第八十話 相対
鉄の空にいた全てものがその咆哮を聞いた。
瞬間、魔物たちは勝利を確信し、力なきものは絶望に打ちひしがれ、戦士たちは諦めを拒絶した。
ラグナとマオ、ジルの三人は共同してブレンを足止めしている。
鋼鉄の拳と巨人の一撃、聖剣の輝きが幾度となく振るわれ、進撃を阻んでいた。
戦いの最中、ブレンの一撃がラグナを吹き飛ばす。公会堂の壁に叩きつけられながらも、すぐさまラグナは立ち上がった。
そんなラグナの前に、虚空からベルナデットが姿を現す。彼女はラグナを見つけると一瞬、表情を緩め、すぐさま真剣な顔に戻った。
「これで移送は終わり。あとはあなた達だけよ」
「リエルは?」
「船に乗ってるから安心して。それより、早くに逃げましょう」
「わかった。全員集まったら一気に退くぞ。ユウナギもこっちに向かってーー」
言葉よりはやく、鋭い鉄の音が響く。十数体の兵士が両断されたかと思うと、戦場を飛び越えてユウナギがラグナの隣に降り立つ。遅れて複数の何かがすぐそばに落着した。
「来てたな」
ラグナが言った。無傷のユウナギの姿に安堵の息を吐く。
「少し遅れました。あなたが面倒な注文をするせいです」
「すまん。だが、そこは曲げられん」
ユウナギが運んできたのは三人の人間だ。峰打ちで意識を刈り取られ、拘束された彼らにベルナテッドは見覚えがあった。
双角兄弟とイレーナ、ゴドンから派遣された用心棒たちだ。
「なんでこいつらまで……」
「オレは、オレたちは人を殺さない。それだけは守ってきた。君がどうするかは……君が決めてくれ」
ラグナはそれだけ告げると、マオとジルに加勢する。そこにユウナギが加わり、さしものブレンも公会堂の入り口まで押し返された。
同時に、マオとジルの二人も公会堂の奥へと撤退する。転移魔法の有効範囲に全員が入ったが、兵士たちもそれに追随した。
ベルナテッドはすぐさま懐から虫食いを取り出すが、三人の用心棒を目にした瞬間、彼女の手が止まる。
地上の用心棒たちは彼女にとって明確な敵だ。この状況を引き起こしたのも彼らだし、そもそもベルナテッドやほかの住人たちがこの鉄の空に住まざるをえなかったのはこんなものたちが地上を牛耳っているせいだ。
そうだ、生かしておく理由などない。意識を失っている今なら簡単に殺せる。方法はいくらでもある。
薄暗い覚悟に、手段が伴う。これまでにない感情にベルナテッドが突き動かされそうになった瞬間、彼女の視界にそれが映った。
「これ……は……」
イレーナの首、無防備にさらされたそれには首輪の跡があった。
隷属の首輪だ。正式に解除されたとしてもかの首輪は烙印のような傷を対象者に刻む。そして、その傷はイレーナとベルナテッドが同胞である何よりの証拠だった。
混乱しながらも、ベルナテッドは兄弟の首元にも視線を向ける。そこにはやはり同じ形の傷跡が残っていた。
瞬間、ベルナテッドは決意した。この三人には罪がある、だが、同時に犠牲者でもある。であれば、自分が守らなければならない、と。
籠手の中で拳を握る。大きく息を吐くと、ベルナテッドは戦いへ加わった。
敵はもはや入り口を突破し公会堂の内部へと侵入している。周囲を完全に包囲され、転移魔法でなければ脱出は不可能だ。
ラグナ、ユウナギ、ベルナテッドの三人が千人竜長を相手取り、マオとジルが兵士たちを足止めする。それでどうにか、戦線を維持することができていた。
「ベルナテッド! 転移までは何秒かかる!」
「この人数なら五秒! どうにか稼いで!」
転移を実行すべくベルナテッドが下がる。ラグナとユウナギは言葉を交わすまでもなく、互いの役割を理解した。
「合わせろ、ユウナギ!」
「応!」
ユウナギの奥義と聖剣の限定解放。その二つが完璧に重なった。
戦場に訪れる一瞬の静寂。さしもの青鱗兵団もこの攻撃には攻め手を止めざるをえなかった。
「転移するわ! 全員固まって!」
ベルナテッドの合図、すぐさま空間に黒い罅が走る。世界の理が乱され、発動するはずのない転移魔法が発動しようとする。
「逃がすものかァ!!」
それをみすみす見逃すブレンではない。ラグナの背に向かって手にした槍を投擲した。
反応が間に合わない。甲冑を着ていない今のラグナでは即死だ。
転移魔法の発動中、動くことができたのはユウナギだけだった。彼女はその身を挺してラグナを庇った。
鋭い穂先がユウナギを貫く。転移の直前、ラグナはユウナギが倒れるのを見た。
世界が反転し、転移術式が完了する。次の瞬間、ラグナ達は天蓋から突き出した甲板の上に立っていた。
「――ユウナギ!!」
弾かれるようにラグナはユウナギへと駆け寄る。上半身を抱き起すと、傷口へと目をやった。
槍はユウナギの右上腕を貫いたままだ。HP的には致命傷ではないが、傷は深い。このまま血を流せば、死にもいたる。
無造作に槍を引き抜くわけにはいかない。治療師か、医師の手当てを待たなければならない。
「しっかりしろ! おい!」
「うる……さい……これくらい……平気です」
痛みにうめきながらも、ユウナギは強がってみせる。そんな彼女の姿にラグナはロンドの最期を思い出す。
動揺と絶望、久しく感じていなかったそれらがラグナの心に重くのしかかった。
「治療の心得があるやつはいないのか!?」
「す、すぐに呼んでくる!」
転移直後で動けないベルナテッドに代わって、ジルとマオが艦橋へと走った。
その背中を見送りながら、ラグナは動揺を押し殺す。まだユウナギは生きている。
「どうしてだ、どうしてオレを庇った?」
「あなたを……切るのは私の役目です……こんなところで死なせたくない……」
力のないユウナギの瞳には、言葉とは裏腹に殺意など浮かんでいない。そこにあるのは強い慕情と安堵だけだった。
「そうだな……オレもお前になら殺されてもいい」
ラグナがそう答えると、ユウナギはかすかに頬を緩める。心からの言葉はどんな痛みも忘れさせてくれた。
すぐさま杖を突いた老人を連れてマオが戻ってくる。老人は鉄の空唯一の医者だった。
「うむ……命に別状はなかろう。だが、この槍は厄介じゃ。ここでは治療できんし、すぐには治らん」
傷口を調べて、医者はすぐさま結論を出す。年は取っているが、医師としてはかなりの腕前だ。
「わかった。とにかく運ぼう。オレが――」
ラグナはユウナギを抱えようとするが、足元がふらついてしまう。
消耗具合で言えば、ユウナギよりラグナの方が重症だ。
「お、オレが運ぶよ! 兄ちゃんもはやく中に入って! すぐに船が出るはずだから!」
「……頼んだ」
ユウナギをマオに任せ、ラグナはその場に膝をつく。本当ならば自分の手でユウナギを運びたかったが、そんなことすらできないほどに今のラグナは限界だった。
大きく息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。それでも足元がおぼつかなかった。
「ほら、つかまって」
「……すまん」
そんなラグナを動けるようになったベルナテッドが支える。そのまま二人はゆっくりと艦橋を目指した。
艦橋、ならびに艦内へと続く階段は甲板の中央にある。あらゆるものが未知の技術で構成されたこの遺物だが、船としての構造はラグナ達が知るような船と一致していた。
「あと少し、がんばって」
「ああ、もう大丈夫だ。君も早く――」
二人の足が階段へと掛かり、船が大きく揺れる。甲板から投げ出されそうになり、ラグナは階段に掴まった。
「――そう簡単にはいかないか」
そうして、眼下の光景を目にした。
そこには六本腕の武神が立っている。封印を破り、その魔眼を船に向けていた。
過負荷の魔眼による拘束。その戒めを破らなければ、ここから逃げ出すことは不可能だ。