第六十二話 二人の盾
鉄の空の下部には、二十個の魔力炉心が備え付けられている。一つ一つが一人前の魔法使いが一生かけても消費しきれないほどの量の魔力を生み出し、その魔力によって食糧循環施設、人工太陽、ならびに生命維持装置を機能させている。
これらのどれか一つでも欠けていれば、この場所に街を作ることは不可能だった。
逆に言えば、一つでも欠ければ鉄の空はその機能を停止する。そうなれば、三日も待たずに鉄の空の住人は全滅するだろう。この鉄の空は街としてもそうだが、防御施設としても欠陥品だ。
これまではそれでも問題はなかった。大迷宮の深部に存在するという地理的条件もそうだが、何より天蓋があったからだ。天蓋の周辺は空間そのものを遮断する結界に覆われていおり、外敵や迷宮内の魔物に注意を払う必要さえなかった。
しかし、今はその天蓋に穴が開いてしまった。原因は転移に巻き込まれた地上の用心棒たちだ。
彼らは逃亡に際して、内部から天蓋を攻撃した。外部からの攻撃に対しては無敵の天蓋も内部からではそこまでの耐久力はない。レベル100を越える猛者たちの一撃には耐えきれるはずもなかった。
その結果、外界から隔絶されていた鉄の空は通常空間と接続されてしまった。
接続された先は大迷宮の中層辺り。魔物が多く生息している区域だ。
迷宮とつながってしまった以上、鉄の空の内部も迷宮として判定される。つまり、そこに存在する人間は魔物にとって排除すべき攻撃対象として認識されてしまった。
そのため、鉄の空は周辺階層に存在する魔物を引き寄せてしまっている。日に六度も襲撃を受ければ、天蓋の応急修理さえできない。
ましてや、鉄の空で戦えるのはベルナテッドも含めてわずか数人だ。外壁が破壊されて三日間、少ない資材をどうにかやりくりして彼女たちは鉄の空を守っていた。
そのことをラグナが知ったのは夕食の席だった。
用意された食事はパンだけ。目覚めたときはついていた薄いスープさえなかった。
そこで、源左衛門はリエルに現状を尋ねた。最初は話を濁していた彼女だったが、結局はすべてを白状した。
そんな話を聞いて座っていられるラグナではない。次の瞬間には立ち上がり、前線へと向かっていた。
たとえ武器がなくてもラグナは戦う。ましてや、頼りになるユウナギは眠り込んでいる。それがわかっていたからこそ、リエルは現状を黙っていたのだ。
案の定、ラグナは素手で戦場に現れた。高レベルの魔物を拳で殴りつけ、大人三人分の大きさはあるオークを穴の向こうに投げ飛ばしてみせた。
そのラグナを見かねて、ベルナテッドは彼に聖剣含めたすべての武器を返した。
もちろん反対意見もあったが、ベルナテッドは押し切った。現状では戦力の確保を優先せざるをえなかったのだ。
ラグナが加わったこともあり、翌日には孔の周囲に廃材を利用して最低限の防壁を築くことができた。魔物相手には心もとないが、それでも一定の安全を確保することに成功したのだ。
だが、どれだけ活躍してもラグナを見る人々の目はあくまで冷ややかだ。
この鉄の空の住人でもなければ、元奴隷でもない以上、仕方のないことではある。ましてや、この状況の原因となった用心棒たちの仲間であったとなればなおさらだ。
ラグナ自身も感謝や名誉を求めてはいない。彼にしてみれば、いつも通りに義務を果たした、それだけのことだった。
ただラグナと共に戦ったベルナテッドだけが彼を違った目で見ていた。
「――ここにいたのね」
一人離れた場所で休むラグナを見つけると、ベルナテッドは笑顔を浮かべた。鉄の空の同胞が誰一人として見たことのないような柔和な笑みだった。
「加勢ありがとう、騎士・ラグナ」
「……ただのラグナでいい。それと礼を言われるようなことはしていない」
「いえ、貴方は騎士よ。礼も言わせてもらう、貴方がいなかったらどうなってたことか……」
澄んだ目でそういわれ、ラグナは鼻を掻いた。誰かに軽傷をつけて呼ばれるのは酷く久しぶりで、気恥ずかしかった。
ベルナテッドの感謝は本心からのものだ。それが理解できるのが余計に、ラグナを戸惑わせた。
「……苦労で言うなら君の方が大変だっだはずだ。全員の傷を引き受けるなんて正気の沙汰じゃない」
ラグナが苦虫を噛み潰したような顔でそう指摘する。ベルナテッドの戦い方はラグナの目から見ても目を背けたくなるほどに壊れたものだった。
戦闘中、ベルナテッドは常にある戦技を発動させていた。
その戦技の名は「大いなる献身」。熟練の盾役でさえ発動を渋るような捨て身の技だ。
この戦技が発動している間、術者は効果範囲の全ての対象者の痛みや負傷、その他状態異常といったあらゆるダメージを引き受けることになる。つまり、庇われている側は相手の攻撃を一切気にせず戦うことができるが、庇っている本人はそのダメージに耐え続けなければならない。
どれほど優秀な盾役でも生命力はせいぜい他の役職の二倍程度だ。そのため「大いなる献身」を連続で発動できるのは数秒程度となる。戦闘中常に発動し続けるなど正気の沙汰ではない。
たしかにベルナテッドの生命力は規格外だが、それでも痛みや苦しみは人並みに感じてしまう。その痛みを食いしばりながら、彼女は孔を守っていた。
「誰かが怪我したり、死ぬよりもいいわ。それに私ならどんな傷を負っても死なないし、放っておいても治る。だから、苦労じゃない」
それだけのことをしていながら、ベルナテッドはなんでもないと首を振る。
できることをできるものがする。そんな鉄の空の基本則を彼女は誰よりも忠実に守っていた。
「だが、痛くないわけじゃない。苦しくないわけでも。君はもっと自分を誇っていい」
「そ、そう?」
頬が熱くなって、ベルナテッドは思わず視線を下げる。感謝も尊敬も勝ち取ってきたが、正面から誰かに褒められるのには慣れていない。
「でも、それを言うならあなたもでしょ? 戦っている間、何度も私を庇ってくれた。おかげで、ほとんど怪我せずに済んだ。どこも折れてないなんか、初めてかも」
「これでも盾役だ。役割は果たす」
「なら、やっぱり、あなたは騎士だわ。今の職業がなんでも、世間でどう言われても、あなたの心は騎士のままよ」
ベルナテッドの言葉に、ラグナは目を見開く。
今までもラグナは己を騎士として定義してきた。既にギルドからは破門され、国からは大罪人として追われているが、それでも己は騎士だと信じてきた。誰に認められなくても、自分だけがそれをわかっていればいいと思ってきた。それを誰かに理解されるなどとは思ってもみなかったのだ。
「……君は、人間なんだよな?」
「ええ、種族的にはね。といっても、多分だけど。ああ、頑丈なのは生まれつきよ。どんなにしても死なないってんで、随分酷い目にあわされた」
「……なるほど」
ユウナギと同じ規格外、ラグナはそう結論づける。幼少の頃から、不思議とそういったものとラグナは縁があった。
「とにかく、何かお礼をさせて。誰かに助けてもらったのは初めてだし、そこんとこはきちんとしたいの。ダメ、かな?」
「ダメじゃないが……別にオレはそんなつもりで……」
そこまで言ったところで、ラグナは考えを改める。現状を考えればベルナテッドの協力がなければ動きようがない。
誰かに恩を押し付けるような真似は好みではないが、ここは好意に甘えるほかなかった。
「……外に出たい。連絡をつけたい相手がいるんだ」
ラグナが言った。ベルナテッドはしばらく困ったように唸ってから、「なんとかする」と頷いた。