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第四十五話 ゴドンの市

 西部辺境領はその大半を広大な砂漠に覆われている。

 プルトン大砂漠。古代ヴィジオン語で『死』を意味するその名前の通り、この砂漠には死が満ちている。


 高温耐性がなければ呼吸さえ難しいほどの灼熱と平均レベル50を超える強力な魔物の数々。腕に覚えがある冒険者でもこの砂漠を超えることは難しい。


 それでも、砂漠に点在するオアシスには多く人間が住み着いている。どれだけ住みづらく、過酷な環境でもこの砂漠が大陸の中央に存在する以上、ここに住まざるをえない者たちも多く存在するのだ。

 特に砂漠の中心部、ぺルセポナのオアシス周辺には一つの経済圏が形成されている。その経済圏こそが、ゴドンという名の交易都市だ。


 東のアルケイデン、西のアイデリア、北のクザンの品でさえもこの街には持ち込まれる。大陸有数の完全中立地帯ということもあり、ゴドンの街は砂漠のど真ん中にありながら物流の要として重宝されてきたのだ。


 ゆえにこそ、この街ではあらゆる不徳が容認される。

 三大国の法は及ばず、それどころかこの街で問題を起せば三大国の全ての怒りを買いかねない。そういったある種の庇護がこの街の悪には与えられているのだ。


 その代表例の一つともいえるのが、ゴドンの街の中央通りで開かれる大々的な()()()だ。ここでは大陸中のあらゆる種族の人間が商品として取引されている。


「――次の商品は、エルフ族の女! 年齢は百十歳! ご覧の通り、人間の年齢で言えば成人前の少女! しかも、今なら処女証明もついております!」


 今日も今日とて、照り付ける太陽の元、奴隷商が声を張り上げる。処女という単語に、見学していたものたちがこぞって下卑た声を上げた。


 ただの人間、エルフ、獣人、果ては魔物に至るまでこの場所ではありとあらゆる知性ある生き物が売買されている。

 値段の基準は、若さと力量レベルと稀少性。客の需要によってどれが重視されるかは異なるが、おおむねこの三つが奴隷の価値を決めているといってもいい。


 熱気に溢れた商人と客に対して、奴隷たちの目には光がない。抵抗を試みる者も、嘆き悲しむ者もいない。全員が全員絶望に沈み、項垂れてしまっていた。


 彼らの首に巻かれた『隷属の環』という魔道具マジックアイテムのせいだ。この首輪を巻かれたものは己の意志を失い、首輪の持ち主の命を聞くだけの人形へとなり下がる。特殊な体制の持ち主か、隔絶したレベルを持たない限り、抵抗は不可能。ヴィジオン大陸の奴隷経済を支えているのは、このアイテムといっても過言ではない。


 ここ数百年間。隷属の環の製造は大陸全土で禁止されている。その唯一の例外が、やはり、このゴドンの街だった。


 ゴドンの市には熱気と怨念が渦を巻いている。両者は溶け合うことなく、だというのに、お互いを煽り立てているようだ。

 嵐の前触れといってもいい。溜まりに溜まった想念はもはや爆発寸前にまで至っていた。


 そんな喧噪の中を真っすぐに進む一団がある。兜をかぶった偉丈夫と二人の奴隷。一人は世にも珍しい()()()()()()()()()、もう一人はヴェールで顔を隠し、()()()()()()()()()()()だった。


 一団は奴隷たちには目もくれず、その奥にある宿街へと向っていた。


「そこの旦那ぁ! ちょっとお待ちを!!」

 

 そんな彼らに声をかける者がいる。人相の悪い奴隷商だ。この男は市場を仕切っている顔役の一人だった。


「随分と珍しい奴隷を連れてらっしゃいますね……日輪の女に、ダークエルフのガキとは……」


 男は連れの二人を舐めまわすような目で観察する。

 鎖国している日輪の人間やもはや絶滅寸前ともいわれるダークエルフはゴドンの街でも珍しい。百年に一度とはいかないが、十数年に一度の出物といってもいいだろう。


 それだけの奴隷を連れているということはよほどの金持ちか、競りに参加できるほどの()()()だ。この界隈で商売するなら、面識を作っておくに越したことはない。


「どうです? うちの店もいいのが揃ってますよ。なんなら、使い古しを手放すってのも――」


「――チィッ」


 不意に、日輪の女が舌打ちをした。

 その瞬間に、空気が一変する。放たれた圧は市場そのものを軋ませ、街全体の空気を凍り付かせた。


 隷属の環を付けられてなお、封じきれぬ力の発露。圧倒的な力量レベルは隠しきれるものではない。市場にいる誰もがこの女がここで最強の存在なのだと気付かされた。


 奴隷がそれほどの力を持つことは許されない。それはこのゴドンの街の秩序を根底から覆すことに他ならないからだ。


 だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()


「――失礼した」


 兜の男が鎖を引いた。それも強く、奴隷を扱う手本のように力を込めて。

 女が悲鳴を上げて体勢を崩す。すかさず仮面の男は女を乱暴に捕まえた。


「誰が口を開けと言った。まだ調教が足りないのか?」


 男は女の細い首を掴むとそのまま持ち上げる。あまりの力に骨が軋む音が響いた。


「も……もうしわ……」


「しゃべるなと言った。それとも、ここで喉を潰してほしいか?」


 冷酷に力を込めていく男。女の足が宙を泳いで、空気を求める喘ぎ声が漏れ聞こえた。

 

 上下関係を示すだけにしてはやりすぎだ。奴隷を痛めつけるのが趣味のものもここにはたくさんいるが、指先に殺意まで込めるのものはそういない。


「だ、旦那、そこらへんで……」


 顔役の男が恐る恐る声をかけた。この街は無法地帯だが、いたずらに騒ぎを起こされたらどんな厄介ごとを招くか分かったものではない。顔役としての責任感が恐怖に勝っていた。


「……次はない」


「は、はい……」


 男は渋々と女の首から指を放す。女は咳き込みながら、地面に崩れ落ちた。


 兜の下の瞳が周囲を睥睨する。発せられる怒気に顔役は息を呑んだ。

 彼とて修羅場には慣れている。この界隈で生きていくには荒事への適性が必要だ。


 だが、これほど強い殺気を向けられたことはない。殺される、という確信に全身の細胞が震えた。


「……迷惑料だ。あとで店による」


「へ、へい」


 そういうと兜の男は顔役の手に金貨を握らせる。急に緊張が緩んで、折れそうになる脚を顔役は必死で支えた。


「来い」 


 それを見届けると、兜の男は鎖を手に進んでいく。二人の女はその後を苦悶の顔で引きずられていった。


 男の向かう先には、色宿がある。そこは買いたての奴隷を主人が調教するための場所でもあった。



 部屋に入った途端、ラグナは兜を脱ぎ捨てた。安物のベッドの上で兜が二度ほど跳ねる。己の行いに怒りが堪えきれなかった。


「……よい演技だったと思いますが」


「そういうことじゃない」


 ユウナギの気遣いが余計に、ラグナの怒りを煽り立てた。

 

 ユウナギの首にはラグナの指の痕がくっきりと残っている。その赤さがラグナに自分の行いを改めて思い知らされていた。


 ゴドンの街に潜入するにあたって、ラグナは奴隷商という役割を選んだ。より正確にはその身分を選ぶしかなかった。


 この街は自分たちの同類以外には極めて排他的だ。ただの冒険者、騎士、旅人などを名乗ったとしても信頼されることはまずない。

 だが、この街に属する人種であれば話は別だ。奴隷商や密輸人、背教徒、追放された商人。そして、奴隷。これらの職種ジョブの人間であれば街の懐に潜るのも容易い。


 そういったシスターの見解をもとに、ラグナ自身がこの作戦を決めた。

 リエルとユウナギに協力を求めたのは、二人が奴隷として価値があり、連れていると拍が付くからだ。信用を得るにはそれが最短の道だとラグナは判断し、二人は快諾した。


 だから、ユウナギとリエルの首に枷をはめ、鎖を引き、痛めつけもした。そうしなければ、見破られてしまっていたから。街に溶け込み、情報を集める前に正体が露見してしまうから。ユウナギの発した威圧をごまかすにはほかに方法がなかったから。


 そんな言い訳が思いつくことが、ラグナには余計耐え難かった。


「あ、あの、水をどうぞ。落ち着くと思います」


 ラグナを見かねて、リエルが水筒を差し出す。かすかにふるえる少女の手がラグナに冷静さを取り戻させた。


 こんな小さな子供がなけなしの勇気を振り絞ってくれているのに、自分のようなものがいつまでも沈んでいるわけにはいかない。


「……首は、痛むか?」


 水と一緒に、ラグナは己の感傷を呑み込む。今一番気遣われるべきなのは、ユウナギだ。

 

「え、ああ、そうですね、少し痛いですが、それだけです」


 言われてユウナギは首の傷に指を這わせる。ひりひりとした痛みが微かに走った。


「薬草がある。巻いておけばすこしは……」


「……いえ。このままで。この方が奴隷らしいですし。それに、私のせいですから……」


 何よりユウナギはよく回る己の口に驚いていた。

 

 今述べた言い分はすべて嘘だ。

 ただ、首の傷を消すのが惜しく思え、痛むたびに心の奥に甘い快感が走るからだ。


 首を絞められている時でさえ苦しさや痛みは感じなかった。それどころか、この女は己のものだ、そう主張されているようで悦びさえ覚えていた。


 事ここに至れば、色恋に疎いユウナギでも自分の歪さを理解できる。

 けれど、今までのような嫌悪感はない。むしろ、変わっていく自分を、人の道から外れていく自分をユウナギは受け入れつつあった。



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