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第八十二話 夕暮れ

 トライデントが山猫族の村に到着したのは、二日後の朝だった。


 山猫族の村は決して大きな村ではない。灰稜軍団の襲撃によって人口が激減したといっても、二百人以上の人間を受け入れるような余裕はない。そのことはラグナも含めた全員が理解していた。

 

 それでも、この村に逃げ込むしかなかった。

 ラグナとユウナギの首には史上最高額の賞金が掛かっているうえ、鉄の空の住人たちは元奴隷か、もしくは逃亡奴隷だ。そんな輩をかくまってくれるような場所はほかにはなかった。


 山猫族はラグナに恩があり、彼に味方している。それは事実であり、山猫族たちの誠意に疑う余地はない。

 そのうえで、鉄の空の住人たちを率いるベルナテッドは石を投げられ、なじられる覚悟をしていた。


 いきなり二百人も食い扶持が増える上に、自分たちは元奴隷という卑賎の身。見下されて当然とまで、ベルナテッドは考えていたのだ。そして、そうなった場合の軋轢はすべて自分一人で受け止めると決意していた。


 結果として、ベルナテッドの危惧は全くの肩透かしに終わった。

 山猫族は古来から気難しい山のドワーフと人間の間を取り持ってきた。そんな彼らにしてみれば、鉄の空の住人たちは少し変わった客でしかなかったのだ。

 客であるからには精一杯もてなすのが山猫族の流儀だ。彼らの偽りのない態度にはよそ者を信用しない鉄の空の住人も警戒を緩めざるをえなかった。

 

 しかしながら、食料にせよ薪にせよ、物資の不足は厳然たる事実だ。

 今はよくても冬になれば必ず問題が起こる。誰もが抱えていたその不安を払しょくしたのはバルカンだった。


「あん? 食い物が足りなくなる? んなもん、こいつがありゃどうとでもなるわ」

 

 顔役たちから相談を受けた際、バルカンはそう言った。


 トライデントは古の文明の作り上げた万能揚陸戦艦だ。その機能の中には、当然、魔力変換による食料供給機構も存在している。今は機能停止してしまった山の王の鍛冶場に備わっていたものと同じ機能だ。


 もっとも生産できるのは酷く味気のないパンのようなものや薄いスープのような簡単なものばかりだが、味付けや調理に関してはいくらでも改善可能だ。

 

 そうして、トライデントの帰還から一週間が過ぎるころには、鉄の空の住人たちは主に艦内で暮らし、必要に応じて山猫族と互いに協力する、という生活の形が出来上がりつつあった。


 ラグナが目を覚ましたのは、そんなころだった。

 艦内で木を失ってから七日、彼は眠り続けていた。その間の看病と治療はシスターが担当し、目覚めた時真っ先に声をかけたのも彼女だった。


 包帯を変えながらも無鉄砲さを咎めるシスター。彼女の言葉をラグナは黙って聞いた。母にそれだけ心配をかけたという罪悪感で胸がいっぱいだった。


 続けて見舞いに来たのは、右腕を吊ったユウナギだ。彼女はラグナの近くに腰かけると約二時間何も言わずに黙り込んでみせた。

 意識を失う間際にした行動について話そうとしたユウナギだったが、羞恥心と照れくささで耳を真っ赤にするのが精いっぱいだった。見かねたシスターに促され、ようやく「初めてですから、責任取ってください」とだけ言い残して退室してしまった。

 当然、ラグナは困惑し、シスターは笑いをこらえていた。


 それからも、ベルナテッドに始まり、マオやジル、ほかにも鉄の空の住人達、山猫村の人々もラグナの見舞いに訪れた。

 日が暮れるころ、ラグナを尋ねていないのは、トライデント内に拘束されている用心棒たちとリエルだけだった。


 リエルは一人、村の高台で沈む夕日を眺めていた。

 彼女はこの村に帰ってからも働きづめだった。しかし、疲れてはいない。今はただ胸のつかえを呑み込むために一人になりたかったのだ。


「…………ふぅ」


 溜息を風に吐きだす。何度それを繰り返しても心は軽くなってはくれなかった。


 原因はわかっている。疑問と罪悪感、その二つがリエルの心にわだかまっていた。


 指先がかじかむ。こうして日も暮れるころには冬が近いことを実感できる。

 そろそろ調理場を手伝わなければ、背後から声を掛けられたのはそう思いたった時だった。


「――よう」


「ら、ラグナさん!?」

 

 声と心音で相手が誰かはすぐに分かったが、驚きは変わらない。リエルはラグナが目覚めたことを知らなかったのだから。


「め、目覚められたんですね! よかった……」


「まあ、どうにかな。見ての通りぼろぼろだが」


 自虐する通り、ラグナの全身には包帯がまかれたままだ。特に、両腕には分厚く包帯がまかれ、薬草のにおいを漂わせていた。


「……もう起き上がって大丈夫なんですか?」


「寝てても痛いもん痛い。こうしてた方が気が紛れる。あと、みんなに気を使われるのはあんまり好きじゃない」


 そう答えると、ラグナはリエルの隣に座り込む。かすかにうめき声を漏らしながらも、意識はしっかりしていた。


 しかし、どこか様子がおかしい。普段のラグナとは違う、ほんの少しの違和感にリエルは気付けるようになっていた。


「あの、ラグナさん……?」


「……その、あれだ……何か話したいこととか、ないか?」


 ばつが悪そうにラグナが切り出す。リエルはラグナが自分を心配し、痛む体を押してここにいることを察した。


 途端に、涙があふれそうになる。吹き出しそうになる感情をリエルは必死で抑えようとした。ここで泣き出せばラグナに余計な負担をかけてしまう。


「無理しなくていい。いろいろあったからな」


 その言葉を切っ掛けに決壊した。

 次から次へと涙が流れ、喉は嗚咽を漏らす。傷だらけのラグナに縋りつくように、寄り掛かった。


 これまで抑え込んできたものが一気に噴き出す。故郷を出てからの全てがリエルの涙には映っていた。


「すまん、オレが巻き込んだ」


 そんなリエルの背中をさすりながら、ラグナは己の力のなさを噛みしめる。


 今回の戦いでは、アーカイブを通じて門の発生を止める手がかりも得られず、新しい鎧を鋳造することもできなかった。鉄の空の人々を救うことはできたが、犠牲者も出た。

 己がもっと強ければ、もっとうまくやっていれば。理から外れ、埒外の力を手にしても、ラグナがラグナである限り後悔からは逃れられない。


 しばらく、夕日の丘にはすすり泣きだけが響いた。穏やかで必要な時間だった。


「……ごめん……なさい……私、もっとうまく……」


「それはオレのセリフだ。。君は力がなくても戦った、すべきことをした。それは力があるものが戦うよりもずっと勇気がいることだ」

 

 ラグナはリエルを落ち着かせながら、彼女の肩に毛布を掛ける。そうして、諭すようにこう続けた。


「オレの親友が昔言っていた。『勇者っていうのは役職ジョブだけを指すものじゃない』と。その言葉に倣えば、君は誰よりも勇者に相応しい」


「私が……勇者…………」


 嗚咽がやむ。あらゆる感情を吐き出して、リエルの心には一つの疑問だけが残された。


「あの戦いのとき、私を助けてくれた人がいたんです」


「……ああ、オレも見た」


 頷くラグナの脳裏に浮かんだのは、あのアーネスト・クーガー。星の冒険者でありながら魔軍を利用しようとした恥知らずの銃使い、だが、その銃使いがリエルの命を救ったこともまた事実だった。


「あの人は…………無事脱出できたでしょうか?」


「たぶん、生きていると思う。あれだけの実力者だ、一人で逃げるだけなら難しくはない」


 ラグナは気休めではなく、事実を口にした。

 アーネストの戦闘能力や特殊能力を考えれば、逃げに徹した彼を捕えるのはユウナギですら難しいだろう。


「……私、あの人を知っていると思うんです。どこか、懐かしい音がして…………」


「……そうか」


 リエルの所感、その意味するところはラグナには分からない。

 ただこれからも彼を含めた星の冒険者が敵に回る、その確信だけは揺るがなかった。


 降神暦1595年11の月、のちに『崩壊の日』と呼ばれる大事件、その直前のことだった。



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