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5-1 下問

「貴方がジャン・バルバロッド」


「はっ」


 目の前の凛とした女性に、ジャンは片膝を付いて礼を捧げた。

 腰まである黒髪は、さざ波一つ見られない見事な直毛ストレートヘア。光の当たる角度によって赤みがかって見えるのは、父親である皇帝譲りだ。

 呼び出された宮中で引き合わされたのは、第三皇女エレオノールだった。

 英雄色を好むと言うやつで、当代の皇帝には側室も子も多いが、中でもエレオノールの名は酔狂者の噂とともによく知られている。

 確か今年で二十になっているはずだが、決まった相手もなく未婚だった。姉二人はもちろんのこと、すぐ下の妹もすでに嫁いでいる。


「座れ」


 皇帝が、手振りで椅子を進めた。小さな円卓が一つに、椅子が三つ。その内の二つに皇帝と皇女が腰掛けている。ジャンは迷わず残る一つに腰を落ち着けた。

 室内は他に何もない簡素な作りだが、宮中の皇帝の私室の一つらしい。最近ではよくこの部屋に招かれては様々な下問を受ける。


「まあ」


 皇女がぽかんと口を空けた。品の良い顔立ちには不釣り合いな表情だ。


「なかなか面白い男だろう」


「そのようですね、お父様」


「……何か粗相を致しましたでしょうか?」


「いえ、構いませんのよ。ただ、普通はそう簡単に陛下や私と席を同じくいたしませんわ」


「はあ。では軍人らしく復唱でも致しましょうか? ―――ジャン・バルバロッド、これより標的に腰を下ろしますっ、とでも」


「ふふっ、ほんとにおかしな人。ふふっ、あははははっ」


 よほどジャンの返答がお気に召したのか、皇女は腹を抑えうずくまる様にしてひとしきり笑い続けた。


「こちらはこちらでおかしな女だが、まあ気にしないでくれ」


「お父様、その言い方はありませんわ」


「だがそのおかしな娘がある意味、ジャン将軍を見出した」


「私を?」


「そうだ。ジャン将軍も不思議には思わなかったか? 何故自分のような出自の者が、士官学校への入学を許されたか」


 先代皇帝の方針で、帝国全土には学舎が設けられている。

 簡単な読み書きと計算を教えるもので、帝国民なれば誰もが入学を許可される。これによる識字率の向上と人材の育成が当代における富国強兵の原動力の一つとされている。

 しかしその上の士官学校への入学試験や文官登用試験の合格となると話は違う。

 少なくともジャンが試験を受けた時点においては、いわゆる立志伝中の人と言ってもせいぜいが下級貴族の出であった。教師に受験を勧められた時も、不合格の平民が試験で首席を取ったら面白いだろうと、そんな心持ちで勉学に励んだものだ。


「それを殿下が? 私が入学した頃には、まだ十歳をお過ぎになられたばかりのはずですが」


「聞いたことはあろうが、この娘は昔から軍人の真似事をするのが好きでな。幼い頃から士官学校へは何度も足を運んでいる。そして帰ってくると決まって言うわけだ。同じような貴族子弟ばかりを集めて、同じような人間を育てるだけの機関に過ぎないなどと、こまっしゃくれたことをな」


「それで平民からも受け入れるように変えたのですか」


「もっとも、私が期待しておりましたのは、もっと豪傑じみた破天荒な人間だったのですけれど。ジャン将軍は人を食った性格は置いておくとして、士官学校が育成を目指す軍人らしい軍人ですわね」


「そうでしょうか?」


「それはもう、間違いなく。一年目こそそれまで学んできたものとの違いに苦戦してらしたけれど、二年目からは座学に関しては常に首席。剣と馬術の方は、あまり得意ではないようですけれど」


「よく御存じで」


「それは私の肝煎りで入学した最初のお一人だもの、気になって成績表の一つも取り寄せるわ。貴方が卒業する年の頃には私も背が伸びて、お忍びで校内に忍び込んだことも何度か。お気付きではないでしょうけれど、一度隣りの席で講義を受けたこともあるのよ。今の子達もそれなりだけれど、やはり貴方が出色の出来ね」


 皇女が大事な大事な秘密を明かすという顔で言う。

 そうすると、二十歳という年齢よりもずっと幼く見えた。いつの間にか言葉使いもずいぶんとくだけたものに変わっている。

 そして話に聞いていた通り、この皇女の軍隊好きは筋金入りらしい。軍部との関係も―――下手をすればこじれそうなものだが―――良好だ。戦況劣勢な戦線に慰安に訪れて士気を盛り返したとか、起死回生の一手を自ら発案したとか、逸話には事欠かない。


「剣の腕の方は、やはり今もいまいち?」


「むしろ最近はもっぱら兵に戦わせてばかりで、さらに鈍ったかもしれません」


「貴方の戦ぶりならそれで良いのでしょうけれど。でも部下に対して格好がつかないのではなくて?」


「私の軍は禁軍ほどに腕自慢が揃っているわけではありませんが、確かに単純な腕っ節の強さというのは兵の信頼にはつながりますね」


 精強な軍というものは、隊としての動きさえしっかりしていれば一人一人の個人的な武勇を求めない。そうして作り上げたものがジャンの軍であるが、半面で兵が強い将軍を求めるのも事実である。


「なんなら、私が稽古を付けてあげましょうか?」


 皇女が楽しそうに笑みを浮かべた。

 軍隊好きともう一つ、剣術狂いがエレオノール皇女が酔狂と呼ばれる所以だった。

 それも皇女様の手遊てすさび等という域でなく、素性を隠して市井の道場を破って回っただの、暴徒数名を一瞬の内に斬り伏せただのと、冗談のような噂が流れていた。


「機会がございましたら、是非。斬鉄皇女様直々の指導を受けたとなれば、兵にも自慢出来ます」


「―――斬鉄皇女?」


「御存じありませんか? 兵や市井の者達は、殿下をそう呼んでおりますよ」


「へえっ、斬鉄皇女か。うんっ、悪くない」


 皇女が、うんうんと何度か繰り返し頷いた。

 例の暴徒を、甲冑ごと両断したという逸話から付いた王女の渾名の一つだった。実際にはもっとおどろおどろしい呼び名もあったが、さすがに本人の前で口にするのは憚られた。


「余計なことを言ってあまり娘を調子付けないでくれよ、ジャン将軍」


「はっ、申し訳ありません、陛下。殿下、今申したことはお忘れください」


「もう聞いてしまったことは、なかったことには出来ないわよ。うふふっ、斬鉄皇女か」


 楽しそうに微笑む皇女を、皇帝が父親の顔で眺める。

 皇帝から特に下問があるわけでもなく、時が過ぎていく。この皇女と引き合わせるのが本日の目的であったらしい。

 しばしして暇を乞うと、最後にと皇女が問う。


「今ここで陛下から東側諸国を攻め落とすように命が下されたら、貴方ならまずはどんな作戦を立てるかしら?」


「そうですね、堂々と宣戦布告をした上で一大会戦でしょうか」


 ほとんど思案せず、答える。

 この国の軍人であれば、問われるまでもなく考え続けてきた設問だ。


「あら、またずいぶんと単純な作戦。レオウルフ将軍でも言いそうな答えね」


「帝国の臣民にとっても、そしていずれは臣民となる東側諸国の住民にとっても、それが一番害がありません」


「うーん、この質問は色んな将軍に会うたびにぶつけているのだけど、他の将軍たちはもっと凝った作戦を答えたわよ。それこそレオウルフ将軍なんて、貴方に負けてよほどショックだったのか、ずいぶんと頭を悩ませていたわ」


「それで、将軍は何と?」


「シーガイア王国で大船団を接収しているから、それを使って大陸の裏側へ回り込み、皇都をまず落としてしまうのはどうかって」


「なるほど、悪くはないですね」


 少なくとも東側諸国の意表は衝け、成功すれば意気は大いに挫ける。

 ただ船旅など経験したことがない帝国兵の大半が、長大に過ぎる海路に耐えられるものだろうか。

 何より相手は同盟軍であり、仮に皇都を落とせたところで戦は終わりとはならない。むしろ泥沼化するだろう。


「一大会戦などやって勝てるの? 始終戦をしてきた私たちと違って、彼らは兵力も国力も温存しているわ。民のためなどと言う綺麗事で考えることを放棄し、勝つための計略を練った将軍達を笑うのは許さないわよ」


 ジャンの返答に気分を害した様子で言う。レオウルフ将軍の策は、今のところ皇女が思う一番の妙案だったのだろう。

 が、いまいち質問の意図が掴めず、ジャンは問い返す。


「殿下は、皇帝陛下より“私に”直々に御下命頂けるとおっしゃいましたよね?」


「え、ええ?」


 皇女は皇女で意図が読めない顔で頷く。


「であれば、初めから敗戦の計画を口にする将軍など、いるはずがないではありませんか。これが副将であるとか、一部隊の指揮であるとか言われるなら、深刻にならない程度に負ける作戦を考えることも時には必要ですが」


 当然、レオウルフ将軍にも船旅で弱った兵を率いて皇都を落とす算段はあるはずだ。あるいは帝国軍人の根性論に近いものかもしれないが。


「…………? ―――っ、ぷっ、あはははっ!」


 しばしの沈黙の後、皇女は声を立てて笑い始めた。


「はははっ、なるほど、なるほどねっ。そもそも負ける作戦など口にするはずがないだろうとっ。自分に全軍の指揮権があるなら負けはしないとっ。ほんっと、貴方って面白いわっ」


 またも笑い過ぎた皇女は、今度は目に涙をためていた。


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