第八十六話 決意
「聞くに堪えぬ。見るに堪えぬ。牡牛の角の誇りも地に落ちたか」
シスターの断言に、アリティアは呆然としている。面と向かって批判されるのは初めてのことだった。
「そもそも、イオライが落ちたのも、クザンに国境を越えられたのも、王国の無能ゆえだろう。それとも、本来、中立なはずの勇者の力がなくては国も守れぬほどにアルカイオスの兵は脆弱なのか?」
今度はシスターが容赦なく責め立てる。長い間、王国の趨勢を目にしてきた彼女にしてみれば、アリティアの物言いは我慢のならないものだった。
「ぶ、無礼な……!」
「無礼? 押しかけておいて、その上、自らの無能を棚に上げ、相手を面罵するのは無礼ではないのか。ああ、そうか、私の知らぬ間に王族としての品位も売りに出したのだろうな」
「な、ななな……!」
怒りのあまり、顔面蒼白となるアリティア。怒鳴り返そうとしても、言葉にならなかった。
しかし、シスターの怒気はアリティアのそれなどとは比較にもならない。怒りが全身から気炎のように立ち昇り、ほかの全てを圧していた。
ジルはおろか、ラグナでさえも口を開くことができない。これほどまでに怒っているシスターを見るのは初めてのことだった。
「いや、そうかそうか。そういえばアルカイオス王家の血筋には――」
「射手殿、どうかそこまでにしていただきたい」
唯一、グスタブだけが毅然と割って入った。百戦錬磨の彼をして、肝の冷える瞬間だった。
ましてや、相手がかつての憧れともなればなおさらだ。
「私をその名で呼ぶな」
しかし、仲裁のはずの一言がシスターの逆鱗に触れる。怒りは殺気へと変わり、グスタブ一人へと向けられた。
「ご無礼を。しかし、我輩にとって貴方様はかわらず射手なのです。どうか、お許しを」
「……今はただのシスターだ。お前もそう呼べ」
「では、シスター殿、と」
グスタブは動じずに、シスターをなだめる。
王家への侮辱をこれ以上見過ごすことはできないが、それ以上にここでシスターと矛を交えることは避けねばならなかった。
「姫の御無礼はどうかお許しを。平素であれば、このような物言いは致しますまい。それだけ、我らも必死なのです」
「それこそ詭弁だな。本当に王都が危機にあるなら、なぜおまえがここにいる。大騎士グスタブは守りの要ではないのか?」
「これまた耳が痛い。だからこそ、できるだけ早く王都には立ち戻らねばならんのです」
「だとしても、ラグナ一人加勢したところで何が変わるというのだ。勇者の代わりと言っても、こ奴とロンドでは雲泥の差があると思うが?」
シスターの言葉に、ラグナが項垂れる。紛れもない事実であるだけに返す言葉もなかった。
ラグナは強くなった。聖剣も使えるようになった。それでも、本来の勇者の力には及ばない。
勇者とは無限に強くなり、決して死なぬもの。ひとたび力及ばす敗れたとしても、二度目、あるいは三度目には必ず勇者が勝利する。この世界そのものの仕組みが彼らに味方するのだ。
そんな加護はラグナにはない。切り札である聖剣でさえ、ひとたび振るえば消えぬ傷を残してしまう。世界の理から外れても、結局ただの人間に過ぎないのがラグナだ。
「………王都の周辺に門が開いているのだ。それも、複数」
アリティアが言った。シスターの威圧が緩んだことで、落ち着きを取り戻したようだった。
「仔細をお聞かせください」
「まて、ラグナ。王族とは嘘を吐くものだ。これも本当とは――」
「――シスター」
今度はラグナがシスターを抑える。
門が開いているということは、魔軍の侵攻が始まっているということだ。であれば、ラグナにとっても無関係とはいえない。
「イオライの陥落と時を同じくして、王都の近辺にいくつもの門が開いた。一つ一つは小さく、いまだ軍と言える規模のものは現れてはいないが、魔物どもは日に日に数を増やしている」
「…………魔軍は王都を狙っていると?」
「わらわと爺はそう見ている。事実、魔物どもはクザンの軍勢を無視して、王都の壁に殺到しておるしな」
魔物には人口密集地へと向かう習性がある。しかし、近くの軍勢を無視して王都に向かっているとなれば話は別だ。
魔物を統制できるのは、魔軍のみ。王都は名目上、対魔軍の根拠地だ。魔軍が狙ったとしても何も不思議はない。
「……クザンが、魔軍と繋がっていると?」
「その可能性は高かろう。彼奴等は汚らわしい半獣だ。人よりも魔物に近い以上、どんな卑劣な真似もしかねん」
アリティアの物言いに、シスターとジルが眉を顰める。
聖剣教の教徒でもあるアルカイオスの王族には人間以外の種族を下に見る風潮がある。普段は明確に差別こそしないものの、敵のクザンが相手となれば口汚くもなる。
もっとも、シスターに言わせれば、そういった聖剣教の偏狭な教義こそが全ての問題の大元だった。
「……当代のクザンの皇帝はかつては放蕩皇子とも呼ばれた男だそうで。そこから帝位に着くまでありとあらゆる手を使って成り上がったと聞きます」
グスタブの声には隠しきれない重さがあった。築き上げてきた戦歴が彼に警告していた。
「此度のクザンは何かが違う。攻め手の苛烈さも、策の周到さも、これまでにない何かがある。だとすれば、あるいはーー」
「だとしても、ラグナが戦う理由にはならん。お前たちで乗り切るべきだ。アルカイオスにまだ、誇りがあるのならな」
「しかし、門を閉じるには聖剣を用いるしかありませぬ。もし仮に、王都の近辺に巨大な門が生じれば、他に抗する方法はなく……!」
「知ったことではないと言っている。そもそも、ラグナは国賊なのだろう? そんな輩の手を借りねば滅びる国なら、滅べばよいのだ」
シスターはあくまで冷徹にそう言い切る。彼女にとってこの問題に議論の余地などない。
だが、その裏にある悲しみと苦しみに、ラグナは気付いた。
シスターは冷淡な人物ではない。それどころか、本来はいつくしむ深く、誰よりも暖かな心の持ち主だ。そうでなければ、孤児院を営みなどしない。
国が滅べば民も無事では済まない。王都には十数万にも上る民草が住んでいる。
では、なぜ彼女がこのように振舞っているのか。その理由は息子であるラグナには明白だった。
「シスター、オレのことは心配しなくていい。だから――」
「お前は黙っていろ。こ奴らはな、お前に聖剣を振るえと言っているのだ。その意味するところさえ知らずにな」
ラグナとてそれはわかっている。
死など最初から覚悟している。恐れたこともない。為すべきことを為した後ならば、いつでも投げうてる。
だが、シスターにしてみればそれこそが問題なのだ。
王都での戦いでは間違いなく聖剣の力が必要になる。そうなれば、ラグナの魂はまた傷を負う。ともすれば、反動で命を落としかねない。
そうだとしてもラグナは躊躇わない。民を救うためならば、迷いなく聖剣を振るうだろう。
ゆえに、彼女はこうして一人で抗っている。例えラグナ本人が望まずとも、息子の命を守るために。
「……殿下、軍はなにをしているのですか」
「城内を固めているだけだ。イオライを落とされた以上、ほかに戦いようがない。兵も、兵糧も足りんのだ」
「では、ほかの街の民は……」
「クザンの捕虜か、あるいは、魔物の餌であろう。どちらにせよ、犬死よな」
ラグナの目に決意の火が灯る。
シスターの心は理解できる。それを裏切ることが心苦しくないわけではない。
この村での安らぎも愛おしく思っている。ユウナギにベルナテッド、リエル、村の人々や鉄の空のものたちと過ごす日々はどんな宝とも変えられない。
だが、それらすべてに使命が優先する。ロンドを救えなかったその時から、誓いは揺るがない。




