第七十二話 妖羽持つ巨人
超越種とは、ありえざる組み合わせによって生まれる交雑種のことを指す。
例えば、竜と人の間に生まれるとされる竜人、夢魔とエルフの混血児たるエンキュバス、そして巨人とリザードマンの特徴を併せ持つ鱗の巨人などがこの種に該当する。
これらの種族は多種多様な種族が暮らすこのヴィジオン大陸においても、地上とは比べ物にならないほど複雑な生態系を持つ魔界においても極めてまれな存在だ。
発生率にして一憶分の一。理に生じる不可避の歪みこそが超越種だ。
ジルもまたその超越種の一員だ。妖羽持つ巨人。妖精の不確定性と巨人の体躯を併せ持つ、この世界で唯一無二の存在。
その力は今、魔を討ち、同胞を守るために振るわれていた。
「やああああああああ!!」
巨岩のような拳がハイリザードマンの兵士たちをまとめて吹き飛ばす。鎧ごと鱗を砕かれ、数人の兵士が動かなくなった。
続けて、巨人の足が地表を薙ぎ払う。今度はかわされたものの兵士たちは追撃を恐れて間合いを開けた。
ジルのレベルは35。本来であれば平均50以上のレベルを持つ青鱗兵団の精鋭たちと渡り合えるはずもない。
しかし、彼女は妖精であると同時に本物の巨人でもある。巨人種はあらゆる種族の中でもトップクラスの性能を誇る。15レベル程度の差ならば覆して余りある。
その上、ジルは超越種だ。理の中に生きる者に彼女の力を推し量ることは不可能と言ってもいい。
戦いの最中、千人竜長の一人がジルの拳を受け止める。刃を振るい、素早く反撃に移ろうとした瞬間――、
「――!?」
巨大な拳が目の前から消える。さっきまでそこにあったはずの腕が蜃気楼のように消失したのだ。
驚愕と困惑。その二つに意識を取られた一瞬、今度は巨大な足が千人竜長を踏みつけにしていた。
これこそが、妖羽持つ巨人の特性だ。
妖精とはそこにいることさえ曖昧で触れることさえ難しい存在だ。
そのため、妖精はどのような姿であるか、どのような形を持つかはその妖精の自意識によって決定される。
ジルはそんな妖精特有の特性を先頭に応用した。自身の身体を巨人と認識することで攻撃を、妖精と認識することで回避を行っているのだ。
その実用性は実戦で証明されている。虫食いであるラグナでさえも自在に正体を入れ替えるジルを直接捉えることは不可能だった。
今倒された千人竜長もそれは同じ。敵の正体に翻弄され、彼は戦うことさえできなかった。
正体不明の敵、その奇怪さに勇猛果敢な兵士たちの足が止まる。容易には踏み込めず、どこから来るともしれない次の攻撃に意識を裂かざるをえなくなったのだ。
その間隙を、ラグナは逃がさない。
足を止めた兵士たちを聖剣の一撃が襲う。防御不能な蒼い斬撃が五人の兵士をまとめて両断した。
ひるむことなく兵士たちは反撃へと移る。彼らにとってジルは正体不明の敵だが、ラグナは違う。一度ならず苦渋を飲まされた怨敵を彼らは忘れない。
そんな彼らの鼻先にまたもや巨大な足が落ちてくる。さらに仲間を踏みつぶされ、兵士たちは激昂した。
しかし、報復をしようにも敵の姿を捉えることさえ難しい。
ましてや、敵の片割れはラグナだ。いやおうなく意識を向けさせられ、なおかつ自分たちを倒せるだけの力を備えている。いかに数の上では圧倒しているといっても、油断はできない。
しかし、互角に渡り合っているように見えても、両者の間には覆しようのない差がある。
すなわち、余力の有無。
青鱗兵団にはマルドゥクという最強の戦力に加え、いまだ現着していない五千の兵力がある。対する、ラグナとジルにはもう後がなかった。
特に、ラグナは重症だ。立っているのがやっとの身体を精神力だけで支えている。先ほどの一振りも全身全霊を込めてようやく放てたものだった。
そのことは青鱗兵団も気付いている。ラグナはあともう一撃でも攻撃を受ければ立ち上がれない、と。
さらに、二人は背後で意識を失っているリエルを守りながら戦っている。リエルから距離を放せない以上、どうしても攻め手に欠いていた。
それでも、奇妙なことに戦況は拮抗していた。
「なあ、なんかおかしくないか?」
にらみ合いを続けながら、ジルが言った。
「あのでかいの、なんで動かないんだ? あいつが本気ならあたしたちなんて一発だろ?」
ジルの懸念に、ラグナは首肯する。
こうして曲がりなりにも兵士たちと渡り合えているのは、肝心の軍団長が動いていないからだ。あの巨人がその気ならばラグナもジルもとうの昔に敗れている。
戦術的に見れば不可解でしかない。
人間の軍隊であれば味方の犠牲を恐れることもあるだろうが、相手は魔軍だ。目的達成のためならば彼らは常に才的かつ最善の選択肢を取る。ラグナはそのことを嫌というほど知っている。
何か理由があるはず。これまでの経験が、ラグナの脳裏に正解を導き出した。
「……こいつら、よほど鉄の空が欲しいみたいだな」
「ここが欲しいって……一体どういうことだよ」
「できるだけ壊したくないんだろう。空振りだけであの威力だ。下手に暴れたらここを崩壊させかねないことを向こうも分かってるんだろう」
「ここを拠点にでもするつもりなのか……」
「おそらくな。前にもあった」
南部辺境領域においても、アトラス山脈においても、魔軍はまず門の周辺に前哨基地を設けていた。
侵攻のための橋頭保だ。今までの魔軍ならばそんな人間のような真似はしなかっただろうが、今回は何かが違うことをラグナは知っている。今更驚きはしなかった。
だが、それだけではない、とラグナの中の何かが告げている。
過去二回の激戦はすべて遺跡の周辺で起こっている。そして、今回はこの鉄の空。偶然は三度も続かない、いくら迷宮内では門が発生しやすいとはいえ、そこには何かほかの意味があるはずだ。
ここ二しか存在しない何か。魔軍の狙いはそこにあるはずだ。
「ラグナ・ガーデンッ!!」
答えが出るより先に、その声が響いた。
ブレンだ。一騎打ちを続けるべく、彼はラグナを探し続けていたのだ。
「……ジル、あいつの相手はオレがする。お前は隙を見て、リエルを連れて逃げてくれ」
「それじゃさっきと同じだろうが! あたしも一緒に戦う!」
「いや、さっきとは違う。あいつの望みは一騎打ちだ、その間はきっとあのでかいのは動かない、はず。なら、時間を稼げる。オレも逃げられたら、逃げるよ」
「逃げられたらって……」
できるわけない、という弱音をジルは飲み込む。
ラグナならば、あるいは。満身創痍でありながら聖剣を振るうその姿にジルはそんな信頼を抱き始めていた。
「……わかった。でも、死ぬなよ、騎士」
「当然だ。まだまだやるべきことが山積みだからな」
それだけ告げて、ラグナは自らブレンへと向かっていく。自分に敵の目を集める為、そして、生き延びる為にはそれが最適だと判断したのだ。
同時に、ジルも動く。巨人化した右手でリエルを掬い上げると、掌に隠したまま飛ぶ。
身体の一部でも巨人化した状態では速度が著しく低下するが、誰かを運ぶにはこうするしかない。完ぺきにも思える超越種としての特性にも欠点は存在するものだ。
それでも逃げるだけならばどうにかなる。
兵士たちの注意はラグナに向いている。今のうちに激戦地を抜けてしまえば、あとは迂回して公会堂に向かうだけだ。
あと少しで戦場から離れられる。視線を感じたのは、その時だった。
「――っ!?」
ジルの羽根が途端に鈍くなる。全身に重さがのしかかり、宙に浮いていた身体は地面に落ちた。
マルドゥクの魔眼だ。何人たりとも逃げることは許さない、そう言わんばかりに巨大な邪眼が二人を、いや、リエルだけを見ていた。
真意はわからない、しかし、その視線に良からぬものを感じてジルはリエルに覆いかぶさった。妖精の肉体に直撃を受ければ、即死だ。それが分かっていながら、彼女はジルを守ろうとした。
その覚悟に応えるように、銃声が響く。穿絶の魔弾は過たず標的を貫いた。