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第九十二話 探り合い

 アリティアの提案に、応接室は水を打ったように静まり返った。


 兜の下でラグナは息を呑む。

 戦場で感じるのと同じ緊張感が場を満たしている。次に誰が口を開くかで、出方が決まる。


「……大罪人の所在、ですか」


 まず切り込んだのは、メイドにしてお目付役のオボロだ。

 それもただのお目付役ではない。年少のメリンダに代わり、彼女がギルドの実務を取り仕切っている。これほど重要に案件に際して、他の上役を呼びつけていないのがその証拠だ。


「まず、その情報の確度をお伺いたい。次に、情報の出どころ。そして、なぜその情報を王国騎士団ではなく我々に持ち込まれたのか、も」


 どれも当然といえば当然の質問だ。

 冒険者ギルドは目の前の餌に考えなしに飛びつくほど容易い相手ではない。


 アリティアもそんなことは無論、承知している。


「確度はわらわとわらわのしもべを信じていただくしかあるまい。なあ?」


 アリティアの合図に、ラグナは恭しく頭を下げる。慣れない演技に顔は引き立っていたが、兜のおかげで見られることはなかった。


「こやつはわらわの直参の家臣の一人で、ふくろうと申します。梟、挨拶を」


「……梟と申します。まずは顔を晒さぬご無礼をお許しを。この醜い素顔を皆様にお見せするのは、あまりに忍びなく……」


「……ああ、噂の『影』の方ですか」


『影』とは王国の暗部に存在するという組織の名だ。王国の各地に潜み、あらゆる情報を収集する名前のない影たち。彼らは歴史の裏側で暗躍し、王国に仇なすものを屠ってきたとされている。

 その影たちの唯一の特徴が、あらゆる人種、種族に変装できるようにその素顔をすべて削ぎ落としているというものだった。


「で、では、その兜の下は……あの……」


「はい。鼻も耳もそぎ落としておりますれば」


 自分で尋ねておきながら、メリンダは短い悲鳴を上げて拒絶する。兜の下の顔を想像するだけで彼女には十分すぎるほど恐ろしかった。


「ですが、この顔ならば……」


 そう言いながら、ラグナは兜に手をかける。心の中で覚悟を決めて、そのまま素顔を晒した。


「その顔は……!」


「大罪人のものでございます。彼奴目きゃつめを見つけた際に、顔を盗んでおいたのです。まあ、見苦しいことには変わりませんが」


 ラグナの言葉に、メリンダは目を白黒させる。驚きのあまり言葉もないようだった。


 これがアリティアの作戦だ。

 実際には、アルカイオス王国には『影』などという組織は存在しない。王国への叛逆心を抑制するために、流布された噂にすぎない。


 その噂をアリティアは利用した。

 ラグナを影の一員に仕立て上げることで自らの情報の信用度を上げ、万が一、ラグナの素顔が晒されることになっても言い逃れができるようにさえした。


 策士、とでもいうべきか。戦う力のないこの姫君にこんな側面があるなどラグナは知らなかった。


「もうよい、その顔はしまえ。見ていると肝が冷える」


「はい」


 ラグナは再び兜をかぶる。ボロを出す前に表情を隠せというアリティアからの助け舟だ。


「さて、これで三つの問いには答えました。お目付役殿、いかがですか? 身分の証明が必要なら、大騎士グスタブが宣誓してもよろしいですが」


「それは不要でしょう。宣誓なさったところでなんの証明にもなりませんし、情報も確かなものでしょう。ですか、だからこそ、解せません。そこまでわかっているのなら、なぜ王国に、いえ、なぜ国王陛下に御自らご報告なされませんのです? 大罪人を捕らえればこれ以上の手柄などありませんでしょうに」


「その答えならば簡単ですわ、お目付役殿。それでは、王国の利にはなってもわらわの利にはなりませんもの」


 あっけらかんとアリティアはそう言ってのけた。王国への叛意取られても仕方のない言葉だった。


「……なるほど」


 だからこそ、オボロも頷かざるをえなかった。本気でなければこんなことは口にしない、そう思わせるだけの背景がアリティアの発言にはあった。


「あなた方もご存じの通り、わらわの王位継承権は所詮名ばかりのもの。戦闘(ジョブ)適性さいのうを持たない以上、決して玉座につくことはない。であれば、こうしてあなた方と縁を結んだ方がわらわにとっては利がある」


 さらに、アリティアは畳みかける。この場の主導権を完全に握っていた。


「これから、王国は、いや、大陸は大きな変革を迎えるでしょう。魔軍とクザンを撃退したとしても、我が国の衰退はもはや避けられますまい。そうなれば、頼れるのは冒険者ギルドのみ。今からよしみを通じておくのは決しておかしなことではありますまい?」


 そして、最後の一手が打たれた。

 アリティアが口にしているのは、誰もが考えていながら決して言葉にはしなかった事実だ。

 クザンにここまで侵略された以上、王国の国力は否応なく落ちるだろう。そうなれば今まで従属してた諸外国も風向きを変える。

 確実に世界は変わる、誰もがその予感を抱いているからこそアリティアの言葉には説得力があった。


 ◇


 それから程なくして、交渉はまとまった。

 対魔族戦においてのみ、冒険者ギルドはその戦力を王国に貸し与えることを了承した。大罪人の情報はそれだけの価値があると判断したのだ。


 もっとも、冒険者ギルドとてただアリティアの口車に乗せられたわけではない。少なくとも一人は全ての欺瞞を見抜いていた。


 その人物は客の消えた応接室で従者と二人寛いでいた。


「ね、ねえ、オボロ、あの梟って人だけど……」


「はい、お嬢様」


「わたし、本物だと思うんだけど……どう、かな?」


 紅茶を口にしながら、メリンダが言った。

 主人の聡明さにオボロはほうと息を漏らした。彼女自身考えなかったわけではないが、まさかと切り捨てたいた可能性だった。


「どうしてそう思われるのですか? アルカイオスの姫君が大罪人を連れているなど一大事ですよ」


「でも、アリティア様ならそれくらいやるんじゃないかなって思うの。だって、失うものがない人だし」


「……ご慧眼です」


 これもまた事実だ。ロンドという婚約者を失った今のアリティアには何の政治的立場もない。王女としての権威はあるものの、お飾りにしかすぎないことは誰よりも彼女自身が理解している。


 ゆえに、彼女にはなんでもできる。現に、王女という立場さえ彼女は利用している。であるならばーー、


「その上で、彼らに力をお貸しになるのですか?」


「うん。先に魔軍とクザン、少なくとも魔軍だけでも追い払わないと政治どころじゃないし。今、ユウナギさんやグスタブ卿を相手にしても勝ち目ないし。でも、先に打てる手は打っておく。落ち着いたあと、わたしたちで大罪人と聖剣を確保しないといけないしね」


 末恐ろしい、とオボロは目を輝かせる。

 成人さえしていないというのに、メリンダの政治的手腕はとびぬけている。単純な策謀、計略の類では父親のそれすらすでに上回っているだろう。


 一方で、面会の際に見せていた怯えた態度も演技ではない。怯えながらも思考を巡らせ、相手の狙いを見透かしていたのだ。


 いずれ長じれば彼女が大陸の趨勢を握ることになる、そう見込んだからこそオボロはメリンダと主従の契約を結んでいた。


「で、でも、どうだろう。本物だとしたら、アリティア様の狙いが読めない。本当にこの国を守ろうとしてるのかな? 大罪人に頼ってまで? あんな扱いを受けてるのに?」


「さあ、私のような根無し草には何とも。ですが、私の国にもいましたよ。利も、己も、命さえも投げうち、義に殉じる大馬鹿ものが」


 オボロの声には彼女らしからぬ郷愁が微かに滲んでいる。それをあえて無視して、メリンダは冷えた紅茶に口を付けた。


 義に殉じる大馬鹿者。王都という魔窟で生きてきた彼女にとってそれは遠い陽炎のようなものだった。




 



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