第四十三話 鎧
バルカンとマオが村に戻ってきたのは、それから三日後のことだった。
アトラス山での戦い以来、山の国はその門を開いた。山猫族との限定的な取引ではあるものの、前代未聞魔軍の襲来に頑固なドワーフたちも変わらざるをえなかった。
山の国からは鉱石やドワーフ製の武具を、山猫族からは彼らを仲介して木材や食料を。魔軍の襲来により打撃を受けた地下都市を復興するにはドワーフ以外の力も必要だった。
その交易の窓口権交渉の代表に任じられたのが、ほかならぬバルカンだ。ドワーフでありながら山を下り、かつては冒険者であったという彼の来歴が見込まれたのだ。もっとも、面倒な役目は変わりものに押し付けておけばいい、という思惑もあってのことだが。
マオはそんなバルカンの手伝いを買って出ている。実際バルカン一人では細やかな交渉事には不十分で、彼女の持つ愛嬌は大いに役立っていた。
バルカンの工房はラグナ達の小屋の隣に用意された。もっとも工房というのは形だけで、基本的な火事道具が置いてあるのみだ。細かな修理はともかくとして、本格的な鍛冶仕事やドワーフとしての本領を発揮するのは難しい。
この工房と住まいである小屋の中でだけは、ラグナは安心して兜を脱ぐことができた。
バルカンとマオも半ばなし崩し的にラグナの一味に加入していた。
「鎧。鎧か……」
ラグナの話を聞き終えると、バルカンは荷下ろしの手を止める。自慢の髭を一しきり撫でた後、深々とため息を吐いた。
ラグナが訝しむ。バルカンがこのような態度を見せるのは珍しい。
「難しいか?」
「誰にむかって言ってやがる! わしは国一の鍛冶師だぞ! どんな鎧でも望みのままに作ってみせらぁ!!」
そう怒鳴り返しながらも、バルカンにはいつもの迫力がない。そのまま背中を向けて、工房の奥に姿を消してしまった。
普段ならば、自分の腕前についてがなり声で演説を始めてもおかしくはない。釈然としないラグナにマオが声をかけた。
「兄ちゃん、兄ちゃん、気にしないでくれ。実は、この前、山の国でさ……」
「マオ! 余計なこと言うんじゃねえぞ!」
バルカンの怒鳴り声にも怯まずマオが続ける。ここ半年でいやおうなしにこの声にも慣れてしまっていた。
「お偉いさんに鍛冶場の使用に制限つけられちまったんだ。人間相手に武器防具を作っちゃならねえ、新兵器の開発もダメだって」
「……なるほど」
ドワーフ大半にとって、鍛冶仕事は生き甲斐そのものだ。例え戦士として|超一流(レベル100以上)だったとしても鍛冶師として未熟ならば山の国では軽んじられる。その鍛冶仕事を制限されたのでは、落ち込むのも無理はない。
ラグナはとっさに自分の左腕を見た。
そこに装備されているのは、銀色の小盾。アトラス山での戦いで破損したものをバルカンが山の国で修理、改修したものでアイテム名を「水銀の盾」という。
変幻自在に形状を変えて、あらゆる状況に対応できるこの盾をラグナは大いに気に入っている。この盾だったからこそ乗り切りれた局面も数えきれないほどだ。
「兄ちゃんのせいじゃないよ。このまえおっさんドジ踏んじゃってさ。山から回収した魔導人形を起動したんだけど、暴走して……」
「あー、それで出入り禁止か」
「うん、まあ、元から好かれてなかったみたいだし、まーしゃないね。でもなー、オレもいろいろ見れなくなるのは残念なんだよなー。すげえんだぜ、山の国の鍛冶場。聖域に会ったみたいなよくわかんねえ機会がずらーって並んでてさ、それがずっと休まずに――」
「――鍛冶場のことは関係ねえ! もとから、あんな頭の固いやつしかいない場所に未練なんざねえんだ!」
工房の奥からバルカンの声が聞こえてくる。何かを探しているのか、ガチャガチャという音も響いていた。
「お前さん専用の鎧は鍛冶場があっても無理だ! 言っとくがな、わしの腕の問題じゃないぞ!」
「どういうことだ?!」
負けじとラグナも大声で聞き返す。何かをあさる音はさらに大きくなって、騒音と化していた。
「まず、素材がねえ! 精霊銀程度じゃくその役にも立たん!」
「強度は十分だろ! 今の鎧も最初は精霊銀だぞ!」
「だからぶっ壊れたんだろうが! お前自分の戦ってる相手の強さ分かってんのか!」
「じゃあ、どうしようもないってことか!」
「そうはいってねえだろ! 少し待ってろ! これだから若いやつは気がみじけえって言うんだ!」
あんたに言われたくない、という反論をラグナは飲み込む。バルカンの言い分にも一理あった。
アトラス山での戦いどころか、青鱗兵団との戦いの時点で鎧は気休め以上の役割を果たせていなかった。かろうじて星光の籠手と盾のおかげで生き延びてきたが、いつまでも幸運に頼っているわけにはいかない。
これから先も戦いは続く。昨今状況を鑑みれば、より状況が厳しくなるのは明白だ。使命を遂げるためにはまずは装備を整えねばならない。
「最低でも神鉄、それもただの精錬方法じゃだめだ! 御座所クラスの工房で設計図を敷かないと聖剣の余波に耐えられんからな!」
「聖剣の……」
「そうだ! 聖剣自体の機構はどうしようもないが、そっちは防具次第でどうにかできる! だから、相応の――おお、よし、あったぞ!」
ひときわ大きな、なにかの崩れる音が工房に響く。舞い立つ埃の中からバルカンはそれを担いで現れた。
「試作品だが、繋ぎくらいにはなるはずだ。丈も合うだろう」
バルカンが地面に降ろしたのは、一領の鎧だ。白を基調として、細やかな細工が数か所に施されている。肩と胸の部分には黄金色の金属が使用されていた。
アイテムレベルは80以上。ラグナ今まで着てきたどんな鎧よりも上等な鎧だった。
しかも、おそらく年代品だというのに丁寧に整備されて、汚れ一つない。何かバルカンにとって思い入れのある品であることは明らかだった。
「付与した加護や強化は発動しねえだろうが、それでもたいていの攻撃には耐えられるはずだ。裏地は竜の皮で、装甲は精霊銀を精錬して重ねて、胸と肩には神鉄を仕込である。人間が作った既製品とはわけが違うぞ」
「……オレが着ていいのか?」
「そのために出してきたんだろうが。おめえが遠慮しても倉庫で埃被るだけだ」
促されて、ラグナは新しい鎧に袖を通す。戦士として新しい武具に心が躍らないと言えば嘘になる。
白い鎧はこれまでの鎧に比べて驚くほどに軽い。そのうえ比較にならない程に頑丈なことは直感で分かった。
「どうしても攻撃を受けなきゃいけないときは、肩か、胸で受けろ。お前ならどうにか助かるかもしれん」
ラグナは頷きながら、関節の動きを確かめる。金属鎧でありながら、動きを阻害するような要素は一切ない。腰の部分でさえ自由に動かせるほどだ。
動きやすく、なおかつ防御力を備えている。レベルの不足しているラグナではその効果は発揮できないが、それでも防具としては完ぺきといえた。
「へぇー……すげえ。なあ、おっちゃん、オレにも――」
「お前はまずまともに槌を持てるだけの体力をつけてからだ。鎧を着てるんじゃなくて着られる羽目になるぞ」
バルカンに小突かれて、マオが舌を出す。
ラグナとユウナギが戦士として背中を預け合うようになったのと同じように、バルカンとマオもある種の師弟関係を築いていた。もっとも本人たちは弟子どころか、その見習いということも認めはしないが。
「その鎧は優秀だが、さっきも言った通り、聖剣の反動に耐えられるほどじゃない。これからも無茶をやんなら一から設計せんとどうにもならんぞ」
「……どうすればいい?」
「わしにもわからん。わからんが……」
髭をさすりながらバルカンが言った。しばらく考えているようなそぶりを見せると、重々しい口調でこう続けた。
「西の、あの西のくそったれ砂漠の近くにも、遺跡があるって噂は聞いたことがある。古代の遺産が砂漠の底に埋まっているってな」
「西か……」
「西? 西になんかあるのか?」
マオが聞いた。ラグナとバルカンは同じ理由で口を噤んだ。
西部辺境領には広大な砂漠が広がり、街といえるものは一つしかない。
その街の名はゴドン。ゴドンの街は冒険者ギルド発祥の地であり、今では大陸全体の奴隷売買の中心地として知られていた。