第五話 新たなる戦い
ことが起きたのは草木も眠るような深夜のことだった
「…………むっ」
火の番をしていたラグナが気配に気づく。
小屋を包囲するように三つの気配が動いている。むき出しの殺意と敵意。間違いなく敵だ。
次の瞬間、聖剣を背負い、ラグナは屋外へと飛び出す。ユウナギでさえ目を見張るほどの行動の早さだった。
ラグナの行動に驚いたのはユウナギだけではない。小屋を囲みつつあった刺客たちも標的の予想外の動きに対応を迫られた。
刺客の一人、暗殺者はすぐさまラグナを追った。
隠密のスキルで足音を殺しながら、一気に間合いを詰める。黒塗りの短刀を抜き、ラグナの背中に切りかかった。
サイレントアタックの判定が成立し、『蜂の一刺し』の戦技が発動する。
ラグナが耐久力に優れるとはいえ、相手の防御を貫通するこのスキルを受ければただでは済まない。
暗殺者は勝利を確信し、彼の意識はそこで途切れた。
振り向きざまに振るわれた聖剣。鞘に収まったままのその刀身が刺客の顎を無残に砕いたのだ。
まずは一つ。残りは2つだ。
ラグナは倒れた敵には一瞥もくれず、聖剣を構える。
足元の刺客のHPはまだ残っているが、完全に意識を失っていた。
レベルにして60。本来ならばもっと苦戦してしかるべき相手だ。
勇者ではないラグナに聖剣は使えない。実際今も鞘から抜くことさえできないでいる。
だが、振るうことだけならできる。鞘に収まり、退魔の輝きを放たずとも、それ相応の速度で振れば人の骨など容易く砕ける。きわめて単純な理屈だ。
だが、適正がなければ武器を扱えないとされるこの世界において、このような形で傷を負うことはありえない。本来なら、ダメージ判定そのものが発生しないはずだ。
だというのに、刺客は一撃で戦闘不能に追い込まれてしまった。
「投降しろ! ラグナ・ガーデン!」
困惑しながらも刺客の一人が進み出た。
杖を掲げて、魔力をたぎらせている。魔法使いだ、とラグナは判断した。
「断る」
「聖剣を差し出せば命までは取らん! それでもか!」
「オレにはどっちも同じだ」
ラグナはそう言い放つと、地面を蹴る。聖剣を盾のように構えながら一気に間合いを詰めた。
「――焼き尽くせ! 『炎の御手』!」
空中に巨大な炎の手が現れる。発せられた熱に周辺の樹木が燃え始めた。
炎神の手がラグナの頭上に振り下ろされる。立ち昇った火柱が周辺を照らした。
疑似的な炎神の腕を形成するこの呪文は高位《レベル60以上》の魔術師にしか扱えない上級呪文だ。
通常この呪文は、その威力と消費魔力《MP》の大きさから対集団にのみ用いられる。実際この呪文一つで魔術師はMPが枯渇しかけるほどの消耗を強いられた。
それでもこの呪文を使ったのは、ラグナを恐れたからだ。
使えぬはずの武器で仲間の顎を砕いてみせたラグナの姿は魔術師には正体不明の何かのように思えたのだ。
その恐怖ももう終わった。
『炎神の御手』はラグナを骨も残さずに焼き尽くした。
遺体は残らなかったが、聖剣を回収できれば報酬は得られる。
だが、炎の中で動くものがあった。
「ぐぅ!?」
炎の中から飛び出したラグナは、そのまま魔術師に体当たりをみまう。地面にしたたかに打ち付けられ、魔術師は呪文を唱える暇すらなかった。
ラグナはまだ火の付いている右拳を魔術師の鼻面に叩き込む。骨の砕ける嫌な感触が拳に伝わった。
これで二人目だ。
『炎神の御手』をラグナは聖剣を盾にすることで生き残った。破壊不能の特性を持つ聖剣を頭上に掲げ、爆発の瞬間を切り抜けたのだ。
もちろん、防ぎきれなかった炎はラグナの身体を焼き、HPを削り取ったが、死に至るほどの傷ではなかった。
すでに身体再生が発動し、焼けた皮膚の修復が始まっている。戦闘に支障はない。
最後の気配の主は堂々と姿を現した。ほかの二人の敗北を見届けて、重い腰を上げたのだ。
「……聖堂騎士か」
「然り。『月光』の位階、『大盾』のガリオンである。故あってその首もらい受ける!」
名乗りを上げたガリオンは大盾を構えて、ラグナへと迫る。
ガリオンのレベルは80を超えている。
纏っている黒鉄の大鎧はラグナのそれよりもはるかに高い防御力を持ち、手にした剣も同等の性能を誇っている。
正面から戦えばラグナに勝ち目はない。この世界において数値の差は簡単にはひっくり返せない。
「ぬんっ!」
ガリオンは大盾を振るい、『城壁の一撃』を使用する。盾から発生した衝撃波が塊となって放たれた。
ラグナはこれを距離をとることでかわす。木を足場に跳躍し、ガリオンの頭上に聖剣を振り下ろした。
「効かん!」
ガリオンはラグナの一撃を兜で受けた。
ダメージはない。彼のHPは1たりとも減少していなかった。
『城壁の一撃』には己の防御力を高める付随効果がある。ただでさえ高いガリオンの防御力と相まってラグナの攻撃を完ぺきに無効化したのだ。
「落ちろ!」
左の剣をラグナに振るう。かろうじて聖剣で受けはしたものの、ラグナは地面にたたき落された。
「……石頭め」
「然り! どんな卑怯な手を使って二人を倒したのかは知らぬが、このガリオンには通用せぬ!」
すぐさま立ち上がったラグナの前で、ガリオンは勝ち誇っている。
実際、数値上のラグナの攻撃力ではどう足掻いてもガリオンの防御を突破できない。
それでもラグナは迷わずに動いた。
ガリオンの大盾に向かって真っすぐに突っ込む。大上段に振りかぶり、全力で切りかかった。
「効かぬと言った!」
ガリオンはその態度とは裏腹に油断も慢心もしてない。
大盾に防御力をアップさせるスキルを重ね掛けして、ラグナの一撃を受け止めた。
確かな感触が盾から伝わる。聖剣は盾に阻まれ、ラグナは反動で動けない。
「終わりだ! 『パラディオン・スラッ――」
ガリオンが発動させようとしたのはカウンター型のスキルだ。受け止めたダメージを倍返しするこの戦技ならば確実にラグナを戦闘不能に追い込める。
だが、盾の向こうにラグナの姿はない。ガリオンは本能的に頭上を見上げた。
そこには聖剣を振りかぶるラグナがいた。大上段の一撃をバネにして、さらに高く跳躍したのだ。
すれ違いざまに一閃。ガリオンの頭頂に再び聖剣が叩きつけられた。
「馬鹿め! 効かぬ――わ?」
すぐさま反撃に移ろうとしたガリオンだが、彼は動けなかった。
HPは無傷にも関わらず、ガリオンが膝をつく。視界が揺れてまともに立っていることができなかったのだ。
「き、貴様、いったい何を……」
頭を垂れたガリオンにラグナは容赦なくとどめを刺す。聖剣を横なぎに振るい、もう一度頭を打ち据えた。
ガリオンの巨体が崩れ落ち、動かなくなる。脳を何度もゆすられ意識を失ったのだ。
「……こっちが聞きたいくらいだ」
ラグナは聖剣を背負いなおすと、ため息を吐いた。
勝つには勝ったが、やはり、釈然としない。
戦ったのは間違いなくラグナ自身であるし、剣を振るった実感は手のひらに残っているが、ラグナは自分がほかの何かになってしまったような嫌悪感に襲われていた。
『HPを減らせなくても頭を叩けば敵は倒れる』など今まで考えたことさえなかった。ドルナウとの戦いにしてもそうだ。喉元ならば貫けるなどあの土壇場になるまでは思いつきもしなかった。
これまでも低い成長限界とステータスを補うためにあらゆる手を尽くして戦ってきたが、ここまで自由に戦えるようになったのはロンドが死んでからだ。
この世界のあらゆる戦士にとって戦いとは、『いかにして相手のHPを減らすか』に終始する。そのためにあらゆる手を使って攻撃力を上昇させ、逆にHPを守るためにできる限り性能のいい防具を身に着けるのだ。
だが、今のラグナは違う。『どんな手を使ってでも相手を倒せばいい』、そんな意識の変化がラグナに訪れていた。
「お見事!」
ひどく楽しそうな声が夜の森に響いた。
ユウナギだ。彼女は木陰から姿を現すと、倒れた刺客たちを興味深そうにつついて回る。
ラグナに助太刀するのでもなく、刺客たちに加勢するのでもなく、ユウナギは先ほどの戦いをただ観察していたのだ。
「素晴らしい戦いぶりでした。やはり、貴方はおかしい」
「……お前の仲間じゃないのか?」
「こんなよわっちい人たちなんて知りませんよ。でも、いいんですか? こいつら生きてますよ?」
「……わかってる」
刺客たちの命を奪わなかったのは、ラグナの拘りだ。
殺してしまえば面倒はなくなるが、ロンドならば殺さない。ラグナにとって重要なのはその一点だった。