第九十四話 蒼き魔法使い
ヴィジオン大陸においても、魔法の才というのは稀少かつ強力だ。
なにせ熟練の魔法使いともなれば、一小節の魔法で家一つを吹き飛ばすことも容易い。さらには回復から強化、相手の弱体化、あるいは魔力の物質化に至るまでその汎用性は他の職業の追随を許さない。
勇者に次ぐ、最強の職業、その一つが『魔法使い』と言ってもいい。万全の状態ならば、魔法使い一人で専任の兵士にも値する大戦力だ。
そんな魔法使いにも弱点はある。
一つは、魔力という制限。大威力の魔法は相応の魔力を要求する。どれだけ高レベルの魔法使いでも十度も大魔法を行使すれば魔力が枯渇し、枯死してしまいかねない。集団戦において魔法への耐性を持つ盾役が重宝されるのはそのためだ。
もう一つは、あらゆる魔法の発動には呪文が必須とされる点だ。
短いものでは一小節、つまり、たった一言で発動する魔法もある。あるにはあるが、それでも、一言分の隙が生じる。
たった一言、されど一言だ。並外れた戦士にはその一瞬で十分すぎる。切っ先のきらめきは、舌先のそれよりもはるかに速いのだから。
その二つの弱点を、ヴィジオン大陸の常識を、セレンは克服していた。
「――ぐっ!?」
雪煙の中を、ラグナは駆ける。右手には水銀の盾を装備し、空いた左手には手製の閃光玉を握っていた。
その背後で蒼い閃光が爆ぜる。閃光は石畳を削り取り、着弾点に蒼い火柱を立ち昇らせた
大気が震え、空間が歪むほどの威力。それが魔法ですらない初歩中の初歩、ただの呼吸にも等しい動作から生じているなど誰も思うまい。
魔力の連続投射。術式を介さず、ただ魔力を放つだけのこの動作は魔法を習得する前段階の修行で会得するものだ。
本来、魔力だけを投射したころで対し威力はないうえに、魔力消費がかさむだけで何一つとして利はない。
唯一の利点は、動作である以上、呪文を必要としないということ。ゆえに連続して、なおかつ、一瞬で放つことができる。
魔法使いの持つ弱点の一つ、速度。それを克服するため、セレンはこの動作を必殺の領域にまで高めた。
体内で精錬した超高密度の魔力ならば並の魔法使いの魔法を容易く凌駕する破壊力がある。ラグナの貧弱な魔法耐性では直撃すれば、一撃で戦闘不能だ。
まさしく天才の業。無尽蔵ともいえる魔力量あってこそのもので、模倣は容易ではないが、この戦法が世に広まれば戦場の様相は一変するだろう。
しかし、それだけならば、ラグナにも対応策はある。神童、セレン・マギレリアの本領はここからだ。
『赤き雷よ、三界を焼け』
二小節の呪文で、魔界の暗雲が召喚される。
次の瞬間、赤い稲妻が霊園に降り注ぐ。
雷属性の上位魔法『邪なる天罰』。本来ならば五小節は必要とされるこの魔法をセレンは詠唱を短縮して使用している。
詠唱破棄だ。かつてラグナと戦った冥王ネルガルのような最上位の魔物が用いる超高等戦技をセレンは当たり前のように用いていた。それも、魔力投射を行う片手間に、だ。
魔力の雷がラグナに迫る。とっさに水銀の盾の機能を切り替え、魔力障壁を展開するもそれだけで防ぎきれるものではない。
数本の雷は盾を貫通し、ラグナの身体を焼いた。
ラグナは膝をつき、倒れ伏す。痛みとダメージに大きく咳き込んだ。
先ほどの一瞬で、体力は尽きかけだ。決着はついた。大半のものはそう判断するだろう。
「この程度で終わりじゃない、でしょ?」
油断なくセレンはラグナに杖を向ける。決して距離を詰めることはせずに、ラグナの間合いの外から魔法を打ち込み続けるつもりなのだ。
「…………バレたか」
盾を杖代わりに、ラグナは体を起こす。死にかけている割には戦意も、闘志も健在だ。
カラ元気ではない。理上は瀕死のままだが、それでも立ち上がり、戦う力がラグナにはある。
虫食い。いまだその正体は定かではないが、ラグナの身体には力が満ち満ちていた。
身体が消し炭にならない限りは、ラグナは立ちあがる。魔法でラグナを仕留めようとすれば、この程度の威力では仕留めきれない。
一方で、決め手がないのはラグナも同じだ。
ラグナにセレンを殺すことはできない。逃げようにも霊園全体に遮断結界が張られており、突破は不可能。唯一、結界を破壊可能な聖剣も今は手元にない。
結界の外にいるグスタブたちの援護も見込みは薄い。それほどまでにセレンの魔法は強力だ。
ならば、セレンの意識を奪い結界を解除させるしかないが、それができれば苦労はない。
『天風よ、逆巻き、引き裂け』
再びの詠唱、風の上位呪文『四方の天風』。
セレンの手元より暴風が生じる。嵐にも匹敵するそれは真空波を伴い、石畳を細切れにし、ラグナに迫る。
ラグナはその一部を盾で受け、身をかわす。どうにか手傷を負わずには済んだものの、大きく間合いを放されてしまうことになった。
詠唱後の隙を狙おうにも、魔力投射が鼻先を掠める。まさしく、鉄壁とも言うべき守りの堅さだ。
「――見事だ、セレン」
「……お世辞なんて嬉しくない」
「いや、本心だ。よく、ここまで練り上げた。お前ほどの努力家をオレは知らない」
セレンの杖が微かに揺れる。表情に変化こそないものの、セレンの動揺をラグナは見て取った。
狙ってのことではない。先ほどの称賛はラグナの本心だ。
共に旅をしていたころ、セレンは典型的な魔法使いだった。後衛から大威力の魔法を放ち、仲間を援護するそれが役割であり、戦い方だった。
それをセレンはわずかに半年で大転換してのけた。今のセレンとかつてのセレンとは別人と言ってもいい。
ラグナと同じ、たった一人で戦うための戦い方だ。それを身に着けるために、どれだけの血と汗が必要かはほかならぬラグナ自身が一番知っていた。
わずかばかりの静寂が二人の間に訪れる。どちらとも仕掛けることなく、互いの思惑を探っていた。
「……そう。でも、無駄だから。今更言葉を交わしたところで何も変わらない」
沈黙を破って、セレンが言った。言葉は強いが、杖崎はいまだに震えたままだ。
「……王国のためか? それとも、まさかと思うが、賞金の――」
「――馬鹿にしないで!!」
怒りと共に魔力が発せられる。強大すぎるほどの魔力が強固な結界を大きく揺らした。
セレンは人前で表情を見せることはめったにないが、実のところ感情豊かなことをラグナは知っている。しかし、これほどまでに明確に怒りを発した姿を見るの初めてのことだった。
「あたしが! そんなものに! そんなものに!!」
叫びと共に、セレンの魔力が猛り狂う。人のものとは思えぬ禍々しい魔力光が辺りを照らし出した。
ラグナは内心、己の失態を口汚くののしる。先ほどの失言がセレンの怒りに火をつけたのだ。
『黒炎、灼熱の帳、焦土の山』
三小節の詠唱が、形のない魔力に形を与える。
『冥界の黒き太陽』。暗黒魔法の極致の一つ。あらゆるものを焼失させるセレンの習得した魔法の中でも最大の威力を持つものだ。
「兄さんはいつもそう! あたしのことを見てくれない!」
「セレン……オレは……」
「でも、安心して。あたしが全部終わらせてあげる。」
セレンの顔に嬌笑が浮かぶ。
上位魔法の一部には、術者の感情に影響を及ぼすものがある。一流の魔法使いはその影響を遮断して魔法を行使するものだが、今のセレンはその影響を自分から向かい入れていた。
今のラグナにはこれだけの魔法を防ぐことはできない。逃げ場所もない。
「手足の二、三本は炭になるかもしれないけど、あたしが世話してあげるから!!」
セレンが腕を振り下ろす。黒き太陽が解き放たれる。
その瞬間、結界の内に侵入するものがあった。