第三十九話 大陸動乱
その光は、始まりを告げる灯となった。
アトラス山から空を裂いた蒼の魔力光。その影響は山脈の山頂部を抉り取るだけには留まらず、世界を運用する理にまで及んだ。超極大の魔力ゆえか、あるいは聖剣そのものの持つ権能ゆえか、どちらにせよ、聖剣の一撃はこの世界を大きく揺るがしたのだ。
物理法則の乱れに、空間の綻び。小さなものでは計算式の狂い、大きなものでは天候循環の機能不全彼らに感知できただけでも数百の異変とあらたな虫食いが生じた。
これほどまでの規模での理への干渉は、ここ数千年間では初めての事態といっていい。さび付いた歯車が軋むように、世界そのものがガタガタと嫌な音を立てていた。
その音色に誘われるように、あらゆるものが動き出していた。
大陸最大の版図を持つクザン帝国。
聖剣を奪還せんと蠢動する聖剣教会。
新たな戦力を迎え、より大きな権益を得んとする冒険者ギルド。
独自の方法で救世の方法を探るアルカイオス王国。
そして、いまだ六軍団を有し、大陸侵攻を目論む魔軍。
そうして、彼らもまた天より見ている。すべての元凶にして、彼らの犯したたった一つの過ち、今やすべての渦中にある凡骨の騎士を。
アトラス山脈での戦いから、半年。ヴィジオン大陸は今かつてない騒乱の真っただ中にあった。
◇
アルカイオス王国北部辺境領域、イデルカルナ平原。
肥沃な原野と二つの川は有するその場所は王国にとっては最大の食糧生産地帯であり、国の経済を支える重要拠点だ。
そして、この地はクザン帝国と国境を接っし、古くから両国の間で係争地となってきた。
ここ数百年だけでも、領有権を巡って流された血の量は夥しいほどで、土壌の肥沃さはその血がしみ込んでいるがゆえと言われるほどだ。
そうして、乾いた大地を潤すように、再びイデルカルナ平原にて戦が始まった。
降神暦1595年10の月、第九次イデルカルナ会戦である。
戦の口火を切ったのは、クザン帝国。これまで魔軍への対応の為と称して国境を閉ざしていた獣の国が突如として王国領への侵攻を開始したのだ。
開戦の大義名分は、王国による人類種全体への裏切りというもの。皿が割れただけでも戦争を始めると言われるクザンが名分を掲げるというだけでも珍しいが、その内容が内容だった。
人類種全体への裏切り。その意味するところは、すなわち、魔軍への寝返り。クザン帝国は王国が魔軍の参加に下った、と宣言したのだ。
開戦からわずか三日で帝国軍は西部辺境領域の三分の一を勢力下に収めた。雷撃の如しと称えられるクザンの獣人旅団の面目躍如といえるだろう。
無論、王国側もこの事態を黙って見ていたわけではない。
『王の盾』とも称えられる聖堂騎士を中心とした軍団を速やかに派遣。いくつかの砦を奪還し、強固な防衛線を敷いてみせた。魔軍への対応を冒険者ギルドに一任し、戦力を温存していたことが功を奏したのだ。
クザン帝国軍、総数一万五千に対して、アルカイオス王国軍は約二万。数の上では王国側の優勢だが、個々の兵士の力量では帝国側が優越していた。
この時点での両軍は全くの互角といってもよく、幾度かの小競り合いの後、両軍の将はそのことを互いに理解した。
そのため両軍は積極的な攻勢ではなく堅実かつ守備的な戦術を取らざるをえなかった。互いに防衛陣地を形成し、オルカ川を挟んでにらみ合うことになったのだ。
このまま守勢を続ければ、有利なのは本拠地が近い王国側だ。にらみ合ったまま冬を迎えることになったとしても、王国軍は食料の心配をせずに済む。
対して、帝国軍は遠征である以上、常に補給線を意識せざるをえない。冬になり雪が降れば、本土からの輸送はより困難になってしまう。それまでにカイネイアの街の穀倉庫を奪取しになければ帝国軍は戦わぬままに飢えて死ぬことになる。
最初に、渡河を決行したのは帝国側だった。精鋭の象牙族部隊二百による強行突撃。その規格外の大きさと突進力に王国側は後退を迫られた。
想定外の攻撃に対して、王国軍は柔軟に反撃した。機動力に優れた騎兵を中心に、敵陣をかき乱したのだ。
数日にわたる激戦の末、戦場は膠着状態に陥った。オルカ川は紅く染まり、両軍の屍が山となっていた。
両軍にとってこの穀倉地帯は生命線だ。帝国軍はこの地を奪わねば生き延びることができず、王国はこの地を失えば国そのものが危うくなる。両者にとってここでの戦は絶対に退くことのできない戦だった。
そうして今日も夥しいほどの血が流される。戦場は混迷を極め、死者の無念が嵐のように渦を巻いていた。
飽くなき闘争と死の集積、条件はすでに整っている。
ゆえにこそ、『門』は開いた。
現世からの干渉か、あるいは魔界からの干渉か。切っ掛けがどちらであるにせよ、戦場のど真ん中に門は開いた。
そこから現れたのは、石巨人の群れ。鉄巨人、金剛石の巨人、そして、最上位種たる機械の巨人までも戦場に降臨した。
魔界七大軍団が一つ、銀傀兵団。その先遣隊だ。
意志持つ鉱物たちはその衝動のままに王国も帝国も見境なく踏みつぶし、すり潰していく。
石巨人の平均レベルは五十超だ。もともとの種族としての性能の高さも相まって兵士たちに対抗できるような相手ではない。
しかし、そのような状況でありながら、両軍は戦い続けている。
帝国側、王国側の双方ともにこの事態を自軍に利するものとして捉えたのだ。
魔物たちは見境なく暴れて、陣を乱している。であるならば、攻める機会になる。守りを固めた敵陣を魔物どもが打ち崩してくれるなら多少の犠牲はやむなし、そう考えたのだ。
軍を率いる将軍、それぞれの隊を率いる猛者たちならば石巨人たちに対抗するのは容易だ。だが、彼らが戦うのは目の前の人間であり、魔物たちではない。
当然の帰結として、犠牲になるのは二つの軍のレベルの低い兵士たちだ。彼らに許されたのは、前進して敵軍に八つ裂きにされるか、後退して石巨人にすり潰されるかの二択だけだった。
まさしく阿鼻叫喚。戦場という地獄がオルカ川流域に顕現していた。
その地獄に一条の光が射し込む。戦場から遥か上空、天を舞う翼竜の背から二つの影が飛び降りた。
背中合わせの影は、まっすぐに地上へ突っ込んでいく。
石巨人たちがいち早くその存在に気付く。天を見上げると、その口腔を開き、魔力を充填していく。竜のそれには及ばすとも、石巨人の魔力砲は強力だ。ましてや、十数の閃光の集中砲火だ。例え城壁の如き防御力があったとしてもひとたまりもない。
されど、この影に常識など通用しない。そんなものは息をするように踏み越えてきたのだから。
「――山薙ぎ」
極大の剣閃が大地を薙ぐ。巻き添えになった石巨人たちのHPが一瞬で0へと還った。
その威力も凄まじいが、最も驚嘆すべきはその精度だ。
これだけの範囲、これだけの破壊力を誇りながら、人間の死者は一人としていない。この技の主は己が手さばきだけで人間の巻き添えを避けてみせたのだ。
だが、剣閃が薙ぎ払ったのは前方の敵だけ。背後からの攻撃は依然として健在だ。
ゆえにこそ、二人なのだ。一人ではかなずとも二人ならば不可能はない。
蒼の魔力光。半円状に展開したそれが魔力砲を受け止める。魔力障壁だ、それも最高純度の魔力を用いた絶対の壁が二人の前に顕現した。
破壊の奔流の中でも壁は揺るがない。それどころか魔力壁は接触部分から魔力砲を焼失させていく。数秒後には、何もない無だけが残された。
聖剣の権能だ。触れたものを無へ還す聖剣の力を守りに用いたのだ。
そうして、二つの影が戦場へと降り立つ。
ラグナとユウナギ。二人の英雄がそこに立っていた。