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第四十九話 襲撃

 冷たい音と共に、隷属の首輪は地に落ちた。


 驚愕と困惑、まずはその二つが平等に訪れた。誰もが状況を呑み込めず、呆然とただの鉄の輪と化した首輪を見つめていた。


 奴隷たちの瞳に光が戻る。彼らが自分たちは自由になったのだ、と理解するまでは数秒もかからなかった。


 そこからの選択は一人一人に委ねられた。

 ため込んだ怒りを爆発させるもの。自由を失うまいと一目散に逃げだすもの。ただうずくまり喜びをかみしめるもの。今まで通りに奴隷としてふるまうものもいた。


 そして、()()()()()の選択の如何に関わらず、競りの会場は未曽有の大混乱に陥った。

 

 奴隷は奴隷ではなくてはならない。それがゴドンの街の大原則だ。何人にもそれを覆すことはできない、そのはずだった。

 今まで経っていた地面が突然消滅したようなものだ。立っているどころか、正気を保つことさえ難しい。


 そんな元主人たちの都合などお構いなしに元奴隷たちはその力を振るう。彼らがかつてそうされてきたように殴り、なぶり、殺し始めた。

 当然と言えば当然の報復だ。どれほどの仕返しを受けたとしてもここにいる者たちに異を唱える権利はない。


 正当なる報復による、正当なる虐殺。競りの会場に顕現したのはそういった地獄だった。

 その地獄の中をラグナたちは押し進む。ただ邪魔をするものだけを排除して、まっすぐに舞台へと向かっていた。


 奴隷たちにしてみればラグナと他の奴隷商人たちを区別する理由はない。ラグナ達にも事情を説明しているような余裕はなかった。


 実際、ラグナの瞳には目の前の敵さえも映っていない。脳裏には空間に走った黒い亀裂が焼き付いていた。

 あれと同じものをラグナは知っている。初めて聖剣を抜いた時に生じたもの、『虫食い』と呼ばれる現象。自分以外の誰かが同じ現象をおこせるなどと思ってもみなかった。


 確かめる必要がある。あの女が何者であれ、虫食いについて何か知っていて、使いこなしているのなら逃がすわけにはいかない。


 隣を走るユウナギとラグナは顔を見合わせる。一瞬、視線を合わせただけだが、互いの意図を理解するにはそれだけで十分だ。

 

 ラグナは正面から突っ込み、ユウナギが背後を抑える。挟み撃ちだ。


 舞台が見える。その瞬間、ラグナはリエルを抱えたまま、地面を蹴った。


「――待て!」


 着地と同時に声を張り上げる。舞台袖へと消えようとしていた女が振り返った。


 ラグナは正面から女と向かい合う。やはり、フードのせいで顔はよく見えない。

 ただ袖から垣間見える両の手は傷跡に覆われている。傷跡が多すぎて元の肌の色さえ判別が難しいほどだ。


 そんな彼女の手には件のアーカイブが握られている。どのような機能によるものか、手のひらに収まる大きさに縮小化されていた。


「罪人。我に何用か?」


「……そいつを渡してほしい。ついでに、一緒に来てもらえるとありがたいんだが」

 

 リエルを降ろし、ラグナが言った。混乱のおかげで商会の人間も舞台に近づけていない。今ならば、話をする余裕もある。


「断る。これは我らの目的のために必要なものだ。お前のような輩に渡すわけにはいかない」


「…‥随分な言いようだな」


 ラグナはそう言いながらも、内心では納得していた。

 今の彼は奴隷商人に扮している。そうである以上、この女の信用を得ようとしても無駄だ。


 であれば、方法は一つしかない。

 

「……力づくでも来てもらう。こっちにも事情があるんでな」


「幼子を奴隷として連れているような輩の事情など知ったことか。その上、首輪が外れているのに従っているなど……貴様……」


 弁解する間もなく、女は拳を握る。弧を描くように左脚を引いた。


 漲る闘志と吹き上がる怒り。それを目にした瞬間、ラグナは目の前の女が自分と同類であると再確認した。この女は己の信念の為ならば一切の妥協を許さない。

 つまり、話を聞かせるには実力行使あるのみ、ということだ。


 先に踏み込んだのは女の方だった。

 神速の踏み込み。姿が霞むほどの速度で、女は間合いを詰めた。


 最短かつ最善の動作で拳が繰り出される。

 全身の筋肉を連動させ、加速の勢いさえ乗せた渾身の一打。たぐいまれな身体能力から放たれるそれは巨大な魔物でさえ昏倒させるだろう。


 身体運用の極致ともいえる打撃に、ラグナもまた最小限の動作で答えた。


 右手の小盾で、拳を弾く。込められた破壊力はラグナにも盾にも伝わらず、舞台の一部を破壊するに止まった。


 攻撃を限界までひきつけ、着撃ヒットの直前に()()ことでその攻撃を無効化キャンセルする。一部の冒険者の間に伝わる、弾き(パリィ)と呼ばれる特殊技能をラグナは無意識の地に再現していた。

 盾役タンクとして培われた経験と虫食いとなったことで得た自由がラグナにこの技をもたらした。


 だが、女はそんな絶技に怯みもしない。それどころか、彼女の瞳には目の前の敵(ラグナ)さえ写っていない。


「――シッ!」


 独特の呼吸音。その後に放たれるのは流水の如き間断のない連打だ。

 拳。脚。手刀。爪先。四肢の全てを凶器として、女はラグナに襲い掛かった。


 その真っただ中に、ラグナは押し進む。右手の小盾だけを頼りに、連撃を捌き、いなしてみせた。

 女の攻撃は正確かつ苛烈だが、ラグナとて伊達に死線を超えてきたわけではない。この程度、当然のごとく踏み越えてみせる。


 わずか数秒の間に、百にも上る攻防が交わされる。攻撃が外れ、宙を走るたびに舞台の一部が打ち砕かれた。

 そのあまりの壮絶さに、近くにいたリエルはしゃがみ込むしかなく、巻き添えになった用心棒たちはみな一様に意識を失っていた。


「――はっ!!」


 そうして、ラグナの一撃が女の胴を捉える。女の細い体が宙を舞った。

 右手でのシールドバッシュだ。並の冒険者なら再起不能になるほどの威力があったが、女は倒れない。空中で受け身を取ると、そのまま着地した。


「……頑丈だな」


 何事もなかったように構えてみせる女に、ラグナは思わずそうこぼした。


 先ほどの一撃には確かに手ごたえがあった。

 女の装束の効果か、ダメージ表記はなかったが、骨を砕く感覚は体で知っている。間違いなくあばらの何本かは壊したはずだ。


 だというのに、女は汗の一滴も流していない。呼吸や動作にも影響は見られず、顔色一つ変わっていない。

 何らかの方法で瞬時に傷を癒したか、あるいは痛覚そのものを遮断しているのか。どちらにせよ、殺さずに無効化するには厄介な能力だ。


「――罪人にしては見事な技だ。しかし、解せぬ。それほどの力を持ちながら、奴隷商人に身を落とすなど……」


 拳に怒りを握ったまま、女が言った。

 女の感情はラグナにも理解できる。才とは謂わば特権だ。その特権を人を害するため、あるいは自分の利益のためだけに使うなど我慢ならない。義憤と言い換えてもいいだろう、ラグナにとっては酷く身近な生きる糧ともいえる感情だった。

 もっとも、自分がそれを向けられる側になろうとは思ってもみなかったが。


 いっそ言葉で否定と共感を伝えたくもなるが、言葉を交わせるような状況ではなかった。


「――シッ!」

 

 一呼吸の内に、再び女が間合いを詰める。


 今度は右の回し蹴りから。足先が流麗な弧を描き、ラグナの首元へと。

 姿勢を下げて、ラグナがかわす。掠めたことで髪の毛が数本宙を舞った。

 

 そのまますくい上げるように、ラグナは盾を振るった。

 狙いは顎、当たりさえすれば意識を奪える。


 女には回避できない。否、回避する気がない。ラグナと同じように攻撃の隙をついて、意識を奪うつもりなのだ。


 交差の一瞬、どちらかに揺れようとした勝敗の天秤は()()()()()()()()()()()()

 

「――あねさん! 逃げて!」


 響く声に、遅れてそれは突然現れた。

 ラグナよりも大きな巨大な拳。とっさに防御の姿勢を取るが、拮抗できずに吹き飛ばされてしまう。


 空中を飛ばされながらも、ラグナは敵の姿を目にする。家一つはある女の巨人、今まで影も形もなかったはずの巨影がそこには立っていた。


 そして、巨人の左手にはリエルが握られていた。


「――リエルっ!!」


 瞬間、ラグナは空中で身を翻す。着地と同時に、再び舞台へと吶喊した。


 だが、遅い。盾を振るう間もなく、腕を伸ばす一瞬よりも先に、巨人の姿は掻き消えてしまった。まるで最初から()()()()()()()()()()、そう告げるように。


 残されたのは混沌と困惑。ラグナの指は虚しく宙を切った。


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