第六十八話 ベルナテッド
南側で三つ巴の戦いが始まった一方、ベルナデットたちのいる北側もまた激戦の最中にあった。
「――はっ!」
ベルナデットの拳が青い鱗を砕く。屈強なハイリザードマンが一撃で絶命した。
背後から迫る凶刃。左手で受け止め、そのまま右の貫手で兵士の腹部を貫いた。
指先に普段のような痛みはない。レベル50を超える高位の魔物でも星光の籠手には傷一つ付けられない。
続け様の攻撃は来ない。何かを待つように青鱗兵団の兵士たちはベルナデットを遠巻きにしていた。
「ふぅぅぅ」
ベルナデットは呼吸を整え、自らに意識を集中する。それだけの動作で持ち前の回復力が促進され、全身の傷が塞がり始めた
敵の動きは不可解だが、いちいち構ってはいられない。
重要なのは一匹たりとも背後には通さないこと。たった一人で大事を成すには、他の全てを切り捨てなければならない。
回復が終わると同時に、兵士たちの中から一際体格のいいリザードマンが姿を現す。
額に生えた角は彼がこの小集団を指揮する隊長格であることの証だ。その角付きは手にした盾を剣で打ち鳴らすと、切先をベルナデットに向けた。
「――なるほど」
その動作にベルナデットは相手の意図を察する。
敵は一騎討ちを望んでいる。ベルナデットを強者と認め、栄誉をかけた果し合いをしようとしているのだ。
ベルナデットにその余分は理解できない。彼女は武人ではないし、なろうとしたこともない。戦いはあくまで生き延びるための手段であり、それ以上だと感じたことは一度としてなかった。
理解はできないが、好都合ではある。
敵が集団戦ではなく一対一を望んでくれるなら、それだけ時間が稼げるということ。少なくとも他の住人たちが集会所に避難し終わるまでに猶予が生まれることは確かだ。
ベルナデットは静かに拳を構え、今度は相手に意識を集中する。
このリザードマンはこれまでベルナデットが相手してきたような知性のない魔物とは違う。確かな知能があり、戦技や武具を活用する武芸まで備えている。魔物というよりは戦士というべき存在だ。
ベルナデットにそういった存在との戦闘経験はほとんどない。だが、彼女はラグナと立ち合っている。その時に比べれば目の前の相手には十分すぎるほど勝ち目がある。
ベルナデットが応える素振りを見せたことで、隊長格も動く。剣を低く構えて、地面を蹴った。
速い。が、見切れないほどの速度ではない。
そうして迎え撃つため踏み込んだベルナデットの左脚に、それが絡み付いた。
「――なっ!?」
左脚に痛みが走ると同時に、ベルナデットの身体が浮き上がる。何かに吊り上げられたかと思うと、そのまま地面に叩きつけられた。
倒れたベルナデットの全身に何かがまとわりつく。棘のようなものが全身に食い込み、肉が裂けた。
茨だ。紫色の強靭な茨がベルナデットの身体に巻き付いてた。
ハイリザードマンとは別の高位の魔物が彼女を拘束してるのだ。
「――兄弟たち!」
兵士たちの囲みを破って、二つの影がベルナテッドに迫る。隊長格の個体でさえ荒れ狂う金棒に吹き飛ばされた。
その姿をベルナデットは知っている。つい数日前、大迷宮の中で戦った二人組、双角兄弟だ。
復讐の金棒が高く振り上げられる。一撃でベルナテッドの頭を潰し、行動不能にするつもりなのだ。
「たああああああ!!」
ベルナテッドが叫ぶ。
それを切っ掛け、戦技が発動した。
過剰強化。身体の限界を無視し、一時的に身体能力を数倍に強化する。効果の終了後にはHPが大きく減少し全身に傷を負うことになるが、ベルナデットにはその程度蜂に刺された程度だ。
ベルナデットは強靭な茨を内側から引きちぎり、両腕で頭を庇う。
星光の籠手と二つの金棒が激突する。発生した衝撃波が周囲を薙ぎ払い、遅れて甲高い音が響いた。
多少の計算外はあったものの、絶好の瞬間に最強の攻撃をぶつけた。このために不快な女と手を組むことさえしたのだ。兄弟には必殺の確信があった。
アーネストがそうしたように、用心棒たちも魔軍を利用して機会を待った。最小の労力で、最大の戦果を挙げる。偉大な先達から受けた薫陶を三人は完ぺきに再現してみせたのだ。
だが、二つの金棒が弾き返される。兄弟二人を掛け合わせた剛力をベルナデットは完ぺきに受け止めていた。
ベルナデットだけでは耐えられなかったかもしれない。彼女のHPは膨大だが、先ほどの一撃は完ぺきだった。場合によっては全身の骨が砕けて、行動不能にされていただろう。
五体満足で受け止められたのは、星光の籠手のおかげだ。神鉄の装甲は衝撃を拡散して、彼女の両腕を守り切ったのだ。
「――はっ!」
金棒を受け止めたまま、ベルナテッドは前に踏み込む。籠手と金棒が摩擦して、火花を散らした。
ベルナテッドは姿勢を低くしながら、一瞬で間合いを詰める。兄弟の間をすり抜けて、そのまま背後の建物の屋上へと跳躍した。
「おまえ、私の場所を!?」
建物の上には、派手な服を着た女が立っていた。
ベルナテッドを追う用心棒の一人、踊り子のイレーナだ。すぐそばには彼女の使役する魔物、魔王の樹が蠢いていた。
空中で姿勢を翻して、ベルナデットは戦技を発動する。
天墜脚。高位の格闘戦技であるこの技は使用者の全身に炎のような闘気を発生させ、攻撃の威力を数倍以上に引き上げる。
魔王の樹はその茨を密集させて、己と主を守る。並の冒険者では傷一つ着けられない強固な防壁が立ちはだかった。
ベルナテッドの右脚が防壁を貫通する。闘気の炎はいともたやすく茨の壁を焼き切った。
天墜脚には炎の属性が付与される。魔王の樹は上位の魔物とはいえ、植物家の魔物だ。この系統の魔物には炎は天敵だ。
ベルナテッドの一撃は屋上を砕き、建物を崩落させた。回避も間に合わず、イレーナは瓦礫の中に姿を消した。
背後から茨に拘束された時点で、ベルナデットは敵の位置に見当をつけていた。
敵は背後から仕掛けてきた。そのうえほかの二人に指示を出しているということは、高所の可能性が高い。すべて推測に過ぎなかったが、直感を信じての行動が活路を開いた。
廃墟の上でベルナテッドは呼吸を整える。
まずは一人片づけた、残りは二人と無数の兵士たち。敵はまだまだ健在だが、今のベルナデットには思考を重ねる余裕と揺るがぬ自信があった。
たぐいまれな生命力と格闘への適性はベルナテッドの天性の才によるもの。その才と生命力は、彼女に過酷な人生を強い、その痛みは彼女に鋼の如き精神性をもたらした。
そして、いま彼女は生まれて初めてそのことを肯定的に捉えている。
今の自分だからこそこの場所を守れている。今の自分だからこそ敵を倒せている。今の自分だからこそ生きていられる。そんな積み重ねが彼女を支えていた。
今まではそんな風に考えられたことはなかった。ラグナとの出会いが彼女を変えたのだ。
自分より先を行く彼に憧れを抱き、そこに刻まれた傷に己自身を見た。ラグナを肯定することで、初めてベルナデットは彼女自身を認めることができたのだ。
ベルナテッドはラグナのことを恩人とさえ思っている。その恩人が共に戦ってくれている。
その事実もベルナテッドを励ましてくれている。彼の戦いが続く限り、彼女もまた決してあきらめない。
再び兵士たちがベルナテッドを包囲する。無数の殺気が彼女一人に集約された。
「――来い!」
一切怯むことなく、ベルナテッドは地面を踏みしめる。
状況は絶望的だが、それでも諦めるには足りない。そんなラグナの言葉を思い出して、彼女は微笑んだ。
だが、ベルナテッドも、そしてラグナもその気配に気づくことはなかった。鉄の空に迫りつつある気配、災厄そのものともいえるその騎影に。