第八十八話 射手
馬車は進む。燃える王都に向かって真っすぐに。
「シスター殿! どうか!」
「わかっている!」
グスタブに請われ、シスターも窓から身を乗り出す。彼女の眼ならばはるか彼方の王都の様子もつぶさに見て取れた。
「燃えているのは城ではなく市街だ! 火の手は三か所!」
シスターの報告に、アリティアは胸をなでおろす。城そのものから火が上がっていないということは、まだ落城はしていないということだ。
自然と両手を合わせて祈っていた。電神の加護はまだアルカイオスにあると安堵した。
「火元は見えますか!?」
「この角度では見えん! だが、ほかのものは見える! 飛竜だ! かなりの数だ! 城の向こうにも見える!」
「飛竜だと!?」
だが、続く報告は衝撃的なものだった。特にアリティアにとっては悪夢の具現といってもよかった。
王都は万全の守りを強いている。
城壁には多重魔導防壁が張り巡らされ、城内の水源を守るため結界は地下にまで及んでいる。
しかし、空からの攻撃は想定していない。アリティアはグスタブを通して備えるべきだと何度も提言したが、まともに取り合ってはもらえなかった。王都の周囲に空を飛ぶ魔物は出現しないから、と。
それに加えて、空を飛べる魔物だけではそこまでの脅威ではないというのもある。竜種でもなければ、城の防壁を傷つけることはできない。
だが、それを覆しうる戦法をアリティアは知っている。古文書においてかつて一度だけ使われたとされるその戦い方は空挺降下と呼ばれていた。
「シスター殿、飛竜の上に何か乗っていないか!?」
「飛竜の上? 少し待て」
シスターが目を凝らす。そうして、数秒もしないうちにそれを見つけた。
「居た。騎手、か。あれは」
「クザンですか!? それとも――」
「魔軍だ。いつの間にかクザンが小鬼を配下にしてのでなければ、な」
「では、街に降りているのは……」
「魔物だな。小鬼どもだ」
シスターの報告に、アリティアの顔が青ざめる。相手が魔軍であれ、クザンであれ、脅威であることには変わりない。むしろ、その目的を考えればクザンの手のものの方がまだよかったかもしれない
空挺降下は、何らかの飛行可能な乗り物を使って敵の拠点に直接兵力を送り込む戦法だ。
ヴィジオン大陸で空からの奇襲を想定しているような場所は少ない。輸送手段さえ確保できれば、戦場の常識を一変させかねない。
それだけの高等戦術を魔軍が用いている。アリティアやグスタブにとっては言葉を失うほどの衝撃だった。
すぐさま動けたのは、ラグナだけだった。
「シスター、門の位置は! 見えるか!?」
「見える範囲にはない! どうする気だ!?」
「ここから聖剣で薙ぎ払う! 少しでも数を減らす!」
扉を開き、ラグナは馬車の上に這い上がる。聖剣を抜き放ち、狙いを定めた。
ラグナの両手には星光の籠手がはめられている。出力を絞れば、反動にも少しは耐えられる。
もっとも、王都の上空を埋め尽くす飛竜はたった一度の開放で薙ぎ払えるような数ではない。
それでも、やるしかない。ラグナにしてみればいつものことだ。
「おお、それはありがたい! 頼んだぞ、ラグナ殿!」
グスタブの言葉に、ラグナは微笑む。憧れの大騎士に頼られるなどこれ以上の名誉はない。
右半身を引き、聖剣を開く。魔法のおかげで足場は安定している。これならば狙いは外さない。
魔力が収束し、空間が歪む。聖剣が放たれる直前――、
「――待て」
シスターが声をかけた。
いつの間にか馬車の上に昇っている。左手には弓が握られていた。
「どけ」
ラグナが反応するよりも先に、シスターは彼を押しのける。そのまま左手で弓を構えた。
「シ、シスター!?」
「私が代わりにやる。お前は見ていろ」
有無を言わせぬ気迫がシスターにはあった。シスターが弓を使うことはラグナも知っているが、実際にその姿を見るのはこれが初めてだった。
『――現れよ』
シスターが呪文を唱える。手にした弓に七色に輝く弦が張られた。
先ほどまでみすぼらしく見えた弓も輝きを放っている。シスターの手にあることで、息を吹き返したかのようだった。
右手で弓を持ち、左手で矢を番える。翠色の双眸ははるか彼方の標的を過たず捉えていた。
弓を構えるその動作は、あまりにも美しく、無駄がない。武術に精通するものならば、レベル以前に否応なくその技量を見て取れるだろう。
「――すぅ」
深い呼吸の音が、馬車の上に響く。次の瞬間、矢は放たれた。
黒い鏃は音の壁を破り、夜空を駆ける。一条の流星の如きそれは王都の上を飛ぶ飛竜を貫き、赤い魔力光を放った。
続けざま、シスターは矢を番える。放つ度に、王都の空に赤い星が現れた。
一射につき、十体近い飛竜が落ちる。騎乗している魔物どもも同じくだ。
驚くべきは、弓の技量そのものだ。
威力だけならば高レベルの弓使いならば再現は容易い。だが、この距離で矢を届かせ、皆中させるなど人間業ではない。
通常、弓使いの射程は最大でも三里だ。それを過ぎれば、戦技による誘導も補正も機能しない。そもそも、理がそこまでの超長距離射撃を想定していないからだ。
疾走する馬車から城までは十里はある。つまり、シスターは純粋に己が目と技量だけで矢を中てているのだ。
まさしく神業。大陸最高位の弓使いに強化魔法を重ね掛けしても、再現は不可能だ。
「――っ」
無論、シスターとてかつての技を完ぺきに再現できているわけではない。
これほど連続して矢を射るのはほぼ五十年ぶりだ。奪われた腱を魔力による強化で補っているが、それでも一射ごとに両腕が悲鳴を上げていた。
「シスター! 無理は――」
「お前が言えた義理か! いいから兜をかぶって備えてろ! ある程度まで近づいたら、お前たちを飛ばす!」
「と、飛ばす!?」
止めようとするラグナを突っぱねながら、シスターは何もない場所から矢を取り出す。
弓使いの基本戦技の一つである魔力による矢の作成だ。その速度も精度もけた外れだ。
だが、ここから狙えるのは空を飛ぶ飛竜だけ。すでに地上に落ち賜物は建物が邪魔で狙えない。
「グスタブ、お前も上がってこい!」
「承知!」
馬に任せて、グスタブも馬車の上にでる。王家の一角獣は自ら思考し、王都へ帰還するように訓練されていた。
「数は減らした! 二人とも、姿勢を低く! 着地は自分たちで何とかしろ!」
わけも分からぬままラグナはシスターの指示に従う。
瞬間、馬車の上に魔法陣が出現する。シスターの両腕に魔力が集中し、戦技の前兆を告げた。
さらなる長距離攻撃か、とラグナは身構える。姿勢を低くしろというのだから、何らかの衝撃を伴うことだけは予想できた。だが、身元を隠す梟の兜をかぶれ、というのは意味が分からなかった。
『入射角、確定。突入角、算定。弾道、形成』
シスターが呪文を唱える度に、魔力が猛りを上げて収束していく。
魔法とも、戦技とも違うその行程は、聖剣が起動する様とよく似ていた。
『射出術式、完成』
そうして、術式が完成する。魔法陣が斜めにせり上がり、輝きを増していく。
「まさか……!」
瞬間、ラグナはこれから起こることを予期した。困惑と興奮がないまぜになり、歯の根が浮くような気がした。
空を飛ぶのも、落ちるのもこれが初めてではない。だが、矢のように射出されるというのは未経験だ。
魔法陣の輝きが最大へと達する。次の瞬間、凄まじい圧がラグナの全身へと圧し掛かった。
飛んでいる。周辺の景色がまさしく矢のような速度で流れていった。
弓使いとしての戦技の応用。シスターはラグナとグスタブの両名を矢として認識することで、魔力の発射台で投射したのだ。
人間を投石機で飛ばすようなものだ。着地のことなど想定していない。
「――っ!」
凄まじい風と衝撃に揉まれながら、ラグナは嗤う。盾を展開して姿勢を制御してみせた。
無茶無謀は慣れたもの。それで救えるものがあるなら、ラグナには十分だった。