第六十七話 敵討ち
冒険者の使命とは、弱者を庇護し、彼らを救うことだ。
その範疇には当然、人界を脅かす魔物の掃討も含まれている。冒険者たちの大半はこの使命を重視し、実行に移している。魔物との戦いは冒険者にとっての宿命と言ってもよいだろう。
ゆえに、その冒険者が魔物と手を組むことなどありえない。否、あってはならないのだ。
その禁忌をアーネストは容易く踏みにじった。彼は己の目的を果たすために倒すべき敵を利用したのだ。
「くっ!」
聖剣一本で、ラグナは無数の斬撃を受け止める。
青い鱗の蜥蜴人、並の冒険者ならば一匹でも手こずる魔物が一度に五匹。ラグナ一人を抑えるためにそれだけの戦力が投入されていた。
青鱗兵団。最初の戦いで相対した宿敵が今再びラグナの目の前に立ちふさがっている。
「っおおおおおおおおお!」
歯を食いしばり、全身全霊の力でラグナは五体分の膂力を押し返す。そのまま聖剣を振りぬき、五体を一度に両断してのけた。
かつてのラグナ、初めて青鱗兵団と戦った時のラグナではこんなことはできなかった。
度重なる激戦と数えきれないほどの死線がラグナを限界を超えて鍛え上げた。ただの膂力だけならばユウナギのそれにさえ匹敵するだろう。
だが、あの時と違うのはラグナだけではない。三つ巴の戦い、この状況そのものがかつての戦いとは比較にならない。
「――ほら、足止めてると死んじまうぞ」
視界の端で閃光が走る。翻された聖剣が弾丸を弾いた。
直後、二度目の銃撃。後頭部を貫こうとしたそれをラグナは紙一重でかわした。
乱戦のさなかにあっても、アーネストからの攻撃は続いている。
わずかでも隙を見せれば必殺の弾丸が飛来する。これまでに三度、どうにか凌いでこそいるものの、一撃ごとにラグナの体力は文字通り削り取られていた。
「――卑怯者! 魔軍と手を組むとは、恥を知るがいい!」
挑発を兼ねてラグナは本心を叫ぶ。戦場においてはいかなる手も辞さないラグナではあるが、こればかりは我慢ならなかった。
魔軍がどこから現れたのかはまるで見当がつかない。どうしてこの鉄の空を襲っているのかも、ラグナには分からない。
一つだけはっきりしているのは、アーネストと魔軍が協調とは言わないものの、互いに不干渉であるということだ。
青鱗兵団が襲うのはラグナだけだ。目の前にアーネストがいてもリザードマンたちは感心すら向けていない。まるでいないものかのように、ラグナに殺到していた。
それでもどうにか持ちこたえられているのは、ラグナ自身の成長と反対側の孔で敵の半数を抑えてくれているからだ。どちらか片方だけだったならとうの昔に鉄の空は陥落していた・
「おいおい、聖剣を盗んだ大罪人のセリフじゃねえな。それにオレはこいつらと手を組んだわけじゃない。ただ、お互いに相手を無視しているだけさ」
姿は見えず、アーネストの声だけが響く。声の位置にラグナが意識を向けた瞬間、それとはまったく別の方向から銃弾が飛んでくる。
直感を頼りに、ラグナは銃弾を防ぐ。固有装備であり、蒼い魔力光を帯びた聖剣ならば穿絶弾も寄せ付けない。
しかし、動きは止まってしまう。周囲を敵に囲まれたこの状況では致命的な隙だ。
「――っく!」
無防備なラグナの脇腹に、青鱗兵の槍が突き刺さる。すぐさま穂先ごと聖剣で断ち切るが、衝撃にさらに動きが鈍った。
幸いにも穂先は帷子を貫通してはいない。代用品とはいえバルカンの作った甲冑は十二分に機能している。
周囲には十近い気配がある。兵士たちは機を逃さない、脚の止まったラグナをしとめるつもりだ。
絶体絶命、だからこそ、ラグナは静かに息を吐く。聖剣を握る両手に力を籠め、意識を集中した。
瞬間、ラグナを中心として蒼い魔力光が立ち昇る。半円形に展開したそれは群がる兵士たちをもろともに吹き飛ばした。
聖剣の機能の限定展開。出力としては本来の千分の一以下だが、それでも意識を緩めれば一瞬で暴走しかねない。
一呼吸の間も無く、発砲音が響く。弾丸は咄嗟にかざした聖剣にぶつかり、ラグナの脇腹を掠めた。
「っ……!」
膝をつくラグナ。傷そのものは軽傷だが、HPは半分以下まで削られている。今のラグナならば戦闘そのものに支障はないが、痛みと身体にかかる理からの負荷はすさまじいものがある。
しかし、休んでいる暇はない。一秒でも剣を振るう腕を止めればそれで敗北だ。騎士としての誇りにかけて、鉄の空の住人をもうこれ以上傷つけさせるわけにはいかない。
「ようやく膝をついたな。褒めてやるよ、これだけしぶといやつは初めてだ」
またも声だけが響く。感覚を限界まで研ぎ澄ませても感じられるのは微かな気配だけ、それも数カ所に分散していてどれが本命なのか判別できない。
おそらく何らかの戦技だ。だが、ラグナには感知系の技がない。現状では攻撃されてからしか対応のしようがなかった。
姿のない魔銃使いに青鱗兵団、どちらか片方だけでも難敵だというのに両方を相手取るのは至難の技だ。
ラグナの限界は近い。それがわかっているからこそ、アーネストは慎重に、油断なくラグナを追い詰めているのだ。
しかし、全てがアーネストの思惑通りに進んではいない。彼の意図せぬところで戦況は急を告げていた。
「――オオオオオオオ!!」
咆哮と共に、その戦士は現れる。四本の腕にそれぞれ別の武器を持ち、復讐と怒りを瞳に宿して。
戦士は土煙を巻き上げながら、ラグナへと迫る。
四本の腕を同時に振り下ろす。あまりの膂力に、受け止めたラグナの足が地面へとめり込んだ。
「――見つけたぞ! ラグナ・ガーデン!!」
四本腕のハイリザードマンが怒りを吠える。鱗に覆われ、角を生やしたその顔にラグナは微かだが覚えがあった。
「お前はあの時の――!」
記憶が蘇る。
目の前にいるのは、かつての戦いで打ち破った名も知らぬ敵だ。
ラグナは彼と彼の部下を宝箱の罠にはめた。卑怯な真似をしたという罪悪感は消えていないが、まさかこうして再び立ち会うことになるとは思ってもみなかった。
「我が主、ドルナウ様の仇! 此度こそ討たせてもらう!!」
「っ!?」
リザードマン特有の長い尾がラグナの右足に絡みつく。そのまま掬い上げられ、ラグナの態勢が大きく崩れた。
そこ向かって再び四本腕が振われる。どうにか聖剣で受けたものの、ラグナの体は大きく吹き飛ばされた。
荒屋の壁をぶち破り、ラグナは屋内へと転がり込む。背中を強く打ち付けて、肺から息が漏れた。
「まだだ! 貴様はこの程度では倒れない! 魔界での転生を経て、磨き上げられた我が武! 貴様の全身に叩き込んでくれる!」
「――は。ははははは! 魔軍からも恨まれてるとはさすが大罪人だな! 俺様でもここまではモテねえぞ!」
戦士の口上に、アーネストが大笑いする。戦士は不愉快そうに鼻をひくつかせた。
ラグナはうめきながら、ゆっくりと立ち上がる。あばらが荒れたのか、激痛が走った。
「……敵討ちか。律儀だな」
「然り! 我が名はブレン・ヨトゥンソン! 新たに四腕の名を賜った青鱗の戦士なり!」
切先を突きつけ、名乗りを上げるその姿にラグナは敵ながら羨望を覚える。
武人らしく振る舞うというのは簡単なように見えて難しい。経験と研鑽に裏打ちされていなければただの虚勢と看破されてしまうからだ。
その点で言えば、目の前のブレンの気迫は凄まじい。レベルも100を超えているだろうが、それ以上に無念さと誇りが彼という戦士に凄みを与えていた。
難敵だ、とラグナは歯噛みする。できることなら真っ向から互いの武を競い合いたいが、それが許されるような状況ではない。今この時も、アーネストの魔銃が向けられているのだから。
案の定、アーネストは引き金が絞る。ブレンの敵討ちも、ラグナの罪の所在も彼にはどうでもいいことだった。
弾丸がラグナへと迫る。あと一撃でも掠めれば、ラグナのHPは限界だ。十全の状態では戦えなくなる。
ラグナは聖剣を構える。痛みのせいで一瞬動きが鈍る。その刹那、斧の一撃が弾丸を叩き落とした。
ブレンだ。彼の斧がラグナを救ったのだ。
「ーー邪魔立てするな!!」
続けて、左の棍棒が宙を薙ぐ。生じた衝撃波がいくつかの民家を破壊して、アーネストを打ち据えた。
「……おいおい。敵討ちを手伝ってやってんのがわからねえのか?」
「無用である! これは厳正なる一騎討ち! 貴様のような厚顔無恥が介在する余地などない!!」
怒髪天をつく大音声で、ブレンが宣言した。
利用できない敵と見てアーネストの銃口がブレンにも向けられる。
戦況は刻一刻と変わる。アーネストにも、ラグナにも、あるいは神と呼ばれる超常の存在にも戦場の混沌を支配することはできなかった。