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第五十三話 踊り子

 イレーナ・アルスコスは自分の能力に絶対の自信を持っていた。


 魔物をも魅了し、支配するほどの舞踏の戦技スキル。支配した魔物と契約し、使役する魔物使い(モンスターテイマー)という希少な適正(ジョブ)。そして、才覚(パッシブスキル)として特記されるほどの美貌。


 元奴隷という枷がありながら、ゴドン最高の踊り子と称えられるのにはそれだけの才能と並々ならぬ努力が必要だった。


 あらゆる障害を、悪意を、理不尽を己一人の力で跳ね除けてきた。どれだけ傷を負い、どれだけ汚れても諦めずに進み続けて今の地位を手に入れた。階段を少しずつ昇るように、ゆっくりと着実に。


 だから、この依頼もいつもの階段の一段に過ぎない、そう思っていた。例えかの大迷宮と言えども障害の一つに過ぎない、と。


「――フランシーヌ!」


 イレーナの右手に展開した魔法陣から無数の蔦が飛び出す。

 トゲに覆われた紫色のいばらは高位の植物種の魔物「冥王の樹」のものだ。レベルにして80を超えるこの魔物は無限の荊棘とその猛毒で時に山のように巨大なギカントタートルさえ捕食する。


 そんな怪物さえ、イレーナは容易く従えていた。


 凶暴なる茨は硬い壁を削り取りながら通路を進んでいく。恐れを知らぬ蔦は一瞬で()()をがんじがらめにした。


 それは銀色の塊だ。

 時には液体、時には固体。姿形を次々と変えるその特性はスライム種の魔物に酷似しているが、イレーナの知るどのスライムともこの魔物は違う。

 少なくとも、彼女の知るスライムは細切れの状態から再生などしない。


「潰しなさい!」


 ステップを踏んで、イレーナは命を下す。彼女ほどの踊り手ともなれば足運び一つで味方に強化バフを掛けることができる。


 絡みついた茨は驚異的な力でスライムもどきを一瞬で押しつぶす。泡を握りつぶすような容易さでスライムもどきはその体を周囲にまき散らした。


 しばらく待っても肉片が動き出す様子はない。イレーナは安堵のあまり、思わずその場にへたり込んでしまった。

 ある王族の前で舞を披露した時でさえこれほどの緊張はなかった。かなうことなら無様に泣き出してしまいそうなほどに彼女は追い詰められていた。


 ダイダロス大迷宮に突入してから、もう三日もの時間が経過している。

 二番手として突入したイレーナの探索は一日目までは順調だった。最初二転した場所もただの通路だったし、手持ちの魔物を上回るような強力な魔物と遭遇することもなかった。自動式の罠の中には危険なものがいくつもあったが、たとえ機械仕掛けであってもイレーナの舞ならば魅了して無効化することができた。


 下った階層の数はすでに三桁に昇る。難度の低い迷宮ならばすでに十回は攻略できている数だ。


 そう順調だった。イレーナは余裕さえあった。このスライムもどきに出会うまでは。


 スライムもどきのとの遭遇は二日目の朝のことだった。

 当初、イレーナは相手を見くびっていた。スライム種の魔物は平均レベルも低く、知性さえない下位の魔物とされているからだ。


 まず仕掛けたのは、斥候役として使役していた番いの黒狼獣ブラックドック。二匹はスライムもどきに牙を立て、そのまま消滅した。

 それから、イレーナはさらに三つの手駒を失った。それでもスライムもどきを倒すには至らず、魔物さえ魅了する神域の舞もこれには通用しなかった。


 それでも約一日、イレーナはこのスライムもどきと戦い続けている。手駒を温存しながらも果敢に攻め立て、どうにか今この厄介極まる敵を排除した、そう思っていた。


「――え?」


 憔悴しきったイレーナの前で、それは動いた。


 壁に飛び散った飛沫。もはや原形をとどめていないそれがまるで生きているかのようにうごめき、集っていく。


 そうして、もとの形へと戻る。つい先ほどまでと何も変わらない銀色の球体がそこにはあった。


「そ、んな――」


 イレーナは動かなかった。

 頭から足先まで凍り付いたように膠着して、抵抗しようという意志すら起こらない。


 絶望。久しく味わっていなかったそれが彼女を支配していた、


 スライムもどきの表面がにわかに泡立つ。

 攻撃の前兆、この数日で見慣れたそれがとうとうイレーナの本人に牙を剥こうとしている。


 瞬間、彼女の脳裏にそれまでの人生が去来した。


 初めて立った舞台の光景。万雷の拍手の音。首に食い込む鉄の輪の冷たさ。

 そして、戯れに魔物の群れの前に放り出されたあの日のことも。

 あの時も誰も助けてくれなかった。羽をもがれて、全身をズタズタにされた後、魔物が飽きただけだ。


 今回もそうなる。誰も助けてくれず、相手が飽きるまで嬲られ続けるのだ。

 前との違いがあるとすれば、今回は生き延びられないということ。


 ゆっくりと目蓋を閉じる。己の人生の無意味さを噛みしめた後――、


「――そのまま伏せていろ」


 その声が響いた。低くて力強い、安心するような声だった。

 続けて鋼と鋼のぶつかり合う低い音が聞こえる。


 イレーナは恐る恐る目蓋を開けた。


「――はっ!!」


 そこには広く大きな背中があった。

 その背中が目の前にあった死を押しとどめている。銀色の大楯を構えて、スライムもどきを押し返していた。


 ラグナだ。突入前に見た彼の姿をイレーナは覚えていた。


 大楯の隙間からスライムもどきはその触手を伸ばす。鋼の鞭に打ち据えられ、ラグナがうめいた。


「ユウナギ!」


 ラグナが呼ぶと同時に、藍色の影がイレーナの背後から飛び出す。鋭い剣閃が無数な触手を容易く切り落とした。


 だが、切り落とされてなお触手は生きている。槍の穂先のように細長く変形し、ラグナに襲いかかった。


 再び、ユウナギが刀を振るう。細切れになった触手が地面に落ちた。

 それでも、動いてる。ユウナギが歯がみするより先に、ラグナが叫んだ。


「壁だ! ユウナギ、こいつを落とすぞ!」


「――っ了解!」


 ユウナギの刀が壁を断ち割る。大きな穴が通路に開いた。

 穴の向こうにあるのは、巨大な縦穴。

 ラグナとユウナギはこの階層に至るまでの過程でこの大迷宮の構造を概ね把握していた。


 このダイダロス大迷宮は巨大な円筒状の建造物だ。内側の壁を一枚隔てた向こうには地下奥深くまで続く縦穴がある。二人が大迷宮に突入させられた際に転移させられたあの縦穴だ。


「おおおおおおお!」


 盾を刺又のように変形させて、ラグナはスライムもどきを持ち上げる。そのまま傷を負いながら壁の穴へと投げ落とした。


 スライムもどきが見えなくなったのを確認して、ラグナは膝をつく。傷そのものは身体回復(小)のおかげで問題ないが、出血が酷かった。


「大丈夫ですか?」


 ユウナギの問いに、ラグナは頷く。この程度の負傷慣れたものだ。


 それよりも、とラグナはへたり込んだイレーナに視線を送る。ユウナギは心底どうでもよさそうな顔で、イレーナにも同じことを尋ねた。


 返事はない。イレーナは呆然としたまま、二人を見つめていた。


「……あー怪我とかしてるのか?」


 改めてラグナに尋ねられて、イレーナはようやく正体を取り戻した。


「い、いえ、問題ありませんわ」


 立ち上がりながら、イレーナは息を整える。心の中はどうあれ、何事もなかったように振る舞うのには慣れていた。


「借りが出来てしまいましたわね、ミスター……」


 不利と分かっていながらも、あえてイレーナは自ら借りがあると認める。あくまで貸し一つ、それ以上のものを求められないようにするにはこれが一番だとイレーナは知っていた。


「……ロンド、ロンド・アイデイオンだ。助けたのはたまたまだから気にするな」


 ため息交じりにラグナは偽名を名乗る。

 実際、イレーナを助けたのは全くの偶然からだし、貸しも借りもない、というのがラグナの考えだった。


 それにこの状況では戦力が増えるだけでもありがたい。現在地下百五十層、大迷宮の底はいまだに見えない。



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