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第三十四話 死の影

 ネルガルの身体が崩れていく。髑髏の奥の光が消えて、魂が肉体から抜け出す。たとえ死の王といえども、ユウナギの奥義を受ければ(HPが0になること)はまぬがれない。


 二度目の死の最中、ネルガルの意識を最期の記憶が過った。


 今より悠久の昔、ヴィジオン大陸にある帝国があった。


 その国は大陸最大の版図を持ち、国土は豊かで、民も健やかな理想の国といわれていた。

 国の名は、アウラ。古代言語で祝福の意味を持つ言葉だ。


 そして、今より千年前、アウラに一人の王が生まれた。

 死の支配者(ネルガル)と名付けられたその王は並外れた成長限界さいのうと野心を持っていた。

 より広い領土を、より多くの富を、より強い国を。ネルガルはその飽くなき欲望の最果てを大陸の統一と定めた。


 神話の時代でさえ成したもののいない大偉業を成し遂げるため、彼は己の才知の限りを尽くした。

 最強の家臣団を築き、軍を鍛え、国を富ませた。あらゆる手を使い、すべての障害をねじ伏せて版図を広げた。


 それから二十年の後、ネルガルは大陸のほとんどを手中に収め、大陸統一に王手をかけた。

 その偉業を前に大陸の誰もが王を称え、崇拝した。偉大なりし大王、死をも治める至上の君主、王の中の王。しかし、神をも超えると謳われながらも当の本人はそのことに虚しささえ感じていた。


 なにかを違えている。大陸のほぼすべてを手中に収め、あらゆる贅を極めても心は満たされない。

 虚しさだけがただ積もっていく日々、その果てにネルガルはある疑問を得た。

 それはおそらく大陸の覇者たる者だけが得られる視座であり、()()()()()()()()()()()()()()()でもあった。


 ()()()()()()()()()()()()()()()。その思考こそがすべての終わりであり、すべての始まりだった。


 そうして、次の瞬間、何もかもが滅んだ。二十年間で積み重ねてきたすべてがまるで積み木を崩すように容易く崩れ去った。


 まずは辺境での反乱。何の前触れもなく起こったそれらは瞬く間に大陸全土に広まった。まるで彼のに火を放つようような有様だった。アウラの統治はそれまで何の問題もなく受け入れられてきたというのにも関わらずあらゆる種族が反旗を翻したのだ。


 次に訪れたのは、前例のない天変地異。巨大な嵐が街を大地から引きはがし、世界そのものが揺れているかのような地鳴りが島々を沈め、前例のない大火事があらゆるものを焼いた。

 世界の終わり、そう呼ぶべき光景だった。


 だが、ネルガルは諦めなかった。大陸全土を統一し、外側を目指す。今までにない熱情が彼を突き動かした。復興を成し遂げ、ついには大陸最大の海軍さえ創設した。


 それがゆえに、審判は訪れた。

 天から降り注いだ光。その光がすべてを滅し、彼とアウラをこの世界から消し去った。文字通り、跡形もなく。


 次に目覚めたとき、ネルガルはその名にふさわしい死の王(アンデット)へと変えられていた。


 それでも、彼は諦めなかった。魔物へと作り替えられ、魔界へと堕とされてもネルガルは己が国と夢を取り戻すために力を磨き、知識の収集を行った。

 民をも道連れにした罪悪感が、()()()()()()()()()に復讐の念が、彼を突き動かした。外側を望んだことが罪なのだとしても、罰を受ける謂れはないと彼は叫び続けた。


 そうして、千年にも及ぶ研鑽の末、ネルガルはとうとう方法を見つけた。かつての世界を取り戻し、復讐を成し遂げるための方法を。

 

 虫食いによるシステムの破壊。藁に縋るような可能性でしかないが、そのためにネルガルは誇りを捨て、魔王にこうべを垂れることさえ良しとした。


 そう、彼は諦めない。執念と熱意は肉体ではなく魂に宿るものだ。仮初の身体が崩れようとも、その程度障害にさえなりはしない。

 

 魂だけ、精神だけとなっても彼が諦めることはない。千年の妄執はネルガルをもはや人間でも魔物でもないものに作り替えた。


 すなわち、真の不死者(アンデット)。世界を覆う暗闇そのものへとネルガルは変生へんじょうしたのだ。



 立ち昇る黒い影を見た瞬間、ラグナはユウナギの背中へと駆けていた。

 細い体を掴んで、地面へと押し倒す。全身でユウナギを覆い隠して、その上から盾で蓋をした。


 その直上を影が撫ぜた。軌跡に残されたのは、死した空気。淀み、腐り、倦んだそれは一呼吸吸い込んだだけで、肺が溶け落ちる。例え絶命を免れたとしてもあらゆる状態異常に襲われ、すぐに絶命に至るだろう、、

 ユウナギでもこれには耐えられない。ステータスとしての防御力は肉体の外側に適応されるものだ。

内側からの攻撃はあくまで対毒、対麻痺、対腐食等の耐性スキルの範疇となるが、この影、死の概念そのものとも言うべきこれは耐性さえも貫通する。生者である限り、この死には抗えない。

 一方、それが死である以上、すでに死したる屍たちには影響を及ぼさない。まさしく最悪の組み合わせといってもよかった。


 倒れたまま盾を振るい、ラグナは気体を打ち払う。その一瞬の接触で、銀色の大盾に無数の穴が開いた。

 

 そうしてラグナは盾の隙間から、敵の姿を垣間見る。


 地平線までを覆う、巨大な、あまりにも巨大な一つの影。 

 背筋に強烈な悪寒を覚えた。身体の全てがおののき、歯の根が合わない。知性の感じる恐怖ではなく、本能が発する警告だ。


 東部辺境領の遺跡で見たあの影に似ているが、あまりにも規模が違う。たった一個体の魔物がこれほどの魔力を発することなどまず不可能だ。


 ラグナはとっさに東の空へと目をやる。そこにはやはり、()()()()()()()()()

 太陽が見えない。東の空から昇りかけていたはずの希望さえ影は覆い隠してしまっていた。


 ありえない。アンデットである限り、どれほどのレベルに達しても日光を克服することはできない。ましてや、影となって覆い隠すなど想像の範疇にさえなかった。


「あ、あなた! なにを――!」


「いいから逃げるぞ!!」


 顔を真っ赤にしたユウナギを抱え上げ、ラグナはその場から飛び去る。なおも追いすがる死の影を大盾に変化した銀の盾で打ち払うが、今度は盾そのものの機能が()()()()()()停止してしまった。


 ラグナのもとに、鋼の馬が駆け込んでくる。その背に飛び乗ると、一目散に走りだした。


 逃げる二人を追うように、死の淀みは周囲の空間を覆いつくしていく。逃げ場のない面攻撃、否、世界そのものへの攻撃といってもよかった。


 いかに鋼の馬が速くとも空を覆う影を追い越すことはできない。死の指先が二人へと触れんとする。


「――ふっ!」

 

 咄嗟にユウナギが腰の刀を抜き放つ。極大の剣閃が奔り、死の指先が一瞬裂けた。

 戦技『山薙ぎ』。星の冒険者の持つ最大最強の技でさえ一瞬の時間稼ぎにしかならない。


 だが、その一瞬が二人の命を繋いだ。

 馬の蹄が鍛冶場の結界の中へと踏み込む。鋼の馬は二人を送り届けるとこと切れたように動かなくなった。


 そのまま影は結界の表面にぶつかり、周囲に拡散し、山を覆いつくした。結界ごと()()()()()()()()()()()()()()()


「これは――!」


 百戦錬磨のユウナギでさえ、こんな光景を見たことはない。実体のない影が山を溶かしていくさまなど神話にさえ存在しないだろう。


 ラグナもまた驚きは同じだ。目の前の光景に、ただただ立ち尽くすことしかできないでいた。

 

 今まで戦ってきた敵はいずれも劣らぬ強敵だった。誰一人として容易い相手などおらず、戦うたびに死線を潜り抜けてきた。

 だが、幸いにも、そのどれにも実体があった。姿形があり、肉体があり、確かにそこに存在していた。


 今回の敵にはそれがない。

 姿のない影、形のない影、死そのものと戦う方法などラグナは知らない。


 今は鍛冶場の結界が防いでくれているが、長くは持たない。

 淀みの中を進軍してきた屍たちが物理的に結界を破壊しようとしている。今は『概念防御』に演算を振り分けている以上、物理的な進軍には無力だ。


 瞬く間に、屍の軍勢が二人を囲む。総数にして数千、追い詰められたこの状況では対処のしようがない。


"――ちゃ、――いちゃん、兄ちゃん!"


 そんな中、開戦以来途絶えていた念話が、ラグナの脳内に突如として響く。

 

「マオ? マオなのか!?」


”うん! オレたちは無事だ! あの攻撃が直撃したのはオレたちのいた場所じゃなかったから……”


 マオの生存がラグナを安堵させる。生きているのはわかっていたが、こうして声を聴くのと頭でわかっているだけでは大違いだ。


 同時に、混乱に陥りかけていた頭が平静さを取り戻す。

 可能性がある限りは、その可能性は必ず起こる。その言葉がラグナの思考を開いた。


 姿のないもの、形のないもの、あるいは概念そのもの。そんなものさえも断ち切る刃が、この世界にはある。


 勇者の固有装備、『始まりの聖剣』。

 ラグナの背にあるこの聖剣こそが形のなきものさえ滅する無尽の刃。世界さえも浄化する聖なる剣だ。


 されど、その力を振るえるのはこの世界では『勇者』ただ一人。そして、その勇者は今この世界に存在していない。


 だが、もし、聖剣を扱えるものがいるとすれば、それは――、


「――っ!」


 聖剣の柄にラグナの指が掛かる。最後の希望に縋るように、その指先に力を込めた。


 心中に過るのは、甘い希望。もし自分が勇者であったのなら、そんな忘れ去ったはずの感情がラグナを突き動かしていた。




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