第六十四話 五日間
大迷宮内部から地上と直接連絡を取ることは不可能だ。迷宮内の理が転移魔法や長距離での念話を遮断するせいだ。
そのため、ラグナがバルカン達と連絡を取るにはまず迷宮の外に出る必要があった。
本来ならば、容易なことではない。迷宮探索において最も犠牲者が出やすいのは行きではなく、帰りだ。
最深部までたどり着いて迷宮そのものを攻略したならばまだしも、半ばでの撤退では今まで来た階層を逆に戻る必要がある。特殊な脱出用の魔法や道具で短縮は可能だが、そうでなければこれまで攻略してきた階層を再度攻略しなければならない。
この際の難易度は潜った深度が深ければ深いほど上がっていく。かの大迷宮ともなれば、その難易度は計り知れない。
だが、今回に限って言えばその危険性は無視できる。ベルナテッドの持つ虫食いを使えば、迷宮の外へと直接転移することが可能だ。
ゆえき外部との連絡について問題があるとすれば理ではなく、もっと別のこと。今回の場合はそもそもラグナ達が鉄の空に出ることそのものの是非だ。
その点については、苦肉の策を用いざるをえなかった。
「……月を見るのは久しぶりだな」
空を見上げて、ラグナは新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。鉄の空の内部の空気も清浄ではあったが、遮るもののない空の下で吸うそれには解放感があった。
ベルナテッドの転移によって移動した先は、ゴドンの街から離れた砂漠の一角だった。
虫食いによる規則破りにも限界はある。転移できる範囲で最も安全なのが、この場所だった。
「…………忌々しい」
今にも刀を抜き放ちそうな不機嫌さで、ユウナギが言った。今の彼女にしてみれば、月も空も、砂漠の砂もみな平等に忌々しいものでしかなかった。
外部と連絡を取るための苦肉の策とは、鉄の空に人質を置くことだった。
そうしなければいくら口約束で鉄の空のことを密告しないと誓っても信じてはもらえなかった。
これまで鉄の空は住民以外に知られずに来たのだから警戒は当然だ。
しかも、今は通常空間と接続してしまった。こんな状況で外に出る許可が得られただけでも僥倖と言える。
人質として残るのはラグナとリエルの二人だ。力量上の戦闘力から言っても当然の帰結ではあったし、そもそもまともな移動手段を持つのがユウナギだけである以上、ほかに選択肢はなかった。
ほかに方法はなかった。確かに理屈の上ではそうだが、当事者が納得しているかは全く別の話だ。
自分が一人でバルカン達との連絡係を務めることについてユウナギは微塵も納得していない。納得はしていないが、渋々従っていた。
「……すまん」
「すまんで済むなら誰も切腹はしないでしょうね」
間髪入れずに返ってくる皮肉に、ラグナは頭を抱えたくなる。この先どうなるかもわからないのに、この調子ではまともに別れを惜しむことさえ難しい。
ユウナギとて武士だ。それぞれが役割を果たすことの重要性はよくよく理解している。自分一人で伝令役を果たすというだけなら彼女とてここまで意固地にはならなかっただろう。
「……時間ないから、早めにお願い」
控えめではあるが、あくまで強くベルナテッドが言った。彼女としては当然のことを言っているだけなのだが、ユウナギには親の仇を見るような睨まれる羽目になった。
しかし、ユウナギに言わせればすべての原因はベルナテッドにある。ベルナテッドがラグナ達を信用するようにほかの住人を説得できていれば全員で帰還できたし、なにより、そもそもか彼女がリエルをさらわなければこんな面倒なことにもなっていない、というのがユウナギの主張だ。そう言われて、ベルナテッドは反論しなかった。
それが余計にユウナギは気に食わない。せめて、憂さ晴らしにと喧嘩を吹っかけても柳に風では鬱憤がたまるばかりだ。
そもそも、ラグナのことを横に置いておくとしてもユウナギとベルナテッドは相性が悪い。少なくとも、当人同士は互いにそう思い込んでいた。
「……ともかく、お前が頼りだ。できるだけ早く、バルカンを連れてきてくれ」
「私を信用してないんですか?」
「信じてる。だから、任せてる」
正面からのラグナの言葉に、ユウナギは少しだけ機嫌を直す。
ユウナギの肩にはラグナとリエルだけではなく、鉄の空全体の命運がかかっている。その重責も信頼の証と考えれば、少しは楽しめた。
外部との連絡が許されたもう一つの理由がそこにある。
天蓋の修理ができる者がいるとすれば、バルカンただ一人だ。
鉄鋼に長けたドワーフである以上に、彼は遺跡の専門家でもある。外壁の機能を修復、あるいはそこまではできなくとも応急修理くらいは可能のはずだ、とラグナは鉄の空の顔役たちを説得した。
バルカンの助けがあれば鉄の空はかつての平穏を取り戻せる。そのために、住人たちはラグナたちを信じることにしたのだ。一歩間違えば何もかもを失うという危険を呑み込んだ上で。
その彼らの覚悟に応える必要がある。だからこそ、ラグナはユウナギにすべてを託したのだ。
使い魔の翼竜が砂埃を上げて舞い降りる。その背にまたがると、ユウナギはラグナと目を合わせた。
目を合わせたまま、何かを考えこむユウナギ。黙り込んだかと思うと、突然耳まで真っ赤になった。
「……大丈夫か?」
「…………問題ありません。ただ……」
ユウナギはらしくもなく言葉を濁すと、迷うように視線をさまよわせる。そうして意を決すると、こう続けた。
「この任を果たすにあたって、一つだけ褒美をいただきたいです。いいですか?」
「あ、ああ、オレにあげられるものなら……」
一応確認の形を取ってはいるものの、ユウナギの言葉には有無を言わせぬ迫力があった。
「それで、何が欲しいんだ?」
「……その時になったら言います。ともかく、お覚悟を」
「え?」
ラグナが答えるより先に、ユウナギは翼竜に鞭を入れる。竜は翼を開くと、大空に向かって羽ばたいていった。
残されたラグナは空を見上げて、途方に暮れる。
流石のユウナギもそんな無茶は要求してこないだろうが、中身が分からないといやおうなく不安になる。同衾した責任を取れ、とでも言われたらそれこそどうしようもなかった。
「どれくらいで戻ると思う?」
「……早くて五日、遅ければ七日だ」
ベルナテッドに訪ねられて、ラグナは意識を戻す。自分のことばかり考えてはいられない。
この砂漠からアトラス山の山猫族の村までは翼竜でも片道二日だ。村に着いてからも竜を休めるのとほかの準備に一日は必要になる。そこから竜を全力で飛ばしとしても帰りにはさらに二日かかる。
つまり、最低でも五日。天候に恵まれなければ、もっとかかるということも十分にあり得る。
「……五日、か」
ベルナテッドは拳を強く握る。内心の焦りをどうにか押し殺した。
現在、天蓋の孔には即席の防壁が築かれているが、いつ突破されるか分かったものではない。実際今日一日だけでも三度も魔物からの襲撃を受けていた。
鉄の空の疲弊は無視できないものになってきている。もともと戦うことを想定していなかった以上仕方のないことではあるが、兵力も食料も明らかに不足している。そう長くは持ちこたえられないだろう。
「……貴方たちがいなかったら、どうなってたことか」
「気にするな。オレも好きで君の手伝いをしてる」
顔を伏せるベルナテッドの肩に、ラグナは手を置く。力強く頷き、笑顔を見せた。
その笑顔にベルナテッドは体の力を抜く。状況は絶望的なままだが、彼にそういわれると何故か安心できた。
これこそがラグナ・ガーデンという人物の特筆すべき才能だ。能力値に現れることこそないが、ただそこにいるだけで人を勇気づけるだけの資質が彼にはあった。