかしくて仕方がない。


「いくつになった、ルッカ?」


 父の声に、ルッカは目線を地上に戻した。


「十七です」


「すると、リュート殿下はまだ十八か。もはや、竜を駆らせたら並ぶ者はおるまい」


「竜騎士隊の隊長でも相手にならないよ」


「お前はどうなのだ?」


「まるっきり子供扱いかな」


「……竜に愛される人間というのがいる。リュート殿下の母上、あれもそうであった」


 父の言葉には息子を慰めるような響きがあった。

 リュートの母は父の妹で、ルッカにとっては叔母に当たる。女性で初めて竜騎士隊に入隊を果たした人で、美しい容姿と気さくな人柄とあいまって国民の憧れの的であったという。竜を駆れば当時並ぶ者はなかったとも聞く。

 そして、平民の出ながら王と結ばれ二人の子供を産んだ。リュートとその妹のクラン王女だ。

 ルッカより一つ年下のクランを生んですぐに亡くなっているから、ルッカの記憶の中に叔母の姿はない。

 ルッカの父もかつて竜騎士を務めていたが、若くして早々に引退している。妹に対して、父にはいくばくかの気後れがあったのだろう。そんな父の思いは理解出来るが、ルッカがリュートに対して似たような感情を抱いたことは一度もなかった。

 初めて会った時からリュートはルッカの知る誰とも違っていた。

 快活で聡明。性格そのままに、眩い金色の髪と一面の青空を凝縮したような碧い瞳。太陽のような少年をすぐにルッカは大好きになった。

 誰にでも優しく公平なリュートだが、血縁で年の近いルッカに対してだけは少し意地の悪いところも見せる。それすらも余人には見せない親しみの表れだと思えば心地良かった。


「おお、見事だ」


 気付くと、フランドラグが白竜と並んで飛んでいた。

 飛竜は普通自分の騎士が他の竜に乗ることを嫌うものだが、フランドラグは白竜を教え導くように、翼が触れ合うほど近くに付いて飛んでいる。大人の分別というところだろうか。

 白竜が希少種なら、フランドラグもまたただの竜ではなかった。その存在は生ける伝説と言って良い。

 飛竜の寿命は人と同程度とされるが、フランドラグの年齢はすでに百五十を超えている。フランドラグ王国の建国当時から生き、開祖の乗騎であったとされているのが、竜のフランドラグだった。

 リュートに騎竜の才を見出したのもフランドラグで、年端もいかない少年時代からその背に跨らせていたという。

 フランドラグと白竜は絡み合うように宙を舞い、縦横に旋回した。いつものこととはいえ手綱も鞍も無しだと思えば、振りほどかれ落ちてくるのではないかとルッカの心臓は不安で早鐘を鳴らす。

 単に股を強く締め付ければ良いのではなく、身体に掛かる遠心力の逃し方と活かし方だとリュートは言うが、ルッカにはそんな感覚はまるで分からない。

 やがて二頭と一人が大地へと戻ってきた。


「―――ヴァンと名付けた」


 上機嫌で白竜から飛び降り、リュートが言った。

 人の世に完全に交わるまで、竜に名は付けない。

 名を付けるということは、人の世に縛り付けるということでもある。人との暮らしに馴染まず、あくまで野生のままに生きる竜の方が圧倒的に多いのだ。

 親子のようですらあった白竜に対しても、当時リュートは名を付けることをしていない。


「よろしく頼むな、ヴァン」


「―――っ」


 リュートが呼び掛けると白竜―――ヴァンが一声嘶いた。

 珍しいことだ。竜は発声器官を有しているが、実際に鳴くことはほとんどない。それが嘶くとなると、何かよほどのことがあった場合のみだ。

 先刻喉を鳴らしたのも奇妙に思ったものだが、元来竜は音を立てない生き物なのだ。草原を歩くときも草を騒がさず、上空へ羽ばたくときも不必要に風を巻き上げはしない。


「伯父さん、今夜は泊めてもらって良いか?」


 ルッカの隣でやはり意外そうにヴァンを見つめる父に、リュートが問うた。


「兄さん?」


 訪問の目的―――白竜の受け渡しはすでに済んでいる。


「空から馬を引いて走る兵の姿が見えた。すぐに取って返すってのはあんまりだろう」


「兄さんがあんなに急かすから」


 山頂までの道は整備されているが、所々に険しい難所がある。馬で進むよりも自分の足で走った方がいくらかましと判断したのだろう。


「地上の兵に合わせて旋回して進むなんて、土台が無茶な話だ。騎兵の随行なんて、他の竜騎士はそんな真似していないだろう」


「それは、兄さんは王太子なんだから」


「わかったわかった、小言なら後で聞く。伯父さん、俺とルッカの部屋はまだ空いているか? それに兵二十人分の宿も」


「部屋はそのままだ。宿も、まあ何とかなるだろう」


 険しい山々に囲まれた村ではあるが、竜の飛ぶ景勝地として知られていた。飛竜目当ての商人や見物人の訪問は多く、小さな村に似合わず宿の類は多い。

 リュートが一泊すると聞いて、村はすぐにお祭り騒ぎとなった。

 広場には巨大な篝が焚かれ、名物の炙り焼きは豚、羊、牛と三つ並べられている。

 火に燃える性質を持つ飛竜の呼気を利用した料理である。下処理を済ませた肉の前に松明を掲げ、そこに竜が息を吹きかけることで表面を文字通り一息に焼き付ける。肉全体に焦げ目が付いたら後は火から遠ざけて、じっくりと内部まで焼き上げる。肉の旨みが凝集するリュートの好物の一つだ。

 リュートは歩き疲れた兵の元へ酒を注いで回っていた。その後ろを、ルッカの妹や弟達がちょろちょろと付いて回っている。


「悪いな、お前達。あまりに遅いものだから、つい先に行ってしまった」


「わるいなー、おまえたちー」


 リュートは悪びれた様子もなくあけすけに言い、ぺこりと軽く頭を下げた。

 弟達がリュートを真似るが、こちらはわざとらしく踏ん反り返った振りで、どちらが貴人か分からない。

 普段のルッカなら駆け寄って叱りつけるところだが、リュートが楽しそうにしているし、兵も口元を綻ばせているので控えた。何より今日は―――


「祭りみたいなものだ。任務だなんだは忘れて、お前達もこの村を楽しんでいけ。俺の故郷だ」


「……殿下は、王都のお生まれでは?」


「ん? ああ、そうだったな。まあ、第二の故郷というやつだ」


 リュートは恐縮する兵士に無理にも杯を持たせ、気安く話しかけていく。

 本人に人気取りの意図など無いだろうが、肩を叩かれ酒を注がれた兵はリュートへの忠誠を新たにしているだろう。


「おーい、ルッカ」


 酒杯を片手に村人たちがルッカの元に近付いてきた。


「王都でのリュート様の暮らし振りはどうだ? 不自由な思いをされてはいないか?」


「何不自由なく暮らしておられますよ。心配されなくとも、殿下にとっては王都での暮らしが当たり前なんですから」


「そうか、そうだったな。どうにも、この村で生まれ育ったような気がして、王都の暮らしなど性に合わないのではないかと思ってしまうな」


 村人たちもリュート本人と同じように感じているようだ。


「殿下ならどんな場所でも上手くやりますよ」


 兵を労うリュートの代わりとばかりに、村人たちはルッカに質問をぶつけてくる。


「それもそうか。―――おお、そう言えばお前もここ数年は王都住まいだったな。生活はどうだ?」


 村人たちは会話の最後に、一様に思い出したようにルッカの久しぶりの帰郷に言及するのだった。


「ルッカ」


「兄さん」


 兵の相手を終えたリュートがルッカの元へやってきた。ルッカは取り分けておいた料理を差し出した。


「おお、さすが。よくわかっている」


 豚、羊、牛のそれぞれあばら肉。それに下処理で豚の腹に詰めた野菜と、白米にチーズ。

 肉そのものよりも、肉汁を吸ってとろとろになった野菜を白米に乗せ、そこにたっぷりのチーズを合わせて食べるのがリュートのお気に入りだ。


「リュート様」


 兵に遠慮して距離を置いていた村人たちが集まってきた。

 兵はリュートの近衛であるから軍の中でも高い地位にある。気後れは当然と言えば当然であるが、村人たちは肝心の王太子であるリュートに対しては遠慮などする気はないようだ。


「おおう、皆、久しぶりだな」


 リュートの方も屈託なく受けるのだった。


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