第六話 誓い
結局、ラグナは三人の刺客を殺さなかった。
武器だけ取り上げ、人里の近くに放り捨てた。目覚める前に野盗や魔物に襲われないように厄除けのアイテムも握らせた上で、ラグナはそうした。
これから人間に襲われるたびにここまでしなければならないのかと思うと気が重くはあったが、一度誓いを立てた以上、妥協は許されない。
それに、収穫がなかったわけではない。
「……問題はなさそうだな」
ガリオンから奪った大盾を構えて、ラグナは唸るように言った。
何度か振り回して、重さと感触を確かめる。いくつかの
戦技も試すが、問題なく使える。盾そのものに備わっている『防御力上昇』の付属効果も発動を確認した。
ガリオンの使っていた『大地の大盾』はレベル70以上でなければ装備できないアイテムだ。
ラグナのレベルは60。この盾は装備できないはずだが、『大地の大盾』はラグナの手に馴染んでいる。
奇妙な現象ではあるが、ラグナは気に留めなかった。少なくとも不利に働くのでなければ問題はない、そう割り切っていた。
同じく頂戴した剣の方は既製品ではあるが、性能は悪くない。これからの戦いでも十分に使えるはずだ。
ラグナは暗い森を進んで、リエルの小屋へと戻る。ユウナギの言葉通り、この小屋はダークエルフの村からも人間の街からも離れた場所にあった。
本来なら、ここに帰ってくるべきではなかった。
今のラグナは追われる身だ。しかも、この小屋のことはもう追っ手に露見している。そのうえでこの場所に戻ってくるのは愚かな行為だ。
それを分かったうえで、ラグナは戻ってきた。
ユウナギに戻るように釘を刺されたというのもあるが、それ以上に恩人であるリエルとユウナギを二人きりにしておけないというほうが大きい。
ユウナギは信用できない。少なくともラグナにしてみれば自分に起きている現象以上に不可解な存在だった。
そのうえ、まだやり残したことがある。誓いを果たすためにも妥協は許されない。
「あら、本当に戻られるとは……驚きました」
「戻れと言ったのはお前だろ」
「駄目元でしたのに。まあ、戻ってくださったのなら私としても喜ばしいことです」
にこにこ笑いながら、ユウナギは刀の手入れをしている。錆止めの油を塗り、布で拭っていた。
刀は日の光を照り返し、怪しい輝きを放っている。魅入られるような美しさがあった。
おそらく固有装備だとラグナはあたりを付けた。
固有装備は、所有者ただ一人ために鋳造される唯一無二のアイテムだ。これらの装備は耐久値が減らず、使い手のもとにあれば驚異的な性能を発揮する。
ラグナの背負う『始まりの聖剣』もその一つ。歴代の勇者のために鍛えられたこの剣は本来ならば絶大な強化を使い手にもたらし、退魔の輝きを放つ。
「必要あるのか、それ」
「ありません。ですから、癖のようなものです。こうしていると落ち着きますし」
「……なるほど」
頷きながら、ラグナは小屋の中にリエルの姿を探す。隅まで見渡しても見つからず、ラグナは首を傾げた。
「リエルなら村の方に行ってますよ」
見かねてユウナギが言った。
「そうか」
ラグナはそれだけ答えて、金貨の詰まった革袋を懐に戻した。リエルに直接渡さなければ安心できない。
ラグナの所持金と刺客たちから奪ったGを合わせたものだ。全部で5万Gある。これだけあれば三年は遊んで暮らせる額だ。
「おや、命の恩を金で済ませるおつもりですか? それも、人から奪ったもので」
「……ほかにできることがない。全部終わったらほかのやり方で返すつもりだ」
ラグナ自身、ユウナギの指摘は重々承知している。
命の借りを金で返そうなど騎士としては恥ずべき行為だ。
命には命で。騎士としての誇りを重んじるのならば、リエルに忠誠を誓い、傅くべきだろう。
だが、今のラグナにそれは許されない。
ラグナはすでに誓いを立てている。その誓いを果たすまではほかの道を歩む自由はラグナにはない。誰よりもラグナ自身よりがそう己を定めていた。
「おまえはここでなにしてるんだ?」
「次の予定を考えてました。魔軍はあなたに取られてしまいましたし、このまま貴方を観察するのも面白いかな、と」
からかうように微笑むユウナギを無視して、ラグナは預けておいた荷物をアイテム袋にまとめる。といっても、ほとんどのアイテムは青鱗兵団との戦いで使い尽くすか、破損していた。
「……これからどうされるおつもりなのです? 聖剣を盗んでいつまでも逃げおおせるとは思えませんが」
「お前に関係あるのか?」
「関係はありませんが、興味はあります。助けた命がどう使われるか、くらいは知っておきたいですし」
手を差し伸べたのはリエルだが、ユウナギの協力がなければラグナは死んでいた。それを持ち出されてはラグナとしては反論のしようがなかった。
「魔界の門を閉じにいく」
「……あなた一人でですか?」
「ああ。そのつもりだ」
ラグナの答えに、ユウナギは言葉を失った。
出会ったばかりのユウナギの目から見てもラグナ・ガーデンという男は馬鹿ではない。
魔界へ繋がる門を閉じる。口にするのはたやすいが、それを成すのがどれだけ難しいことか理解していないはずがない。
「門の周囲は異界化しているはず。それも魔軍本隊のダンジョンとなればかなりの深さです。それを分かって言っているのですか?」
「ああ、分かってる」
「……貴方はただの『騎士』です。レベルはたった60。勇者のように特別なわけでも、私のように強いわけでもない」
「知っている」
「……では、なぜ?」
初めてユウナギの言葉に感情が滲んだ。
困惑と疑念。ここ数日で何度もラグナの異常性は目にしてきたが、ユウナギには何がラグナを突き動かしているのか依然として理解できなかった。
「ダークエルフたちのためですか? でも、あなたのことを昨日の冒険者に知らせたのは彼らですよ。分け前目当てに自分たちの村の恩人を売り払ったのでしょう」
「だろうな」
「……理解できません。どこに命を懸けるだけの価値があるというのです」
「知らん」
一瞬、ユウナギの指が刀の唾にかかる。理解不能なものを目の当たりにして、半ば反射的な行動だった。
漏れ出した殺気はレベルの低いものならばそれだけで恐慌状態に陥るほどに強烈だった。
そんなものに当てられても、ラグナは何も変わらない。仏頂面のままこう続けた。
「オレが守っているのは、『誓い』だ」
「誓い……」
「オレは、あいつに、ロンドに約束した。あいつの代わりはオレが務める、と。なら、オレはあいつが生きていたらやるだろうことを代わりにやるだけだ」
そのためなら世界のすべてを敵に回す。
言葉として発さずともこれまでのラグナの行動がそれを証明していた。
ラグナはそのことを『当たり前だ』と考えている。自分の行為を誇るつもりもなければ、特別だとも考えていない。ただ彼は己のすべきことをただ愚直に実行しているだけだ。
そのことをユウナギは理解した。
同時に彼女のうちに恐れに似たなにかが生じる。ラグナと話しているだけで自分という存在が変えられていくような、あるいは否定されているような、そんな錯覚が心中にこびり付いた。
「それで、お前はこれからどうするつもりだ? 首を取るなら、門を閉じた後にしてくれると助かるが……まあ、せっかくそれだけ強いんだ。力はもっと有意義に使え」
「私は……」
「ともかく、リエルには手を出すな。それだけは頼む」
ユウナギを置いて、ラグナは小屋を後にする。
ラグナとてユウナギの変化に気づかなかったわけではない。
ただ今の彼にはほかのなによりも優先すべきことがあるというだけ。先遣隊を撃退してから四日、もう魔軍は動き出しているはずだ。
まず手に入れるべきは情報。魔軍の動きを探れば、最後には門へと行きつくはずだ。