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第九話 二人の夜

 リエルの知る遺跡は、集落から約一日の場所にあった。

 そこまでは荒涼とした大地が続き、人も魔物も普段は近づかない。ダークエルフたちの伝承では『忘れられた土地』と呼ばれていた。


 伝承に曰く、その場所には遥か昔、都があったという。その都には大陸中から知恵者が集い、栄華を極めていた。そうして、ある日、ある魔法使いが研究の末、神々の領域に手を掛けようとした。

 神々はその不遜さに怒り、都市そのものを滅ぼした。ゆえに、都市の跡は草木も育たぬ場所になった。神々の怒りがいまだに冷めやらぬ証拠だとダークエルフたちは今も恐れている。


 ラグナとリエルはそんな場所へ向かっていた。


 リエルの案内は正確で、魔物の痕跡に遭遇しても彼女の足が止まることはなかった。幼いころ、母親に連れられて遺跡を見に行った時の記憶が今も鮮明だったおかげだ。

 

 リエルはこの荒野を愛している。何もない地平線に残る母の思い出が彼女の人生を支えていた。

 村の中で、リエルの母親だけはこの荒野を恐れなかった。彼女は冒険と称して何度も娘をこの場所に連れ出していた。村の周辺しか知らない娘に世界の広さを少しでも知ってほしかったのだ。


 そのおかげでリエルは足場の悪い荒野を進むことを苦と思わなかった。それどころか、生まれ育った村を離れることへの不安さえ薄らいでいくようだった。


 だが、どれだけ意気軒高でも彼女の身体は幼い。半日も歩くと息が上がりだした。


「……今日はここらへんで休もう」


 日も暮れかかるころにラグナが言った。リエルの状態を見かねてのことだった。


 それからすぐに野営の準備が整えられた。ラグナはいつも最低限の道具を持ち歩いており、リエルもこういった野宿には慣れていた。


 夕食となったのは、リエルが小屋から持ち出した干し肉を入れたシチューだ。味付けもリエルが行った。


 リエルとラグナはそれを無言で平らげた。会話の一切ない食事は非常に気まずいものだったが、ラグナもリエルもその種の気まずさには慣れていた。


 問題は、慌てて出たせいで毛布を一枚しか持ち出さなかったこと。リエルはラグナに譲ろうとしたが、ラグナは彼女がそれを口にする前に岩に背を預けて俯いてしまった。


 リエルはラグナが寝たのだと思った。『よい戦士はどんな場所でもすぐに眠り、どんな時でも腹いっぱい飯が食べられるものだ』という母の言葉を彼女は思い出していた


 一方、リエルはいつまで経っても眠れる気がしなかった。

 目をつむると今日までのことが瞼の裏に浮かぶ。魔物と戦うラグナの姿、血走った同胞の目、誰もいない住み慣れた小屋。何もかもが夢のように感じて、同時にそれこそが現実なのだと実感してしまう。


 それが嫌で、リエルは焚火を眺めていた。揺らめく炎を見つめていると心が落ち着いていく。リエルは人間の冒険者の位階の由来が夜の闇を照らすものにあるという理由が少しだけ理解できた気がした。


 リエルは、ふとどこかに生きているかもしれない父親のことを思い出した。

 父については母から伝えられたことしか知らないが、それでも冒険者だったことは知っている。

 母は自分を捨てた父を恨んではいなかった。そのことがどうしてもリエルには理解できない。『お父さんには使命がある』、そんな母の口癖さえリエルにはどこか虚しいものに思えて仕方がなかった。


 だが、今は、少しだけ母の想いがリエルにも分かった。岩の側で眠るラグナの姿を見ているとそんな気がした。


 ラグナもまた使命を帯びている。ラグナと言葉を交わしたことはほとんどないが、リエルにはわかった。


 ラグナは今も満身創痍だ。青鱗兵団との戦いの傷は完治していない。普通なら痛みと疲労で動くことさえままならない。


 それでも足を止めないのは、何か別のものが彼を支えているからだ。

 それが使命だ。やるべきことがある限り、きっとラグナは倒れない。少なくともリエルはそう信じていた。

 きっと母が愛した父もこんな人間だったのだろう、そんな感慨さえ覚えていた。


「……眠れないのか?」


 突然声をかけられて、リエルは飛び上がりそうになった。

 続いて耳まで真っ赤になる。じっと見ていたことを知られていると思うと、いっそのこと毛布を放り捨ててこの場から逃げ出してしまいたかった。


「……は、はい」


 リエルは消え入りそうな声で答える。心の中では、起きているならそう言ってくれと恨み言を繰り返していた。


 目をつむりながらも周囲を警戒するのは、ラグナの昔からの癖だ。例え休んでいてもタンクとしての役目を果たそうと試行錯誤した結果、見ていなくても人の動きや魔物の足音くらいは把握できるようになっていた。


「怖いのか?」


「い、いえ、そういうわけじゃない、です」


「…………不安か?」


「………………はい」


 ラグナに聞かれて、リエルは初めて自分が不安になっているのだと理解した。

 無理からぬことだ。今のリエルには己の状況を顧みる余裕さえない。今この瞬間にどうにか適応するので精一杯だった。


「……そうか」


 それだけ言うと、ラグナは再び黙り込む。しばらくそうしていたかと思うと、突然重々しく口を開いた。


「……昔、馬鹿な男が一人いたんだ」


 ラグナが一体何を始めたのか、リエルには一瞬理解できなかった。


「……そいつは、融通が利かず、短絡的で、才能のない凡庸な奴だった。そのくせ、無駄に使命感は強くてな。いつも何かをしなければと焦って失敗ばかりしていた」


 ほとんどただの直感だったが、リエルにはラグナが自分のことを話しているのだとわかった。ラグナが自分以外の誰かをここまであしざまに言うのが想像できなかった、というのもあった。


「そいつ自身、自分に何の才能もないことはわかってたんだ。誰に言われなくてもな。それでも、男は努力し続けた」


「……どうしてですか?」


 リエルにはラグナのことが理解できなかった。より正確には理解したくなかった。

 村のはずれでつましく生きていくためには無意味なことをしているような余裕はない。どうせ無駄だとわかっているのなら何もしないことが正しいのだと彼女は信じようとしてきた。

 唯一の例外は死にかけたラグナを助けると決めた時だ。


「それしかなかったからだ。たとえ無駄だとしても、たとえ何の意味もなくても、進み続けることだけがそいつにとっては自分が自分である証明だったんだ」


「……証明」


「そうだ。そうしないと生きていけないって言ってもいい。飯を食うのや、水を飲むと同じだ」


 ラグナは淡々と言った。

 今更後悔するほど初心ではない。この先どうなろうと引き返す気は毛頭なかった。


 けれど、リエルは違う。彼女にはラグナの生き方がひどく辛いものに思えた。

 もし、進み続けた先に何もないとしたら。誰からも認められず、一人で死んでいくのだとしたら。そんな結末はあまりにも悲しすぎる。例えラグナ本人が受け入れていたとしても、リエルはそれを否定したかった。


「……だが、そんなやつにも助けてくれる仲間がいたんだ。どれだけ失敗しても、諦めずに手を差し伸べてくれる友が」


「…………友達」


「そうだ。その友達は………」


 ラグナはそこで初めて言葉に詰まる。夜空を見上げて、静かに思い出を振り返った。


「友達は、すごいやつだった。そいつがいるだけでできないことなんてないってそう思えるくらいに。男はその友達のおかげで道を見つけることができたんだ。自分の命を懸けられる場所をな」


「……よかった、です」


 リエルは心からそう答えた。

 自分を助けてくれた人に助けてくれる誰かがいる。その事実に彼女は心から安堵した。今はラグナは一人だが、彼は孤独ではないのだとそう思うことができた。


 途端に、瞼が重くなる。起きていようと目をこすっても眠気には抗えなかった。


「だから、大丈夫だ。君は勇敢だから、きっとそんなやつがいつか――」


 ラグナは言いながら、リエルが寝息を立てていることに気づいた。


 焚火に照らされた寝顔が安らいでいるのを見て、ラグナはひどく久しぶりに安らぎを覚えた。

 この時初めてラグナは、守れなかった友の、勇者ロンドの代わりができたと、そう思うことができた。

 

 誓いは固く、使命は重い。けれど、その過程で守れるものがあるのならラグナにはそれで十分だった。



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[良い点] ここまでの感想で、まず主人公の性格が寡黙・誠実であり変に奇をてらったものでなく好感を持てます。 もちろん主人公ですので、一般的な範疇を超えた強靭さも同時に読み取れますが、自分はすごく好きな…
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