第七十六話 反撃の狼煙
現在、鉄の空には二つの戦場がある。
一つはラグナとその仲間たちのいる南側の戦場、もう一つが北側のベルナテッドが支えている戦場だ。
どちらが崩れても、中央の公会堂を守り切れない。そのため、ラグナとベルナテッドはそれぞれの持ち場を死守するつもりだった。
それも所詮、時間稼ぎに過ぎなかった。ユウナギがバルカンを連れて到着するまでの苦肉の策だ。
だが、今は状況が変わった。三日後まで到着しないはずのユウナギがここにいて、戦力も増えた。その上、最悪の敵であるマルドゥクの動きは封じられている。動くなら今だ。
「ここからだ。ここから押し返すぞ」
「まてまて! 兄ちゃんは休んでなよ!」
意気込むラグナを見て、マオが言った。
誰の目から見てもラグナは限界だ。もはや戦えるような状態ではない。
「このぐらいどうとでもなる。死ななきゃ安いもんだ」
「だから、その状態で動いたら死んじまうって!」
「オレとマオは南側を支える。ユウナギは――」
止めようとするマオを無視して、ラグナは歩き出そうとする。
しかし、足がもつれる。強固すぎるほどの意志に身体が付いてきていなかった。
「まったく、筋金入りの馬鹿ですね」
そんなラグナをユウナギが支える。深くため息を吐くと、さりげなく傷の具合を確かめた。
「見た目ほどひどくはないようで。どちらかというと、問題は手の傷と体の衰弱。聖剣を使いましたね、私のいないところで」
「……ああ」
ばつが悪そうにラグナが頷く。
ユウナギの言葉通り、身体回復(小)のおかげで腹の傷は塞がり始めている。
一方で、聖剣使用による生命力の減退はいつまでも回復しない。今も気を張っていないと意識が飛んでしまいそうだった。
こればかりは誰にも癒せない。どんな回復魔法でも直せないことは実証済みだ。もし、この状態を改善できるとしたら、図らずもユウナギが使用した真なる魔法だけ。あとは自然に回復するまで安静にしているしかない。
「少し寝ててください。従わないなら、強引にでも寝かせますよ」
「お断りだ……お前たちが……戦っているときに一人で寝てられるか」
「聞き分けのない……」
『あ? 何をもめてやがる?』
バルカンの念話が二人の間に割って入る。マオからの説明で状況を把握すると、こう指示を出した。
『おい、マオ、左手をラグナに向けて、三番目の引き金を引け。いいか、三番目だぞ、間違えるなよ』
「わ、わかった。えと、二番目だっけ?」
『三番目だ! さっさとしろ!』
「ま、待ちなさい! それは武器でしょう!?」
『大丈夫だ! オレを信じろ! 一時しのぎだが、動けるようにはなるはずだ!』
ユウナギが納得するより先に、マオは引き金を引いていた。
魔導鎧の左手から黄色の閃光がラグナに向かって照射された。ラグナは一瞬身構えたが、すぐにその温かさに身を任せた。
光の感触は陽だまりのそれに似ている。触れているだけで安心するような、眠りに誘われるような、そんな心地よさだった。
そうして、ラグナの指先に力が戻る。聖剣を力強く握り、切れ切れだった呼吸も落ち着き始めていた。
腹の傷の出血も止まっている。生命力そのものが回復したおかげで、肉体に備わった特性も普段より強力に作用していた。
『魔力炉からの供給を生命力に変換して送ってる。古代魔法ほど効率的には送れねえが、少しは回復したはずだ』
「……ああ、助かった」
深く息を吐いて、ラグナはユウナギに向かって頷いた。仕方がない、そう言うようにユウナギは背を向けた。
ラグナの体力は本来の四割。聖剣の使用は依然として難しいが、戦うだけならばどうにかなる。
問題はどう戦うか。数の上では不利な以上、正面からぶつかり合うのは愚策だ。
否、そもそも公会堂を守っての籠城戦という前提そのものを変える必要がある。公会堂を守ったところで北と南の大穴を塞がなければ、敵はいつまでも攻めてくる。待っているのは、勝ち目のない消耗戦の果ての全滅だ。
一方で、門を閉じることも難しい。現状では、門が上の階層に開いたのか、下の階層に開いたのかもわからない。これでは道案内もなく霧の中に突撃するようなものだ。
ならば、いっそのこと……、
「…………バルカン、その船、何人乗れる?」
『あん? さあ……詰めれば200はいけると思うが……』
「なら充分だ。ここの住人を乗せて逃げられる」
ラグナの出した結論は単純なものだ。
全員でこの場所を放棄して、逃げ出す。二百人もの人間を連れていくあてがあるわけではないが、少なくとも今日の命はつなげる。
住人が納得するとは限らないが、これが現状とりうる最善の策だ。
『……そいつは百歩譲って良しとするとしても、どうやって二百人もここに連れてくれるんだ? こいつはまだ下ろせないぞ』
「下せないのか……」
いきなり作戦に不備が生じて、ラグナは途方に暮れる。
バルカンの戦艦がここから脱出するための唯一の手段だ。それが使えないとなると完全に手詰まり。別の作戦を考えなければならない。
「傷の女の持ってる魔道具をどうなのです? あれで住人を転移させては?」
ユウナギが言った。
「いや、あれは人数が増えるほど距離の制限が出ると聞いている。住人を何度か分けて移動させるにしてもそこまで時間がない」
「じゃあさ、船に転移させたらどうかな? それなら距離も短いし大丈夫じゃないの?」
マオの言葉に、ラグナとユウナギが同時に彼女を見た。気後れしそうになるマオに二人は同時に「それだ」と快哉を上げた。
「それならどうにかなる。状況は悪いが、それなら勝ち目がある」
ラグナの顔に微笑みが戻る。今まではその場をしのぐために戦っていただけだが、これで活路が開けた。
「なんにせよ急ぎませんと。あの拘束そう長くは持ちませんよ」
ユウナギは刀の切っ先で、隔壁に縫い付けられているマルドゥクを指す。
まだ六本の腕全てを拘束できているが、結界は綻び始めている。ユウナギの言葉通り封印が解けるまでそう時間はない。
「まずは正面の敵は蹴散らします。貴方はいつも通り私の背後を――」
「いや、それじゃだめだ。お前は北側、オレはこっちだ」
ラグナに指示されて、ユウナギは心底不満げな顔を浮かべる。再開して早々別行動は何事か、そう言いたげだった。
「お前がこの中で一番強いうえに、足が速い。だから、ベルナデットへの伝令を頼みたい」
「……別に私でなくてもいいでしょう。マオでも十分です」
引き合いに出されて、マオは顔を青くする。
魔導鎧があるとはいえ、実戦慣れしていない彼女にこの任務はあまりにも酷だった。
「お前にしか任せられないから頼んでるんだ」
「……あなた、そういえば私が従うと思ってます?」
「事実だからそう言ってる。お前じゃないと無理だ」
怒りながらもユウナギはどこか嬉しさを隠しきれていない。わずかな煩悶の後、渋々といった様子で彼女は頷いた。
「ついでに、もし途中で見つけたら、リエルとジルも拾ってやってくれ。公会堂に向かっているはずだ」
「……貸し二つですよ。お忘れなきように」
そう言うとユウナギはすぐさま駆け出す。同時に彼女の殺気に抑えられていた青鱗兵団の兵士たちも動き出した。
「やるぞ、マオ。もう一働きだ」
「お、おう! 今度はオレも戦うぜ!」
ラグナの隣に、マオが並ぶ。
たった二人だが、独りではない。背中を預けられる誰かがいるだけでいつまででも戦える、ラグナにはそう思えた。
戦うべき相手は数え切れぬほどの魔物、守るべきは無辜の民。騎士として、戦士として、あるいは勇者の代理として、その本懐を果たす時だ。