第八十七話 白亜の城、遠く
王都ケラウノスはアルカイオス王国のちょうど中央に位置している。
その歴史は三百年と古く、白亜のガレアン城は一度として敵に踏み込まれたことはない名城として知られていた。
比較的攻め込まれやすい平城でありながら、それだけの堅牢さを誇っているのは要害たるイオライの砦以外にも二つの強みがあるからだ。
一つは、冒険者ギルドの存在。現在ギルドの本部はガレアン城内にあり、その存在そのものが他国に対する抑止力となってきた。ギルドの掲げる絶対中立がいかに空虚なお題目なのかは皆が知るところだ。
もう一つは、聖剣教会という権威。教会にとってアルカイオス王国は重要な後ろ盾の一つだ。王都には大聖堂もあるため、危機に陥れば当然彼らはアルカイオス側に味方する。そうなれば、近隣の聖剣教園の国家も味方となる。
単純な国力だけならば三倍以上の差があるクザン帝国の侵攻を幾度となく退けられてきたのは、これらの壁があるからだ。
しかし、今回の戦いにおいてはそれらの壁がことごとく機能していない。
魔軍への対応と大罪人追討のため、冒険者ギルドの戦力は王国各地に分散している。頼みの綱の星の冒険者たちもそのうち二人が行方が分からず、一人は追放されてしまった。
これではクザンの大軍勢をためらわせるほどの抑止力にはなりえない。
聖剣教会に関しても、今回は表立った動きを見せていない。大司祭アリアナ・へカティアルを筆頭に主要な聖職者たちは大聖堂にこもって姿を表せない。何らかの秘儀を執り行っていると噂されてはいるものの、王国側にしてみればいつ完成するともわからないものを当てにしてはいられなかった。
さらに、加えてもう一つ。王国軍の士気の要、否、王国そのものともいえる国王ガイウス四世の不在という異常事態が王都には起こっている。今はまだ限られたものしか知らないが、市井に噂が広まるまではそう長くはない。
対するクザン帝国は万全の態勢を敷いている。
三人の獣将率いる五万の大軍。イオライ砦という軍事拠点。最大の懸念事項であった兵糧問題もイデルカルナの食糧庫を確保したことで解決している。
クザン帝国の歴史においてもこれほどの大戦力は類を見ない。現皇帝、雷王帝の権勢そのものといってもよかった。
その大軍勢は現在、イオライ砦の周辺、オリンピア平原に留まっている。
現在は冬、雪解けを待って一息に王都を蹂躙せんとしているというのが大方の見方だった。
そして、蠢動する魔軍。その目的は定かではないが、魔物による被害は着実に広まっていた。
「……いずれにせよ、王都は風前の灯火ということじゃ」
揺れる馬車の中で、アリティアが言った。その声には口惜しさと悲しみが同居していた。
牡牛の馬車は王都へ向かう道の途上にある。二頭立ての一角馬は驚異的な速度で道を進んでいた。
馬車には、ラグナ、アリティア、グスタブ、そして、シスターが乗っていた。
馬車の内部は、収納魔法の応用で見かけよりも見た目よりもかなり広々としている。まるで最高級の宿の一室がそのまま移動しているようだった。
「……そんなことに」
「そなたが聖剣を盗んで以来、王都は変事続き。民の中にはこの世の終わりが来たのだと噂するものまでおる始末じゃ」
「この世の終わり……」
世迷言を、と笑い飛ばす気にはなれなかった。
ありえないはずの勇者の死に始まり、かつてないほどの魔軍の侵攻に大陸全土を巻き込む大戦乱。何もかもがよくない方向に動いていた。
「大袈裟だな。もし仮に魔軍が地上を占領したとしてもそれは世界の終わりではない。人の世が終わるというだけだ」
重苦しい空気をシスターが破る。彼女の右手には古びた弓が握られていた。
もしこの場に鑑定のスキルを持つものがいれば、その弓の正体に腰を抜かしていただろう。
「シスター……」
「事実を言っただけだ。私は種族や国には肩入れしないからな」
そう言いながらも、シスターは今回の旅に自ら同行を申し出ている。それが誰を慮っての行動なのかはだれの目にも明らかだった。
ユウナギやベルナテッド、マオやバルカンも動向を願い出たが、あえなく却下された。
王都に潜入するには、ユウナギやベルナデットは目立ちすぎる。亜人種であるマオやバルカンではなおさらだ。
ましてや、今は捕虜も取っている状態だ。彼らの監視のためにも戦力は残しておかなければならなかった。
その点、シスターであれば問題はない。王都においてもエルフは例外的に居住が許されているし、シスターとして怪しまれない程度の演技はできる。ラグナの心情を無視すれば、最適な人材と言ってもいい。
もちろん、それだけで納得するような者たちではない。説得にはそれ相応の時間と材料が必要だった。
幸いにも、ラグナたちには万能戦艦がある。非戦闘員を降ろし、食料と仮設の住居を用意し次第、近隣で待機する手筈になっていた。
それまでは、どんな状況もラグナとシスターの二人で乗り切らねばならない。
「シスター殿はそうおっしゃられるが、此度の戦はラグナ君にとっても良い機会となりましょうぞ。魔軍を打ち払い、王都を救えば正式に勇者としての宣下を受けられるやもしれませぬ」
御者をしているグスタブがそう付け加える。王家の飼うユニコーンに鞭を入れる必要はないが、見張りも兼ねて自ら買って出ていた。
「そういうのをな、市井では寝言というのだ。こ奴は聖剣教会からも破門されているのだ。例え王が許しても、教会が許さん」
「聖剣さえ戻れば教会もそこまでの強硬姿勢は取らぬかと。奴らも所詮は拝み屋です。必要以上は求めますまい」
「それが甘い。教会は異端を許さん。今も昔もそこだけは変わっていないはずだ」
グスタブと対等か、それ以上の態度で言葉を交わすシスターにラグナとアリティアは眉を顰める。二人の関係については二人とも疑問に思っていた。
「……ラグナ、あのシスターという御仁何者なのじゃ?」
声を潜めて、アリティアが尋ねる。答えがすぐには浮かばず首を傾げた。
「オレ……いや、私の育ての親です。故郷で孤児院を営んでいたのですが……それ以前のことは私も……」
「エルフの寿命を考えれば、方々に知り合いがいたとしても何らおかしなことないが……それにしても、ずいぶん親し気じゃな」
「私もあんなシスターを見るのは初めてです。どこか、生き生きしているというか、なんというか……」
そう答えながら、ラグナは少しだけ胸をなでおろす。
今回のことではシスターに多大な心労を掛けてしまった。こうして同行してもらっている身で言えたことではないが、少しでも何か彼女にとって益になるのなら少しは自分を許すことができた。
「何を見ている? 気色悪いぞ、ラグナ」
「…………いや、なんでもない」
視線を伏せて、ラグナは緩みかけた頬を隠す。
シスターのこともそうだが、こうして王国の人間と穏やかな時間を過ごすことがあるなど思ってもみなかった。
馬車はすさまじい速さで街道を進んでいく。単純な速度ならば空を飛ぶ飛竜のそれにも匹敵するだろう。クザンの獣騎兵でも追い縋ることは不可能だ。
だというのに、馬車の中は驚くほど快適だった。幾重にもかけられた制御や守護の呪文が揺れや傾きを補正したいからだ。
日が沈むころには、谷を抜けてオリンピア平原へと差し掛かった。
ようやく水平線に王都が現れる。その瞬間、ラグナの背筋に悪寒が走った。
続けて、フードの奥でシスターの耳が動く。グスタブが叫んだ。
「――王都が燃えている!」
ラグナもまた窓から身を乗り出し、前方に目をこらす。
たしかに火の手が上がってる。白亜の城が紅蓮に照らされていた。