第八十五話 咎
王族の来訪を知らされた山猫族は上から下まで大騒ぎになった。
急遽、街の中心の公会堂が御座所として用意された。万が一にも失礼がないようにと最大限の飾り付けが施されたが、王都のそれに比べれば見劣りするのは否めなかった。
くわえて、客を迎えた以上はもてなさないわけにはいかない。村長は倉庫の奥から最高級の茶葉を引っ張り出し、細心の注意を払って、最も高価な茶器に茶を淹れた。
問題は、その茶を誰が給仕するかということ。相手が王族である以上給仕する側にも相応の格が求められるが、辺境の村に王室に通じるほどの礼儀作法を収めたものなどいるはずもなく、困り果てた村長はある決断を下した。
すなわち、ラグナ達への丸投げを。
「なんであたしらが王族のお茶くみなんてしなきゃいけないんだよ。あほらしい」
「口が悪いぞ、ジル。仕方があるまい、王族相手の礼儀作法に通じているのが我ら二人しかいなかったのだから」
シスターが言った。彼女の持つ数多の経験の中には王族との会食も、あるいは、王族としての正しいふるまいも含まれていた。
対するジルの経験はあまり思い出したい類のものではない。
彼女の歴代の所有者の中には他国の王族も含まれていた。その際に、そういった礼儀作法については文字通り叩き込まれていた。
もっとも、妖精である彼女には給仕などできるはずもなく、シスターの付き添い、あるいはにぎやかし程度の役割だった。
「て言ったって、あたしはただ口も利かずに、身じろぎもせずに突っ立てるだけだろ? バカにもできるよ、そんなの」
「それが意外と難しいのだ。王族というのは大抵、性根が悪いからな。ユウナギは問題外だが、ベルナテッドもあれで直情型だからな。お前が一番適役だ」
言いながらシスターが扉を叩く。
公会堂の奥にある応接室だ。乾いた音が三回響いた。
「うむ、入られよ」
部屋から返ってきたの声に、シスターは一瞬眉を顰める。
聞こえないようにため息を吐くと、扉を開いた。
部屋の中には、三人がいた。上座には姫君が座り、その背後には老騎士が立っている。対面にはラグナが落ち着きなく座っていた。
老騎士はシスターの姿を認めると、目を見開いた。
「なんと」
「……僭越ながら、お茶をお持ちしました」
そんなグスタブを無視して、シスターは淡々とお茶を配膳し、毒見をしてみせる。それが済むと、入り口の側に静かにたたずんだ。
ラグナが助けを求めるようにシスターに視線を送る。それさえも無視して、シスターは無言を貫いた。
そんなシスターを怪訝に思いながらも、ジルも彼女の隣に留まった。
沈黙が訪れる。戦場のような緊張感にジルは息を呑んだ。
「知らぬ味だな。民草は普段からこのようなものを飲んでいるのか」
出された茶に一口つけてから、姫君が言った。機嫌を損ねてはいないが、村秘蔵の茶葉も彼女の下にとっては有象無象の一つでしかなかった。
「それに妖精を見るのも初めてじゃ。実に愛い。許す、近こうよれ」
「……いえ、わたくしなどは畏れ多く」
「よい。近こう、近こう」
あくまでそう命じるアリティアに、ジルは反射的に舌打ちをしそうになる。妖精体で顔が見えなかったのは、両者にとって幸いだった。
仕方なしに、ジルはアリティアに近づく。指先が触れるか触れないかの距離に漂った。
「ほう、本当に羽根があるのだな。よきかな、そなた、わらわに――」
「殿下、一つだけお尋ねしたいことがあります。どうか、お許しを」
ラグナが割って入った。これ以上、ジルとアリティアを会話させたところで問題しか起きないことは分かりきっていた。
「許す。申せ」
「いかにして私めの居場所をお知りになったのか、どうかお聞かせいただきたく」
「それか。なに、難しいことはないぞ。単なる推測と推理じゃ」
そう言うと、アリティアは誇らしげに胸を張る。
「汝とロンド殿はこの東方辺境領の出身。そして、汝の目撃談が最も多かったのがこの地域じゃ。そこに汝の拠点があると踏んだ。汝は転移など扱えんしな」
しかし、それだけではこの場所を導き出すことはできなかった、とアリティアは続ける。
「次は条件じゃ。まず人目は避けねばならん。次に協力者と物資の見込める場所であるのも確か。ここまでくれば、候補を絞り込むのは簡単なこと。奥深い山の国か、この山猫族の村じゃ。ドワーフが余所者を迎え入れることはまずない、となれば、答えは一つ。この村だった、というわけだ」
お見事、とラグナは感嘆の息を漏らす。
アリティアはどうして他の者たちがこの答えに辿り着けなかったのか、不思議に思えるほどに的確に内情を言い当てていた。
「なまじ魔法や戦技ができるものには考えもつかんだろうさ。といっても、わらわがそれなりに汝のことを知っておるからできたことではあるがな」
「それでも、お見事です。殿下が追手に加わっておられたなら、この首とうの昔に落ちていたでしょう」
「それほどでもある。口惜しいぞ。陛下がわらわのことをーー」
「姫、はよう本題に入られよ。無駄にできる時間はありませんぞ」
アリティアが余計なことを口走るより先に、グスタブが割って入った。
「む? そうじゃな、わらわたちには時間がないのだった」
そう答えながらもアリティアは再び紅茶に口を付ける。ほんの一瞬、その端正な顔に憂いが浮かんだ。
茶を飲み干すと、意を決したようにこう切り出した。
「王都は今危機にある」
ラグナが息を呑む。王都の危機、その意味するところは無数にあるが、今の情勢を鑑みれば考えられる可能性は一つしかない。
「先日、イオライの城がクザンの手に落ちた」
イオライ城は王都から程近くにある要衝で、アルカイオスの堤とも称される難攻不落の名城だ。二百年もの間、幾度となく外敵を退けてきた。
その城が陥落した。王都ケラウノスは最大にして最後の守りを失ったのだ。
「我らがこうしている間にも、王都は敵の軍勢に囲まれたおるやもしれん。これもすべて――」
続く言葉をラグナは知っていた。
意図してのことではない。望んだことなど一度たりともない。
だが、考えてはいた。胸の奥底にわだかまり続けた憂いが、ついに現実となったのだ。
「――汝の咎である」
アリティアの声は断頭台の刃のように冷たく響いた。
翡翠の瞳にはなんの感情も浮かんではいない。ただ事実だけを彼女は告げていた。
「汝は聖剣を盗んだ。汝は王に手向かった。汝は勇者を死なせた。そのせいで、我が王国はいまや存亡の危機を迎えている。これが汝の咎でなくなんだというのだ」
ラグナは反論しなかった。すべてが事実であり、何もかもが正しい、と彼は感じてた。
勇者は公正中立の存在。建前としては確かにそうだが、実際には違う。
勇者はアルカイオス王国の軍事力の一部。ほかのあらゆる国々も、アルカイオス王国そのものもそう認識している。
歴史的事実もそれを証明している。北方のクザンも含めて王国の肥沃な土地を狙う敵は数多いが、大きな戦の度に勇者は王国の側に立った。
名目などいくらでも立つ。時には侵攻してきた軍勢を『魔軍』として認定したことさえあったという。
そんな勇者が今のアルカイオス王国には欠けている。ロンドが死に、勇者を選ぶ聖剣がラグナの手にあるからだ。
「田畑が荒らされるのも、街辻が燃えるのも、民が殺されるのもすべて汝のせいだ」
なおも、アリティアはラグナを責め立てる。ラグナにとって彼女の言葉はどんな刃物よりも鋭利だった。
勇者の代わりをするという行為のそもそもの矛盾。未だ自身が勇者たりうると確信できないラグナにとって、その矛盾は致命傷とも言えた。
アリティアは過去のどんな難敵よりも強かにラグナを追い詰めていた。
「汝の罪を償う方法があるとすれば、ただ一つ。それはーー」
「いい加減にしておけよ、小娘」
詰めの一手、そこに待ったをかけるものがいた。
シスターの声にはラグナでさえ聞いたこのないほどの冷たい響きがあった。