第七十三話 過去
引き金を引いた瞬間、アーネストは己の運命を呪った。
負けるとわかっている勝負は絶対にしない。それがアーネスト・クーガーという男の信念であり、冒険者としての絶対の掟だ。
無論、星の冒険者に昇り詰める為には相応の危険を冒し、部の悪い賭けにもでなければならなかった。
だが、どんな時でも必ず勝算があった。どこをどう撃ち抜けば相手を倒せるのか、アーネストにはそれが見えていた。
鷹の瞳。
対象の弱点部位を測定し、視覚化する戦技。通常、この戦技で弱点を見抜けるのはレベル50以下の比較的低レベルな相手だけだが、アーネストのそれはその制限を解除している。たゆまない天賦の才がそれを可能としたのだ。
そのアーネストの目をもってしても、この魔物、この鱗のある巨人には何も見えない。どこに銃弾を放っても通用しないという事実だけが、アーネストの瞳には映っていた。
この魔物とは何があっても戦わない。それがアーネストの出した結論だ。
その結果、誰が犠牲になったとしても必要経費でしかないそう割り切った。
だというのに、気付いた時には引き金を引いていた。それも一度ではなく、二度もだ。己のためにしか戦わない、そう誓ったのに。
一度目は気の迷いで済まさせられた。そう自分に言い聞かせた。
しかし、二度目は言い訳ができない。アーネストはダークエルフの少女を救うために引き金を引いていた。
「――なにをやってる! そいつを抱えて逃げろ!!」
そうして気付けば、また過ちを犯していた。声を発してしまえば、霞竜の皮による迷彩も意味をなさない。あの千人竜長だけはなく、ラグナにも位置を特定されてしまうだろう。
それでも、アーネストは妖精を叱咤した。そうせざるをえなかった。
魔弾はマルドゥクの瞳に命中したが、ダメージは発生していない。一時的に視線を遮断することはできたが、すぐに回復するだろう。
迅速に動かなければ、また魔眼に捉えられてしまう。そうなれば、二度目は止められない。
いや、二度目などない。誰かのために引き金を引くことなどない。ましてや、赤の他人のために使う銃弾など持ち合わせていない。アーネストはそう自分に言い聞かせるように、銃床で額を撫でた。
考えるべきはこの状況でどうやって目標を確保するか、だ。
魔軍をこの場に誘導することそのものはアーネストの策だったが、まさかこれほどの大物が出てくるなどとは想定していなかった。
しかし、まだいくらでも修正は効く。同時に北側に侵入した用心棒たちを見捨てることにはなるだろうが、幸いにも標的は弱っている。不意を打てれば、確保は簡単だ。
そのためにはまず位置取りが重要になる。標的の逃走経路を導き出し、先手を打てば――、
魔眼がアーネストを捉えたのは、そう思考した瞬間だった。
「――っ!?」
すぐさま身に着けた護符が魔眼の効果を緩和する。久しく感じていなかった死の恐怖がアーネストを突き動かした。
次の瞬間、アーネストの姿は薄暗い路地裏にあった。
短距離転移魔法だ。この魔法を多用することでアーネストは常に敵に対して優位な位置取りをすることができていた。
つまり、この魔法は本来攻撃のために用いられるもの。それをアーネストは逃走のために使わざるをえなかった。
そこまでやっても、その視線から逃げることはできない。
無造作にふるわれた剣撃が嵐となってアーネストに迫る。進路上にあるあらゆるものを吹き飛ばし、鉄の空に巨大な亀裂を刻んだ。
アーネストは連続して転移魔法を使用し、攻撃範囲からどうにか逃れる。それでも真空波に身体を打ち据えられ、息も絶え絶えだった。
「化け物が……っ!」
膝を屈して毒づく。久方ぶりの痛みとダメージにアーネストは生の実感を覚えた。
竜の息吹にも匹敵する破壊力と攻撃範囲だ。星の冒険者であるアーネストをしてこれほどの強者を相手にするのは初めてのことだった。
正面から戦っても勝ち目はない。本来ならば逃げの一手だが、今度ばかりはそういうわけにもいかなかった。
「……いいぜ、やってやるよ。てめえの鱗で財布を拵えてやる」
二艇目の魔銃を引き抜き、銃弾を装填する。続けて、頭上に向けて四度引き金を引いた。
銃声が響く。虚空を裂くはずだった四発の弾丸は空中に固定され、アーネストの周囲を旋回した。
浮遊する弾丸。魔銃使いの最高峰の戦技にして、アーネストの手持ちの戦技においても最大の威力を誇る絶技だ。
ラグナを襲った不可解な射撃のからくりもまたこの戦技にある。一度放った弾丸をこの戦技によって空間に固定、その後再射出することで二段構えの射撃を行っていたのだ。
弾丸を漂わせたまま、アーネストは走り出す。牽制も兼ねて三発の穿絶弾をマルドゥクへと打ち込んだ。
弾丸は最高峰の硬度を誇る蒼鱗を貫通こそしたものの、マルドゥクのHPをほとんど削れていない。
そもそもアーネストの能力と武器は対人戦に特化している。それでも大抵の魔物は魔眼と魔弾の二段構えで苦戦すらしないが、今回ばかりは相手が大きすぎる。
ましてや、相手は規格外の回復能力まで備えている。これでは魔弾を何発撃ち込んだところでなしのつぶてだ。
火力が足りない。この魔物を倒すにはそれこそ理屈を超えた圧倒的な力が必要だ。
「――チィッ」
それが分かっていながら、アーネストは戦闘を続行する。次々と位置を変えながら、絶え間なく引き金を引いた。
弾丸は一発たりとも過たずに標的を貫いているが、当たる端から回復されてしまっている。実質的には、無駄でしかない。
それが原因か、マルドゥクからの反撃も消極的だ。最初の時のような強烈な一撃はあれ以降一度として、振るわれていない。
アーネストは移動を続けながら、思考を巡らせる。反撃が少ないおかげで、敵情を観察する余裕さえアーネストにはあった。
最初の一撃は強烈だったが、あれは戦技でさえなかった。戦技や魔法であればいずれは限界があるが、ただ武具を振るっている相手に持久戦を挑むのは無謀でしかない。
現状、アーネストの攻撃には時間稼ぎ程度の意味しかない。それは彼自身もわかっていることだ。むしろ、そのためにアーネストは無意味な戦闘を続けていた。
「……何をちんたらやってやがる」
狙いを定める視界の端に、アーネストは少女と妖精の姿を捉える。
必死で逃げてはいるが、いかんせん動きが遅すぎる。敵兵を避けながらでは仕方のないことではあるのだが、これではいつ戦闘に巻き込まれてもおかしくない。
実際、南側の前線は少しずつ後退しつつある。おそらくはそこに大罪人がいる。それが分かっていながら、アーネストは動けなかった。
少なくとも、ダークエルフの少女が安全な場所にたどり着くまでは。そんな思考をしている自分に、アーネストは唾を吐きかけてやりたい気分だった。
だが、今この鉄の空に安全な場所などない。妖精はどこかを目指しているようだが――、
「……そういうことかよ」
至った答えに、アーネストは運命を呪った。
魔物の攻撃が消極的なのはアーネストの攻撃が通用していないからではない。魔物たちの目的がほかにあるからだ。
すなわち、この場所の占領。そのためには中央にある公会堂を抑える必要がある、そのことまでアーネストは見抜いた。
そして、少女たちが向かっているのもまたその公会堂だ。彼女たちは安全地帯に逃げるつもりで、最悪の死地へと飛び込もうとしている。
「――イスマ」
憎むような、愛するような声でアーネストはその名を呼んだ。
二度と会うことのできない最愛の女、子さえ成し、自ら捨てた、ダークエルフの女の名を。