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第七十一話 剣風

 青鱗兵団は、約一万のハイリザードマンの兵士とそれを率いる十人の千人竜長、そして一人の兵団長から構成されている。

 この編成は他の魔王軍にも共通するものではあるが、青鱗兵団には特筆すべき例外がある。


 それは兵団長の護衛が存在しないという点だ。

 灰稜兵団においては死の騎士が、銀隗兵団においては機械の巨人がそれぞれその任に当たるが、青鱗兵団だけはその役割が存在しない。


 その代わり、軍団の手足である千人竜長はそれぞれの判断で行動することが許されている。

 青鱗兵団が七大軍団の中でも随一の機動力と攻撃力を誇るのはそのためでもある。千人竜長たちの連携と背後を省みる必要がないという()()が彼らの強さを支えているのだ。


 では、なぜ青鱗兵団においてのみ護衛が存在しないのか。その答えは一目瞭然だ。


 純粋の巨人にも匹敵する体躯。

 オリハルコンに勝ると称えられる蒼き鱗。

 空を裂き、地を割る六本のかいな

 大地を踏みしめる竜の如き四本の脚。

 250という規格外の性能レベル


 軍団長マルドゥクを表すありとあらゆる情報が彼という存在の強大さを物語っていた。


 ただただおおきく、ただただ強い。それがマルドゥクであり、彼が唯一の例外である所以でもあった。


 強大な魔物の跋扈する魔界における唯一無二の例外。ラグナが打ち倒べきものはそんな存在だった。


「…………どうする」


 聖剣を構えながらも、ラグナの口からは弱音が漏れる。心は折れていないが、理性は目の前の敵の戦力を正しく受け止めていた。


 勝てない。

 巨大なだけの存在なら何度も打倒してきたが、これは格が違う。灰稜兵団の屍の竜でさえこの魔物に比べればトカゲのようなものだ。


 この魔物はこれだけの巨躯を誇りながら、武人だ。身体が発せられる闘気と隙のない立ち姿が彼の技量を物語っている。


 人間が魔物に勝る唯一の点は技を使い、知恵を用いるという点だ。

 その唯一さえこの魔物には通じない。それだけで勝ち目などというものは存在しない。


 総合力で言えば、あのネルガルさえも上回る脅威だ。

 ネルガルの時はユウナギとの共闘だったが、今は一人。自分ではどうにもできない、ほかならぬラグナ自身がそのことを確信していた。


 それでもラグナは諦めない。


 勝ち目はない、それはわかっている。だが、できること、すべきことはある。少なくともこの状況において、一人敗北を認めることなど許されない。


「――聖剣よ」


 ラグナは覚悟を決めて、聖剣を両手で握る。深く息を吸い、意識を集中させていった。


 ラグナ個人の力ではマルドゥクには対抗できない。

 だが、今のラグナの手には聖剣がある。

 聖剣の最大出力。あの死の影さえも祓った蒼き極光ならばマルドゥクも倒せる。


 それに今ならば不意を打てる。マルドゥクはまだ動いていない。視線を上空に向けて、何かを見ている。


 聖剣の最大出力が何を招くかラグナは忘れてはいない。ましてや、今は唯一の守りたる星光の籠手すらないのだ、聖剣を放った後どうなるかなど考えたくもない。


 その上、敵はマルドゥクだけではない。彼の手足たる青鱗兵団はいまだに健在であるし、今この瞬間もアーネストはラグナの命を狙っている。

 よしんば、聖剣でマルドゥクを倒せたとしても意識を失ったラグナを彼らがどうするかなど考えるまでもない。


 勝っても負けてもラグナの命はない。ならば、勝ってから死ぬべきだ、とラグナは結論付けた。


 聖剣を振るい、あとのことはベルナテッドに託す。 

 あったばかりの彼女をそこまで信頼している自分に、ラグナは苦笑した。ベルナテッドと自分は似ている、そうであるならば……そんな身勝手な期待にラグナは縋らざるをえなかった。


 ラグナの意志に反応して、聖剣が蒼い輝きを帯びる。


 静かに振りかぶり、呼吸を止める。あらゆるものを消滅させる蒼き魔力光が解放されんとしたその時――、


「――っ!!」


 二つの瞳がラグナを捉えた。

 振り下ろそうとした両腕が鉛のような鈍さを帯びる。まるで夢の中でもがくような重さがラグナを襲った。


 魔眼だ。確実に相手に()()()を押し付ける()()()()()がラグナを捉えたのだ。


 そうして蠅を払うような気軽さで、マルドゥクは腕の一本を振るう。


 瞬間、ラグナは死を確信した。

 そのうえで聖剣の力をすべて、守りへと転換させる。蒼い魔力光が繭のようにラグナ、リエル、ジルの三人を包み込んだ。


「――っ!」

  

 その直後、猛烈な衝撃波が三人を襲う。魔力壁ごと地面から引きはがされそうになりながら、ラグナは耐える。漏れ出た魔力がラグナの両腕を焼き、命を削っていった。


 数秒の後、衝撃波がやみ、魔力壁も解除される。ラグナは片膝をついて、肩で息をしていた。

 かろうじて意識は保てているが、それだけ。立った一撃で戦闘不能寸前にまで追い詰められてしまった。


 否、実際には一撃でさえない。先ほどの攻撃はマルドゥクの振るった攻撃の余波、剣風とも言うべきものに過ぎない。

 マルドゥクにしてみれば牽制のようなものだ。それだけのものが地面を砕き、ラグナを消耗させ、堅牢な巨大な亀裂を生じさせた。


 彼我の戦力差は絶望というほかない。そんなものはいつものことだとラグナは自分に言い聞かせた。


「な、なんだ、ありゃ!?」


 背後で声が上がる。

 ジルだ。先ほどの攻撃の振動で目を覚ましたのだろう。


「……ジル、頼みがある」


 振り返ることなくラグナが言った。聖剣を杖代わりに、立ち上がる。


 ゆっくりと聖剣を構えた。もう一度最大出力を放てるかは賭けだが、ほかに選択肢はない。


 幸いにも、マルドゥクの視線はラグナには向いていない。再び天蓋の上へと向けられていた。

 理由はわからない。だが、好都合ではある。今のうちに最後の手を打つ。


「頼みって――それより! あれ! なんだよ、あの化け物!」


「わかってる。今からあいつと戦うから、巻き添えにならないようにリエルを連れて全力で逃げてくれ」


「た、戦う!? あれとか!? お前正気か!?」


 驚きと困惑に、ジルが明滅する。マルドゥクの姿は一目で戦意を消し飛ばすのに十分すぎた。


「ああ、正気だ。頼めるか?」


「に、逃げるのはいいけど……おまえ、マジで死ぬぞ。あんなの人間が戦えるような相手じゃない……」


「これがオレの役割だ。死んでもここの住人と、お前たちを守る」


「役割って……」


「いいから行け。ここにいたら巻き添え食うぞ」


 穏やかではあるが、ラグナの意志は揺るがない。


 ジルはそんなラグナに何も言い返せなくなる。ラグナの心情は理解できるが、納得はできなかった。


 状況は絶望的だ。敵はあまりにも強大で、数少ない戦力であるラグナは戦えるような状態ではない。

 どう考えても勝てない。もう鉄の空は終わりだ。ベルナテッドでもあんな化け物は相手にできない。

 

 なら、もう逃げるしかない。でも、何処へ? その思考に至った瞬間、ジルは一歩も動けなくなった。


 この鉄の空は逃げ場のないものたちがたどり着く最後の場所だ。

 ここに来た者たちはもう何処にも行けない、何処にも許してもらえない。例外なく欠陥があり、例外なくこの世界に見捨てられている。

 そんなものたちがどこへ逃げるというのだ。この鉄の空を失うということは世界そのものを失うことと同義なのだ。


 もう生きる意味さえない。絶望がジルの心を覆いつくそうとしていた。


「――まだ早い」


 その声は鐘の音のように力強く響いた。たった一言ではあったが、ほんの一瞬絶望を忘れるには十分だった。


「……え?」


「まだおまえもオレも生きている。なら、諦めるのには早い」


 それだけ告げると、ラグナは前に出る。ジルにはその背中が、いまだに満身創痍であるとは思えないほどに、頼もしく見えた。


 だが、現実は非情だ。

 周囲には無数の気配がある。青鱗兵団の兵士たち、主に成り代わってラグナを仕留めようとしていた。


 今のラグナにはマルドゥクと兵士たちを同時に相手取ることはできない。死を前提にして、どちらかを倒すのが精いっぱいだ。


 それでもラグナは前に出る。聖剣を手にたった一人で。


 まるで勇者みたいだ、その言葉をジルは飲み込んだ。

 勇者に縋り、勇者に頼る。それでは地上の人間ども同じになる。リエルにとってそれは絶望よりもなお、許しがたい堕落だった。


 兵士たちが一気に間合いを詰める。

 数でラグナを圧殺せんとした彼らを()()()()が吹き飛ばした。


「いいさ! 戦ってやるよ! お前に付き合って、最期まで!!」


 ジルの啖呵に、ラグナは笑みをこぼす。結局、いつでも誰かに助けられる。これでは永遠に勇者の代わりなど無理だ。

 

 だからこそ、戦う。進み続けることだけが、ラグナにできる唯一のことだった。

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