第六十六話 穿絶
鉄の空に轟音が響き渡る。何かの崩れるようなその音を聞いた瞬間、ラグナは走り出していた。
遅れて、ベルナテッドも続く。二人は瞬く間に現場へと到着した。
音の源は鉄の空の南端、そこには驚くべき光景が広がっていた。
外壁に大穴が穿たられている。穴の側面は赤熱化し、数十層の装甲は元から何もなかったかのように消滅していた。
穴は外部から開けられている。いくら空間遮断結界が機能していないとはいえ、鉄の空の外壁の強度は大陸でも最高峰だ。事実、大迷宮に救う強力な魔物たちでも傷一つ着けられていない。
その壁に大穴を穿った。星の冒険者が一人、『穿絶』の名に恥じぬ偉業と言えた。
「――早速のお出迎えとはご苦労なこった。こっちとしては探す手間が省けて助かるがな」
男は穴の中から姿を現す。
つば広の帽子をかぶり、右手に魔銃を握っている。その姿を一目見た瞬間、ラグナは相手がただものではないと直感した。
「てめえがラグナか? 身代わりとか、ニセもんなら今のうちに言っとけよ」
「……人に尋ねる前に、まず名乗ったらどうだ」
男と言葉を交わしながら、ラグナは判断を下した。この男は最優先で排除しなければならない、と。
天蓋に新たに穴が開く。考えうる限り最悪の事態だが、想定していなかったわけではない。ラグナとベルナテッドがほとんど二人で戦っていたのはこの時のためだ。
気休め程度だが、ジルを筆頭として鉄の空の戦力は温存されている。その戦力を適切に配置すれば、二つの孔を同時に守ることも可能だ。
問題はラグナの目の前に立つこの男だ。この男の脅威はただの魔物のなどとは比べ物にならない。
「なんだ? オレの顔を知らねえのか? この、アーネスト・クーガー様の顔を?」
「『星』の一人か……!」
「ご名答だ、大罪人。そして――さようならだ」
ラグナの驚きに、アーネストはにたりと笑う。瞬きよりも早く、引き金が引かれた。
瞬間、ラグナの背筋に悪寒が走る。明確な死の予感、脳が状況を認識するより先に身体が反応した。
自分ごとベルナテッドを守るため大盾を展開する。そのままラグナは衝撃を受け流すために姿勢を下げた。
その判断がラグナの命を救った。
「――っ!?」
ラグナの頭上を弾丸が掠める。
ラグナの盾、これまであらゆる攻撃を受け止め、はじき返してきた「水銀の盾」に穴が穿たれていた。
反応に任せて、ラグナは地面を蹴る。建物の影に飛び込むその背中を再び弾丸が掠めた。
発砲は一度だった、だというのに、ラグナは二度も銃弾に襲われていた。
「サー・ラグナ!」
「オレのことはいいから北に回れ! 今頃向こうも襲われているはずだ!」
建物の影に隠れたまま、ラグナが叫ぶ。
敵が大迷宮の魔物だけならば、挟み撃ちなど警戒せずともいい。
だが、今はそこに人間が混じっている。ならば、必ず二つの孔から同時に攻めるはずだ。そうでなければ奇襲の意味がない。これを機に一気に鉄の空を落としにかかるはずだ。
「またまたご名答。だが、わかったところでできることは変わらないぜ」
アーネストはゆっくりと銃を構える。そうして、まるで見えているかのような正確さで影の中にいるラグナに向かって引き金を引いた。
弾丸は民家を容易く貫通し、ラグナへと迫る。かろうじてかわすが、遮蔽物から引きずり出されてしまった。
「くーーっ!」
「駄目だ! 自分の役目を思い出せ! 行け!」
堪えきれず助けに入ろうとするベルナデットをラグナが制する。
二度目の銃撃、ありえざるそれをラグナは小盾で弾く。装甲を大きく削られ、盾のそのものが歪んだものの、弾丸は僅かに逸れてラグナの足元に着弾した。
その瞬間、地面が吹き飛ぶ。舞い上がった砂埃の中に、ラグナの姿が掻き消えた。
「ラグナ!」
ベルナテッドが叫ぶ。彼女が踏み込むより先に、ラグナが動く。
白銀の大盾が土煙の中から姿を現す。盾はさながら城壁の如き堅牢さでラグナの身体を守る。
ラグナはそのままアーネストへと突っ込んでいく。
盾に隠れたラグナからは彼の姿は見えない。本来ならば身を翻すだけで避けられるが、アーネストはそうはしなかった。
銃を構えたまま、不動の構え。機動力が重要とされる銃使いの定石を無視し、彼は正面からラグナを迎え撃つつもりだ。
「――あばよ、マヌケ」
引き金が引かれる。発射された閃光に遅れて、銃声が響いた。
輝く弾丸が白銀の盾を貫く。一度目の着弾で右足を、二度目の着弾で頭のある位置を弾丸が貫通した。
仕留めた、という確信がアーネストの胸中に過る。
さすが大罪人、というべきか。二度も外すことになるとは思わなかったが、三度目はありえない。
アーネストの魔銃、固有装備「虚ろの火花」は稀少な武器である魔銃の中でも極めて特殊だ。
ほかの魔銃が魔弾、属性や魔法が込められ様々な効果を発揮する特殊な弾丸を発射するのに対して、この魔銃はたった一種の弾丸しか発射できない。
その銃弾こそが「穿絶弾」。アーネストの二つ名の由来であり、この弾丸と彼自身の戦技がアーネストを最強の冒険者の一人足らしめている。
穿絶弾の効果はあらゆる防御の貫通と破壊。魔法による強固な防御結界も、鍛え上げられた鎧もこの銃弾の前では意味がない。どれほど理不尽な防御性能を誇る強者が相手でもこの弾丸は必ず相手の命を削り取る。
白銀の盾が意味をなさなかったのはそのためだ。通常ならばこの弾丸はHPを削るだけだが、理から外れたラグナにはそのまま命を脅かす脅威となる。
そのことをアーネストは理解している。彼がこれまで打倒してきた障害の中には時たまそういうものがいた。
ゆえにこそ、まず足を狙い、頭を撃った。確実に動きを止めて、命を絶つためだ。
アーネストに油断はなかった。軽薄そうに見えて星の冒険者の中でも最も経験を積んでいるのが、彼だ。どんな敵に対しても確実に勝ちに行くだけの狡猾と慎重さを彼は持ち合わせている。
そう油断などなかった。ゆえに、その一撃を生んだのは、ラグナ・ガーデンという虫食いの可能性に他ならない。
「――っ!」
磨き上げられた直感が、アーネストの身体を動かす。手にした魔銃を咄嗟に盾とした。
頭上から奇襲。蒼い剣閃が兜割りに襲い来る。
剣と銃がぶつかり合う。蒼い高純度の魔力光が周囲を照らした。
そのまま刃と銃身が唾ぜり合う。いかな聖剣でも簡単には固有装備を断つことはできないが、アーネストは上から抑え込まれることになった。
「――てめえ!!」
両手で銃を支えながら、アーネストが叫ぶ。三度の銃撃を生き延びる者がいた、その事実は彼の誇りを大きく傷つけた。
対するラグナは、あくまで冷静だ。地面にしっかりと足を付け、聖剣にありったけの力を込めた。
先ほどの奇襲でラグナはアーネストを無力化するつもりだった。そのためにバルカン謹製の盾まで犠牲にしたのだ。
展開された大盾は囮だ。盾に姿を隠し、銃撃の瞬間、ラグナは跳躍していた。
そうして、一撃。武器を断ち切るだけの威力はあったはずだが、固有装備の強度はラグナの想定の上を行っていた。
しかし、状況はラグナに優位だ。剣の間合いならば、魔銃の利は活かせない。
「この、男と抱き合う趣味はねえんだよ! 離れやがれ!!」
「行け! ベルナテッド! ここはオレに任せろ!」
再びラグナが叫ぶ。戦闘に気を取られていたベルナテッドは弾かれたように走り出した。
それでも、彼女は何度も振り返りそうになる。そんな背中をラグナは見届けた。
「離れろって言ってんだろうが!!」
その隙をついて、アーネストはラグナに蹴りを入れる。両者の間合いが再び離れ、引き金が引かれた。
ラグナはそれを聖剣をもって迎え撃つ。蒼い刃は弾丸を切り裂き、その効果そのものを停止させた。
「……さすがは始まりの聖剣ってわけか。抜かせたオレのミスだな」
舌打ちを打つと、アーネストは冷静さを取り戻す。状況はいまだに彼にとって不利だが、アーネストにはまだ余裕がある。
「目当てはオレの首か。こんな場所までご苦労なことだ」
「そう思うなら差し出してもらいたいもんだね。この歳になると、正々堂々ってのはどうにも疲れる。だから――」
対するラグナにもまた油断はなかった。相手はあのユウナギと同等の実力者だ。警戒しすぎてもしすぎるということはない。
だが、ラグナもまたアーネスト・クーガーという人物を理解できていなかった。だからこそ――、
「ちょっとにぎやかにさせてもらうぜ!」
冒険者が魔物を利用するなど想定できるはずもなかったのだ。