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第三十六話 決着

 その輝きはヴィジオン大陸のあらゆる場所から観測された。


 魔法学においてもっとも純度の高いとされる『蒼』の魔力光。しかも、雲を突き、天を割り、星空にも届くほどの光の柱となれば、史書にも記述される奇跡と言っていい。


 十二神の降臨以来、初めての()()()()()()()。その出力たるや十二基の魔力炉心の最大稼働もネルガルの呪文も遠く及ばない。まさしく唯一無二の絶対的な力だ。


 ラグナはゆっくりと聖剣を大きく振りかぶる。全身の筋肉を弓のように引き絞り、最後の一撃へと準備をした。


 発せられた余波は担い手たるラグナにも及んでいる。担い手の命、あるいは魂そのものを燃やすように聖剣の輝きは増していく。

 声を発するどころか、呼吸するゆとりさえない。聖剣は今まで振るったどんな武器よりも重く、どんな炎よりも熱い。


 ”――これは”


 その光を前にして、死の影さえも自我を取り戻す。


 数十層の魔力障壁が瞬時に展開される。同時に影が地上の屍たちへと延び、彼らを強化した。聖剣が振るわれる前に物量で押しつぶそうというのだ。


 彼の生きた時代にも聖剣は存在した。彼の治世についぞ勇者が現れることはなかったが、それでもその威力と脅威は知っていた。


 だが、ただ知っているのと実際に前にするのとでは大きな違いがある。

 ましてや、ネルガルの知る聖剣の輝きは黄金であり、蒼ではない。これほどの力が地上に存在しているなど聞いたこともなかった。


 この輝きは己を滅しうる。そんな忘れ去ったはずの恐怖がネルガルの意識を呼び戻したのだ。


 ユウナギもまた、戦場にあって戦いを忘れた。刃を振るう手が一瞬止まる。生ける屍たちも蒼の輝きを恐れるように後ずさった。

 切り捨てた屍の数は三百と少し、ほんの数秒で彼女の周辺には屍山血河が築かれていた。まさしく修羅か、武神かという戦ぶりだが、そんなユウナギをして見惚れるような姿だった。


 聖剣担ぎ、大きく振りかぶるラグナ。

 全身を蒼に照らされ、指先は焦げたように黒ずんでいる。今にも息絶えてしまいそうな死に体だ。


 それでもユウナギにはラグナの姿がどんな益荒男ますらおよりも勇ましく思えた。


 決して優雅ではない。決して荘厳ではない。ただ一撃で敵を一蹴するようなそんな圧倒的な武とはかけ離れている。


 だからこそ、今のラグナは『勇気ある者』に相応しい。優雅でもなく、荘厳でもないからこそ、その姿は()()()()()()()()()()()()()という希望を示すのだから。


「――星よ」


 ラグナは力を振り絞り、呪文コマンドを唱える。

 効果があるなどとは期待していない。今の聖剣の様相はロンドの手にあった時とはまるで違っている。ラグナ自身の運命のようになにもかもが変わり果ててしまった。

 

 それでも唱えたのは、勇気を宿すためだ。居なくなってしまった友のように、自分にもできるのだ、と呪文を通して己を叱咤する。


 右足を踏み込む。地面を踏み割るように一歩前へ。

 永遠とも思える一瞬の後、大上段から聖剣は振るわれた。


 光の奔流が解き放たれる。蒼色の魔力光は空間を揺るがしながら、推し進む。


 迎え撃つのは、三十層の魔力障壁と装填された最高位の闇魔法(ヒュドラ)の連弾。宵闇を凝縮したがごとき暗黒が聖剣の斬撃とぶつかり合った。


 閃光が世界を満たす。激突の余波に山が割れ、暗雲が吹き散らされた。


 だが、次の瞬間、蒼い奔流が光を裂いた。魔力障壁を鎧袖一触に引き裂き、形のない死の影をもかき消していく。

 

”――ぬ、おおおおおおおおおおおお!!”


 影の身体が千切れ、魂を焼かれてもネルガルは諦めない。思念体の一部を切り離し、聖光から逃れようと抗う。


 いっそ無様でさえある。けれども至上の王と称えられた王聖は揺るぎはしない。

 臣下の顔、民の涙、踏みにじってきたものの無念。何もかもを覚えている。それらに報いずして、消え去ることなどできはしない。


 だが、ネルガルにはわかっていた。

 例え虫食いの力を使い生と死を入れ替えたとしても、過ぎ去った時は過ぎ去ったままだ。その矛盾を世界が許容することはない。大願を成したとて、あとに待つのは無人の荒野だけだろう。


 それでも、彼は止まれなかった。男して、戦士として、王として、認めるわけにはいかなかった。魔物と化し、真の魔性へと堕ちてなお、ネルガルはネルガルであることを捨てなかった。


 ゆえにこそ、この結末が待つ。聖剣はあらゆるものを滅する。止められぬものを止め、救えぬものを救うことこそが真なる勇者と聖剣の役割なのだから。

 

 蒼色の光が烈火のごとく燃え広がる。ネルガルの逃れようとする空間そのものを焦がし、瞬く間に夜明けの空に蒼い太陽を形作った。


 その光輪の内にあるのは、()()()()()。そこに囚われたものはたとえ光とて抜けだすことはできない。

 あらゆる物理防御、概念防御をものともせず攻撃対象を空間ごと消滅させる究極の斬撃。それこそが『始まりの聖剣』の本来の能力ちからだ。


 光輪が閉じる。消滅への一瞬、ネルガルの意識を過ったのは怒りでも、憎悪でもなく、安堵だった。


 死の影(ネルガル)は消滅した。しかし、聖剣による破壊はそれだけでは収まらない。聖剣の振るわれた直線状にあった山脈、大気、そして山中に存在した魔界へのゲートさえ一瞬で虚無の彼方へと誘った。


 あまりにも強大な力。まさしく人の手に余る最悪の破壊だった。


 それだけの力の発露には、当然代償が伴う。

 失われた大気を補うために、空気が空白へと流れ込む。小型の嵐が発生し、暴風が周囲の山肌を削り取っていった。


 すぐさま結界が強化され、余波を防ぐ。しかし、物理的な被害を防ぐことはできても担い手への負担は防ぎようがない。聖剣の一撃は、ラグナ本人にも取り返しようのない損害ダメージを与えた。


 聖剣を握ったまま、ラグナが膝から崩れ落ちる。地面に手を突こうとして、それすらできずに倒れこんだ。


 呼吸は浅く、激しい。酸素を取り込むことができずに、ラグナは溺れるように喘いだ。

 心臓の音も今にも消えてしまいそうなほどに小さく、微かになっていく。肉体の一部ではなく、細胞の全てが死に瀕していた。


 聖剣を振るった代償だ。最大最悪の破壊を成すための種火として聖剣はラグナの存在そのものを燃やしたのだ。


 ようやく終わりにできる、朦朧としたラグナの脳裏にそんな思考が過る。何度も死にかけ、その度に生き延びてきたが、これほど死を身近に感じたのは初めてのことだった。


 恐怖はない。いっそ心地よくさえある。十分に戦い、成すべきことを成した。多くの人々を救い、勇者としての役割を成した。ならば、ここで終わってもいい。


「――ラグナっ!」


 ユウナギが駆け寄る。そういえば名前を呼ばれたのは初めてだ、そんな暢気なことをラグナは考えていた。

 

 次第に、意識が混濁していく。少しずつ思考が寸断され、生きているのか死んでいるのかさえ曖昧になる。


 視界が黒く塗りつぶされ、あとに残るのは無明の暗闇だけ。ラグナが最期に見たのは、自分を見下ろしているユウナギの顔だ。


 頬を伝う涙と悲しみに満ちた瞳。そんな顔をさせてしまったことを悔いると同時に、ラグナはどこかで安堵を覚えてしまう。

 理由はわからないが、自分のために泣いてくれる誰かがここにいる。それだけで自分の人生には価値があったのだと満足してしまった。


 最後の一片を、ラグナが手放す。もはや虫食いにも留めることはできない。彼の命数は尽きようとしていた。

 

「――ドワーフ! どうなっている!」


 念話がつながっているのを信じて、ユウナギが問う。


 こうなってはもう助からない。ラグナに直接触れているユウナギは誰よりもそのことを理解している。

 それでも諦めない、諦められない。ようやく手にしたものを失ってなるものかと彼女の全てが叫んでいた。


”ああ! くそ! たぶん生命力マナが枯渇してる! 聖剣に吸い上げられたんだ!”


「わかるように言え!! どうすればいい!!」


”霊医術は専門じゃねえんだよ! だが、方法がないわけじゃ……”


「いいから答えろ! 何か方法は!」


”キスしろ! 粘膜接触で生命力を譲渡する! 意識を集中して、流し――”


 言い終わるより先に、ユウナギは行動に移っていた。

 冷たい唇に、己のそれを押し当てる。なにをすべきか、誰に言われるまでもなくユウナギはわかっていた。

 戦士としての卓越した本能ゆえか、あるいは愛ゆえか。どちらにせよ、彼女は答えを引き当てた。


 ただラグナのことを想う。羞恥も、意地も、痛みも置き去りにして、ただ相手の事だけを心に念じ、魂を燃やした。

 ユウナギ自身、自分が何を抱いているのかわかっていない。それでも今の彼女は愛の何たるかを体現していた。


 無償の愛(リザレクション)。失われた真の魔法の一つでも、死者の蘇生は容易ではない。逝くか戻るかを決められるのはラグナ本人だけだ。


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