第七十九話 撤退戦
戦艦への移送作戦は順調に進められた。
作戦開始から一時間足らずで鉄の空の住民の過半数が戦艦への転移を完了した。
北側をユウナギが抑え、南側ではラグナとマオが遅滞戦闘を行う。この戦力配置が功を奏したのだ。
無論、青鱗兵団の攻撃は苛烈だ。
彼らは軍団長の動きが封じられても一切動揺することなく、公会堂を目指して進軍を続けている。優秀な千人竜長たちの巧みな連携とたゆまぬ指揮がそれを実現しているのだ。
まさしく、魔軍。
人間の軍隊であれば損害を受ければ撤退を考慮するが、彼らは違う。公会堂の確保。彼らはその単一の目的のためならば、全滅すらもいとわない。
だが、そんな彼らの強みこそがラグナとマオがたった二人で戦線を維持できている最大の理由でもある。
青鱗兵団は公会堂へ最短経路で進軍している。路地を使って迂回したり、ゆっくりと包囲攻撃を仕掛けるようなことはしない。どれほどの犠牲を出しても、必ず正面突破を仕掛けてくる。
つまり、二人が守らなければならないのは公会堂へと続く一本道のみ。正面からの敵に集中できるのなら少数でも防衛は可能だ。
もっとも、二人は二人でしかない。どれほど奮戦を続けても限界は見えている、二人は今や公会堂の目と鼻の先まで押し込まれていた。
「――っ!!」
リザードマンの返り血と臓物にまみれながら、ラグナは聖剣を引き抜く。
何か一つ動作を行うたびに全身が悲鳴を上げているが、そんなことは気にしていられない。休む間もなく敵は迫ってきている。
ラグナの周囲には屍の山が築かれている。切り捨てた兵士の数は百とも二百とも知れない。流された血は血だまりとなり、道に沿って川を形成していた。
脳裏に過るのは、過去の記憶。ロンドが死んだ後のはじめての戦いもこんな修羅場だった。死にかけ、傷だらけになりながら、青鱗兵団と戦った。あの時もすべてをなげうって、ひたすらに剣を振るった。
かつてとの違いがあるとすれば、一人ではないということ。今のラグナには背中を預けられる『仲間』がいる。
「うおおおおおおりゃあああああああああ!!」
魔導機鎧の鉄拳が兵士の群れを後退させる。ラグナの隙を突こうとしたものたちをマオが排除したのだ。
この戦いにおいてマオは、否、魔導機鎧は十分すぎるほどの戦力だ。魔法障壁を展開した装甲はハイリザードマンたちの攻撃力では突破できず、鎧による攻撃は兵士たちには防げない。
さすがに千人竜長ほどの手練れの相手は不可能だが、ラグナの背中を守るだけならば何の問題もない。
ラグナが前衛で兵士たちを引き受け、マオが後衛でラグナを支援する。即席の連携ではあるが、役割分担がはっきりしているため曲がりなりにも防衛線を築けていた。
「兄ちゃん! きりがねえ!」
「わかってる! 踏ん張れ!」
公会堂を背にしながら、ラグナは五人の兵士をどうにか押しとどめる。大きく踏み込むと同時に五人を押し返し、ラグナは聖剣を薙ぎ払った。
五人の兵士が同時に倒れる。しかし、その背後から間髪入れずに十人の兵士が現れた。
マオの言葉通りキリがない。鉄の空に侵攻してきているのは青鱗兵団の本隊。その総数は約二万、ここでラグナが数百人を切り捨てたところで兵団全体にしてみれば大した傷ではない。
その上、敵は兵士たちだけではない。ドルナウやブレンに劣るとはいえ、ほかの千人竜長も精鋭ぞろいだ。今のラグナでは彼らを二人以上相手にして、正面から打ち合うことはできない。
幸いにもまだそんな事態には遭遇していないが、このまま包囲が狭まればいずれは――、
「――ラグナ・ガーデン!!」
ラグナの危惧を実現するかのように、大音声が響き渡る。
ブレンだ。ユウナギたちの乱入により怨敵を見失っていた彼が今、追いついたのだ。
最悪の事態だ。憔悴しきった今のラグナではブレンと戦うのは不可能。マオが全力で援護したとしても、勝負にもならない。
ましてや、周囲には無数の兵士たち。先ほどと違って彼らは一騎打ちにを見守るような悠長な真似はしないだろう。
「覚悟ォォォォォ!!」
咆哮と共に、ブレンはラグナに切りかかる。背後の公会堂のことさえ考えぬ猪突猛進だ。
ラグナはそれを正面から受け止める。大きく押し込まれ、全身を軋ませながらも突進を止めた。
決して壊れぬ固有装備たる聖剣と盾役としての意地。その二つがラグナを支えていた。
だが、一歩も動けない。四本腕の膂力に押し込まれて、完全に動きを封じられた。この状況ではそれだけでも十分な戦果だ。
「よもや猶予はない! 武人としてではなく、将として貴様を仕留めてくれよう!」
「……宗旨替えか。ずいぶんと軽い信念だな」
「もはや聞く耳もたん!」
ラグナの挑発も無視して、ブレンは己の役割に徹する。
例えラグナを確実に仕留めることができても、彼は動かない。ここにラグナを釘づけにして、その間に公会堂を手にいられるつもりだ。
「――っく」
それが分かっていながら、ラグナは動けない。
聖剣使用による生命力の減少と数々の負傷。積み重なった何もかもが、ラグナを追い詰めている。
絶体絶命と思われたその時、思わぬところから救いの手は現れた。
ジルだ。彼女の巨人の手が、ブレンを横合いから吹き飛ばした。
彼女はそのまま四肢を振るい、周囲の兵士たちを一時的に遠ざける。
ラグナ達は気付かぬ間に公会堂の入り口付近まで追い込まれていた。ジルの助太刀が間に合ったのはそのおかげだ。
「ったく、なにやってんだよ、カッコつけた割にはダメダメじゃんか」
「すまん。だが、ありが――」
「――すげえええええええええええ!!」
息も絶え絶えなラグナが礼を述べようとした瞬間、マオが叫んだ。
「巨人だ! 巨人がいるぞ! 兄ちゃん! オレ、初めて見た!」
「……随分うるさいの連れてんだね、あんた」
「……なんか悪いな」
マオも合流して、三人は入り口を固める。背後にはまだ数十人単位の住人が残っていた。
青鱗兵団の兵士たちも一時的に攻撃を止めている。ブレンの復帰を待ち、一気呵成に攻めかかるつもりだ。
「状況は? リエルはどうしてる? もう船か?」
ラグナが尋ねた。会話をしながらも、息を整え、攻撃に備えた。
「残りはあと三分の一。リエルはとりあえず無事。船に乗ったかは知らない。けど、一つ気にになることがある」
「というと?」
「なんか援護された。やばくなった時に弾丸が飛んできて、敵を散らしてくれた」
「弾丸……?」
思い当たる節が一つしかなく、ラグナが唸る。
わかっている限り、この鉄の空に入る銃使いはあのアーネスト・クーガーただ一人だ。
彼がリエルを救うのは二度目だ。彼のような人間が誰かを助けるには何か理由があるはずだ。その理由がまるで分らないことがラグナには不気味で仕方なかった。
「……来るぞ」
しかし、考えている暇はない。兵士たちの動きが明確に変わった。攻撃の準備が完了した証だ。
「マオ、お前は後ろで援護。ジルはオレの隣で踏ん張る。いいな?」
「おう!」
「わかった!」
二人の気配を側に感じながら、ラグナは聖剣を構える。
先ほどまでとは違い、今は三人だ。この三人ならばブレンが相手でも時間稼ぎくらいはできる。
あと少しだ。住人がすべて船に乗り込めば、もう戦う必要はない。この戦いはラグナ達の勝利に終わる。
――そんな確信を打ち砕くように、咆哮が響く。軍神が今再び解き放たれんとしていた。