第九十九話 違和感
ユウナギが王都に到着したのと同時刻、近郊のイオライ砦でも動きがあった。
砦を占拠するクザン帝国軍五万が侵攻を開始したのだ。
王国側からしてみれば、城下を襲う魔軍と同調したかのような動きではあったが、王国軍とて木偶ではない。このような事態は当然、想定していた。
彼らが見落としていたのは、クザン帝国の行軍速度。
人間ではなく亜人種、それも獣人種だけで構成されるクザンの軍は通常の軍の三倍、もしくは五倍近い速度での移動を可能としている。五万という大軍に膨れ上がったとしても、一日の間に山一つ越えるだけの速さが彼らにはある。
イオライ砦から王都までは通常の軍隊でもわずか半日。クザンの獣人兵たちはその距離を瞬くほどの間に踏破してみせた。王国側の偵察がクザンの動きを城方に伝えるのと同時か、それに先んじて彼らは西側の城門に攻めかかっていた。
突然の奇襲ではあったが、王国側の混乱は最小限にとどまった。前日から大騎士グスタブによる寝ずの番があったことに加え、クザンを防ぐべしという王命が兵士たちの隙を最小限にとどめたのだ。
そうして、クザン帝国軍とアルカイオス王国軍は正面から激突した。
アルカイオス王国軍二万に対して、クザン帝国軍は五万。数においてはクザンに大きな利があるが、アルカイオス側には城がある。強力な魔法防壁が施された防壁と石弓をはじめとした城の防衛設備は多少の攻撃ならば容易く弾き返す。
クザン帝国軍がいかに突破力に優れるとはい、これらの守りを突破するのは容易ではない。ましてや、その速度と引き換えにクザンの軍は通常の軍よりも多くの食料を必要とする。城攻めが長引けば不利になるのはクザンの側だ。
そこで彼らはからめ手を用いることにした。
どれほど堅牢な城郭も内側からならば崩すのは容易い。クザン帝国は軍を二つに分け、一万の精鋭をもって主戦場を迂回させることを選んだ。
狙いは城の東側。王城から最も離れたその区画ならば城壁を越えることも容易い。実際、一万の軍勢のうち、その半数近くが城壁を登攀し、無事に突破してのけた。
しかし、そこで彼らが目にしたのは予想外の事態だった。
城の東側、いわゆる下町と呼ばれる区画がすでに戦場と化したのだ。
そう戦場だ。事前に聞かされていたような魔軍による虐殺の園ではない。下町は、二つの軍勢がぶつかり合う戦場と化していた。
クザン軍は当初、すべてが死に絶えた無人の街を一気に抜けるつもりだった。だが、ここが戦場となれば話は別だ。
五千近い軍勢が一気に駆け抜けるにはあまりにも状況が混乱しすぎている。
魔軍は下町全体に展開して、謎の軍勢と戦っている。これでは両方に気付かれずに突破するのは難しい。戦闘に巻き込まれるだけならばまだしも、下手すれば両軍勢から狙われるような羽目にもなりかねない。
別動隊を率いる獣将、長尾のバンメイは判断を迫られた。
彼が命じられたのは本隊と呼応しての王城への強襲だが、これには時間制限がある。夜明けまでに王城へとたどり着けなければ、機を逸してしまう。
かといって、強行突破を試みれば相応の被害を被ることになる。王城にたどり着いたところで、兵が足りず落とせませんでした、では話にならない。
迂回策か、あるいは強行突破か。どちらをとっても危険は付きまとう。あらゆる可能性を考慮したうえで、バンメイは決断を下した。
兵士たちに命じられたのは、強行突破。決断の決め手になったのは、バンメイの気性だ。彼の種族である紅猿族は勇猛さと短気さで知られている。獣将にまで上り詰めた名将バンメイさえもその宿痾からは逃れられなかったのだ。
もっとも、その判断が完全な過ちであったかと言えばそうではない。
兵は神速を貴ぶ、という格言がクザンにはある。その格言に則ればバンメイの判断は手堅くさえあった。
問題は、この戦場に大陸において五本の指に数えられるほどの危険人物が二人も揃っていたこと。戦の勝ちだけを考えるのならば、ラグナ・ガーデンとユウナギ・カンナ、そして彼らの仲間には手を出してはいけなかったのだ。
◇
ユウナギの戦いぶりは、さながら荒れ狂う竜巻のようだった。
彼女が刀が振るうたび、真空波が巻き起こり、無数の魔物どもが細切れになる。魔物の中でも防御力の高さで知られる石の巨人でさえ、ユウナギの前ではほかの魔物と大差はない。
称賛すべきは、その圧倒的攻撃力と正確さだ。ユウナギは一人で数百の魔物を切り捨てながらも、決して一人の市民も巻き添えにしてはいない。
まさしく神業。ヴィジオン大陸全土をくまなく探しても彼女と同じ芸当ができる者は一人としていないだろう。
もっとも、彼女とて容易くそれだけのことをやっているわけではない。
ユウナギの傍らには常にラグナがいる。
彼女の背後を狙おうとする者がいればそれらはすべて彼の盾に阻まれる。時には政権を振るって血路を開き、逃げ遅れたものがいれば身を盾にしててでも守り抜いた。
戦っているのは、二人だけではない。
空中戦艦から飛び降りたのは、ユウナギも含めて五人だ。それぞれが別々の地点に降下し、できる限り多く人々を救出しながら、魔物を殲滅していった。
戦況は完全に覆された。このまま戦いが進めば、朝日と共に勝利が訪れる。ラグナが足を止めたのは、そう予感した瞬間だった。
「どうかしましたか!?」
すぐさまラグナの変化に気付いて、ユウナギも足を止める。そうしながらも、刀を振るい周辺の安全を確保した。
「何か妙だ」
「敵に獣人が混じり始めたことですか? クザンの横やりでしょう。言いつけ通り、殺してはいませんよ。ほかの連中は知りませんけど」
「そっちは疑ってない。なんとなくだが、簡単すぎる、と思う」
要領を得ないラグナに、ユウナギは眉をひそめる。それでも無視することはできなかった。
「……シスター、東の方角、何か見えないか?」
『待て。飛竜の数が増えてきている、こっちは手が離せん』
「ユウナギ、バルカンとの念話は?」
「まだ繋がっています。東の空ですね」
すぐさまバルカンが返答がある。ユウナギの表情が一気に険しくなった。
彼女がこんな反応をすることなどめったにない。よほどの敵が現れたのだとラグナは理解した。
「ユウナギ」
「竜です。バルカンは竜が見えると」
「…………そう来たか」
竜の襲来。完全に想定外かつ、恐るべき事態ではある。しかし、その一方で、納得もできた。
王都を陥落させるにしては、今回の魔軍はあまりにも弱すぎた。もし王が姿を現し、対クザンに投入されている戦力の三分の一でも城下に回していればもっと迅速に、簡単に魔軍を殲滅できていただろう。
かといって、ただの威力偵察にしては戦力が揃いすぎていた。どちらにしても半端すぎる、というのがラグナの感じていた違和感の正体だ。
その真相が今分かった。敵は竜を使って、この王都を跡形もなく焼き払うつもりだ。この中途半端な攻撃は竜が来るまでの露払いだったのだ。
「……オレが」
「いえ、私たちでどうにかしましょう。いいですね?」
ラグナが聖剣に手を掛けるより先に、ユウナギが言った。
黒い瞳に浮かぶのは、決意と自信。その煌めきをラグナは信じることにした。
「まずは――」
ユウナギの口から作戦が語られる。
作戦というにはあまりにも無謀で、無茶が過ぎるそれは、だからこそ、ラグナには魅力的に思えた。
竜を落とそうというのだ。それくらいでなければ、話にならない。




