第四十二話 守るものたち
「――それで、また死にかけたというわけか」
ラグナの右腕に包帯を巻きつけながら、シスターが言った。
包帯の下にはやけどのような黒い傷が広がっている。両方の上腕から始まったそれは胸の近くまで続いていた。
今二人がいるのは、マオの村の空き家の一つだ。半年前に村人たちから好意でラグナの一味に譲られたものだ。
それ以来、ラグナはこの場所を拠点として各地の門の発生に対して対応してきた。
「痺れや痛みは? もう薄れてきたか?」
「だいぶ。まだ少し指先の方がちりちりしてるが」
「生まれ持った才に感謝することだ。あの才能がなければとうの昔に死んでいるぞ」
シスターは包帯を強く締める。彼女らしからぬ感情を手の震えが物語っていた。
彼女の言葉通り、ラグナの命を留めているのは彼の持つ「身体回復(小)」という才能だ。効果量も小さく、回復までの時間も長いが、あらゆる治療魔法も意味をなさない聖剣による傷を治すことができるのはこのスキルだけだ。
事実、黒い傷は少しずつ薄まってきている。一週間も安静にしていれば痕を残して傷は消えるだろう。
「……しばらく、聖剣は使うな。振るうにしてもあの力は封じてだ。いいな?」
「わかった。でも、必要になったら――」
「――いいな」
念押しするシスターの剣幕に気圧されて、ラグナは頷く。
前回に聖剣の最大出力を使用したのは、五日前だ。二度の連続使用がここまでの影響があるとは思ってもみなかった。
無論、ラグナとて死にたいわけではない。だが、自分の命を重んじてもいない。必要ならばいついかなる時でも差し出してみせる、その覚悟は不動のままだ。
「包帯の具合は?」
「問題ない。すぐにでも戦える」
「私は休めと言ったのだが?」
ばつが悪そうなラグナ。何度か指を動かすと、いつも通りに傷だらけの鎧を着こんだ。
胸甲も脛あても度重なる修繕でもはや原形を保ってない。実際防具としての性能は気休め程度だ。
依然無傷なのは、両腕を覆う星光の籠手だけ。腕の傷も籠手をしている部分にだけは及んでいなかった。
「いい加減鎧も限界だな。どこかで別のを仕入れてきたらどうだ? 思い入れがあるわけでもあるまい」
「これが一番しっくりくる。それに、お尋ね者が街に買いに行くわけにもいかないだろ」
「バルカンに作らせればいい。口は悪いが、腕はいい。よい鎧をこさえると思うぞ」
「鎧……鎧か」
たしかに新しい鎧が手に入るのならそれに越したことはない。
例え身一つでも戦うが、武具がなくては救えるものも救えない。武具の新調と戦力の拡充は急務と言えた。
「――たのもう!」
話を遮るように、小屋の扉が力強く開かれる。あまりの勢いに家自体が軋むようだった。
ユウナギだ。ラグナが小屋にいるときには、ユウナギは一声かけてから扉を押し開く。これは彼女の癖のようなものだった。
「ユウナギ……扉はもう少し優しく扱えと言っただろう」
「これは失礼。つい、緊張して……いえ、怒りで加減が効きませんでした。お許しを」
そう言うとユウナギは顔を伏せる。頬が微かに赤らんでいた。
実のところ、半年経って幾度となく共に死線を潜っても、ラグナと会うたびに彼女は緊張を感じている。扉への攻撃は半ば八つ当たりのようなものだった。
「あ、ああ、オレは大丈夫だ」
そんなユウナギをラグナは理解できずにいる。考えても理解できないので、一連の奇行を奇行として受け入れていた。
「……それで、どうしたのだ?」
育ての息子の鈍感さに呆れればいいのか、ほほえましく思えばいいのか迷いながらシスターが尋ねる。要件もなしに訪ねてこられるほど彼女が器用ではないことをシスターは知っていた。
「これです」
ユウナギは胸元を開くと、首飾りを衆目に晒す。白い肌と豊満な胸もついでにラグナの視界に入った。
咳払いしながら視線を伏せるラグナ。いつまでも慣れないという意味ではラグナも同類だった。
「……輝きがないな」
今度こそ進歩のないラグナにため息を吐くと、シスターが言った。
確かにギルドに公認された冒険者の証である首飾りから光が消えている。その意味するところをシスターは知っていた。
「とうとう追放された、というわけか」
「ええ、遅すぎたくらいでしょう」
「何か体調に変化はないか? 場合によっては呪いが掛かるときくが」
「あれは自分よりレベルの低い相手にしかかけられませんから」
「そうか、なら心配はあるまい」
胸を張るユウナギ。胸元が強調されたせいで、ますますラグナはいたたまれなかった。
しかし、いつまでもそんなことを気にしている場合ではない。ユウナギが冒険者ギルドから追放されたというのは、聞き流していいことではない。例え本人が微塵も気にしていないとしても。
「その……大丈夫なのか?」
「はい? ええ、体調ならば問題ありませんが……」
「いや、そうじゃなくて……」
言いたいことが伝わらず、ラグナは必死で言葉を探すが、どんな言葉をかけるのが正解なのかわからずに黙り込んでしまう。行動で何かを示すことはできても、言葉で誰かを励ますのは苦手なままだった。
対するユウナギもただ続きを待っているだけで言葉をかけるようなそぶりはない。内心では何を言われるのか予想がつかず心臓が高鳴っているのだが、それをおくびにも出していなかった。
「こやつはお前を心配しているのだ。ユウナギ」
見るに見かねてシスターが言った。当初は二人のもどかしさを楽しんでいたシスターだが半年もかけてこれではいい加減、老婆心がいたずら心に勝るようになる。
「し、心配……」
ユウナギの顔が真っ赤に染まる。耳まで熱くなって、彼女は思わず顔を伏せた。
嬉しくもあるが、同時にこそばゆいような奇妙な感覚に襲われる。口を抑えていないと、気持ちの悪いが溢れ出してしまいそうだった。
ラグナが自分のことを考えている。それも体と心を気遣ってくれている。そう思うだけで体の奥から熱が湧いてくるようだった。
「ゴホン。あとは若いもの同士でやるといい」
わざとらしく咳払いをしてからシスターはそそくさと外に出る。ラグナには引き留める暇すらなかった。
「…………その、あれだ。一応、オレのせい、だからな」
しばらくの沈黙の後、意を決したようにラグナが言った。
ユウナギもようやくまともにラグナの顔を見られるようになっていた。
「……まあ、半分はそうですね。貴方の供をしていなければこうして追放されることはなかったでしょうし……ああいや、断言はできませんね、私ですし」
ユウナギはあっけらかんとしているが、冒険者ギルドからの追放というのは並大抵のことではない。
まず当然のことながら、冒険者に付与されていた特権の全てを失う。
冒険者ギルドに公認され、首飾りを渡された時点で最下級の蛍火でさえもギルドに加盟している国家間の自由な移動を許可される。王国において農民の家に生まれれば転居にさえ煩雑な手続きを求められることを考えれば、破格の権利といってもいい。
ましてや、ユウナギは最高位たる星の位階にいた。彼女の持っていた権力と権威は小国の王のそれにさえ匹敵するほどだ。
ユウナギはそれをなんのこともないように放り出した。それも、ラグナのためだけに。
その事実がラグナの肩に重くのしかかる。半年前に責任を取ると言ったものの、自分程度で取り切れるものなのか怪しく思えた。
「……そんなことを気にされているのですか?」
「………逆に聞くが、お前はそれでいいのか。星の位階だって自分で得たものだろ」
ラグナにしては珍しく、遠回しな、探るような物言いだった。
実際ラグナはユウナギの答えを恐れていた。
もし、彼女に後悔や後ろめたさを感じさせていたのなら、それこそ取り返しようのない過ちだ。その二つが人生で最も厄介なものだとラグナは知っている。
「――あなた」
対するユウナギの反応は単純だった。
怒っていた。拳は震え、眉は吊り上がっている。これまでにないほどに感情的に、人間らしく彼女は怒っていた。
「な、なんだ、いったいどうし――」
「私を舐めているんですか? 私がこの程度のことで後悔するような人間だと本気で思っているんですか? そんな程度の気持ちであなたについてきたと? たかが冒険者ギルドから追放された程度のことで想いが変わったんじゃないかと?」
口上を述べる声はあくまで冷静だ。だが、有無を言わせぬ迫力がある。歴戦の戦士や強力な魔物が発する威圧感とはまた別の気配をユウナギが発していた。
彼女にしてみれば、己の覚悟と想いを軽んじられたようなもの。怒髪天を衝く心持ちになるのは当然だ。
「す、すまん」
「謝ってすむことではありません。そもそも、謝罪などほしくもない。謝ってすむなら腹を切る侍はいない、とはよく言ったものです」
最後の諺の意味はラグナにはよく理解できなかったが、それでもユウナギがなにに怒っているのかは彼にも分かった。
同時に頬が緩みそうになり、ラグナは気持ちを引き締める。自分が起こるときと同じような理由で起こっているのがうれしくなった、とは口が裂けても言えない。
「第一、貴方は私を軽んじている。確かに一度はあなたに後れを取りましたが、私の実力はこの大陸でも随一です。そんな私を友としているというのに貴方ときたら――」
「――ああ、わかってる。その、ありがとうな、なにもかも」
なおも憤懣やるかたのないユウナギに、ラグナは本心からの言葉を口にしていた。
同時に、ユウナギの言葉が一瞬止まる。誇らしげな顔をどうにかひっこめると、説教をつづけた。
実際、この半年、ユウナギがいなければラグナは幾度死んでいたかしれない。ユウナギが隣にいるからこそ、ラグナはこれまで四つもの門を破壊することができたのだ。
そして、なによりも、一人ではない。隣に立つ誰かがいる、それだけ万軍を相手取るに足る勇気が無限湧いてくる。
すでに騎士の名誉さえも失ったが、依然ラグナ・ガーデンという男の本質は守護るもの。虫食いとなってもその一点だけは変わっていない。