第三十三話 ラグナとユウナギ
着地の間際、ユウナギはネルガルに対して一撃を見舞う。大陸最強の一撃は闇の衣を裂き、死の王に手傷を与えた。
ユウナギはそのままラグナの側へと降り立つ。ここまで数百体の屍を蹴散らしてきたというのに藍色の着物には返り血一つついていない。
「おまえどうしてここに――」
「問答はあとです」
ラグナの当然と言えば当然の問いをユウナギは取り付く島なく切り捨てる。答えている場合ではなかったし、なにより、自分が必死でここに駆け付けたということを知られたくなかった。
ユウナギがラグナの行方を知ったのは、つい昨日のことだった。
アルゴーの街でラグナを探すこと、二日間。どうにか冒険者ギルドを訪れていたことまでは突き止めたものの、そこから先の情報を掴むことができなかった。
そこで、ユウナギは仮病と称して面会を拒む『東風』の支部長の屋敷に押し入り、刀を突きつけて情報を引き出した。きわめて強引ではあったが、最短最速の手段であったし、ユウナギのギルドにおける立場ならば許される。
支部長は当初、情報提供を渋った。出世欲だけは人一倍ある彼はユウナギの追っている情報がラグナに関するものだと目ざとく気付いたのだ。
しかし、鼻先に刃を突き付けられると彼は洗いざらいを放した。返答を間違えれば、その瞬間自分の首は地面に転がっている、と確信したがゆえだ。
支部長から得られた情報は二つ。仮面の怪人物は山猫族の村に向かい、そして、その村は現在魔軍の占領下にある、というものだ。
それからユウナギはわずか一日で三つの山を越えてこの戦場に駆け付けた。
今までに経験のないほどの全力疾走。もし間に合わなければその場で腹を切る、そんな覚悟で千里を走り抜けた。
狂おしいほどの衝動が彼女にそうさせた。もしラグナが死んでしまったら、そんな考えが過るだけで地を蹴る脚に力が籠った。
ラグナを殺したいのか、あるいは死なせたくないのか。それとも別の感情がそうさせているのか。それはユウナギにはわからない。
けれど、今この身は戦場にある。ラグナと共に。であれば、見惚れるほどの戦ぶりを見せつけるまで。その欲求だけははっきりとしていた。
そんなユウナギに応えるように、ラグナが隣に並ぶ。ユウナギの強さは実体験として知っている。味方になるならこれ以上頼もしい相手はいない。
”――集え”
不遜な挑戦者を前にして、王は静かに命を下す。空中に展開した召喚陣から十五体の死の騎士たちが姿を現した。
それはつまり、ネルガルの本領発揮を意味する。王とは本来、一人で戦うものではない。供周りを侍らせ、軍を率いてこそ王は王たりえるのだ。
実際、集った死の騎士たちはそれまでとは別物のように強化されている。もはや、別物とも言っていい。
ラグナとユウナギが同時に動く。言葉を交わすまでもなく二人の狙いは一致していた。
すなわち大将首。敵の王を打倒することでしかこの戦場は覆せない。
前に出るのはラグナだ。死の騎士たちが彼を囲むように間合いを詰めた。
十数の斬撃を大きく展開した盾が受け止める。死の先触れが発動し、ラグナのHPが0になった。
だが、倒れない。それどこか、数十体の死の騎士を押し返してみせた。
明らかに限界を超えている。虫食いが”覚醒”の段階を迎えたことで、意志の力が肉体の限界を遥かに凌駕したのだ。
ユウナギはその隙を見逃さない。ラグナの背中から飛び出し、刀を振るう。
煌めくような斬撃が闇を裂く。七体の死の騎士がたった一撃で塵へと還った。
アンデット族の魔物特有の物理攻撃への耐性、王による二重三重の強化。それすらものともしない攻撃力がユウナギにはある。
まさしく大陸最強。理に則って彼女を超えられるものはこの世界には存在しない。
一方で、敵もさるもの。ユウナギの一瞬の硬直を狙い、瞬く間に攻めかかる。数体の犠牲は前提として、嵐のような飽和攻撃を仕掛けた。
レベルだけならばユウナギは死の騎士たちを圧倒しているが、死の先触れの効果はレベルに関係なく発動する。彼女にとってもこの攻撃は脅威だ。
だが、今の彼女は一人ではない。
「――おおおおおおおおおお!!」
咆哮を上げながらラグナがユウナギの前に立つ。盾を高く構えると、傘のように展開し、己とユウナギを守った。
それが分かっていたようにユウナギは身を躍らせる。守りの隙間から飛び出すと、空中で三体の死の騎士を切り伏せた。
残る騎士は五人。ほかの騎士たちとはまるで違う。甲冑の意匠はより古くより厳めしく、竜を模してある。纏う魔力の強さも段違いだ。
それもそのはず、彼らのレベルは100を越えている。ただの死の騎士ではなく”死の守護騎士”とでも呼ぶべき存在だ。
そんな強敵たちを前にして、ユウナギは自然と笑みを浮かべていた。
これまで戦いにさえ心を躍らせることは少なかったが、今ユウナギはかつてないほどに幸福を感じていた。
隣に立つラグナも戦場にあって久方ぶりの充実を感じていた。誰かと共に戦うのはロンドの死以来これが初めてだ。背中を任される相手がいるというのがこれほどまでに頼もしいとは思ってもみなかった。
そんなラグナたちの背中を叩くように、後方でも反撃が始まる。鍛冶場が再起動して、結界を張りなおしたのだ。最初のものに比べれば非常に弱弱しいが、時間稼ぎにはなる。
それになにより、山猫族たちがまだ生き延びているという証拠でもある。どんな奇跡によるものかはわからないが、それだけでラグナは百万の援軍を得たような心持だった。
あとは勝つだけだ。
「――行くぞ」
ラグナの号令に、ユウナギはただ頷いた。
一歩踏み込んだ刹那、ユウナギの姿が掻き消える。次の瞬間、彼女の姿は守護騎士たちの方陣その中心にあった。
雷光の如き突きが守護騎士の一人に放たれる。とっさに構えられた盾ごと切っ先は騎士を貫いた。
戦技、『絶影』。レベル100にしてようやく習得できる移動系の戦技の最高峰。まさしく影さえも途絶えるとされるこの戦技は最長の無敵時間を持ちながら、硬直はほとんどない。
そうして、煌めきのごとき突きを放つ。戦技『穿天』。防御不能なこの戦技はどんな守備力もものともしない。
だが、それだけの技を受けても守護騎士は動く。屍に残る最後の意志は己の全てをかけて王の守護を完遂せんとする。
「――っ!!」
動かないはずの両手がユウナギを掴む。刀が抜けないように力と執念で抑え込んだ。
周囲の守護騎士たちがユウナギを狙う。彼女の首を落とさんと十数の斬撃が同時に放たれた。
ネルガルの闇の衣を貫けるのは、現状ではユウナギだけだ。彼女を失えばラグナ達に勝ち目はない。
ゆえに、ラグナは最初からそういうつもりだった。
「――『盾はここにあり』!」
ラグナが叫ぶ。そうして、彼の習得している数少ない戦技が発動した。
迫る凶刃。それがユウナギを裂く直前、ラグナとユウナギの位置が入れ替わる。
『盾はここにあり』。盾役担う騎士が習得できる高位の戦技にして、ラグナが誇れる唯一の戦技だ。
この戦技の効果は仲間と自分の位置を入れ替えるという単純明快なもの。だからこそ、戦場においては仲間の命を救う最強の盾となる。
白銀の盾がすべての斬撃を捉える。棘のように形を変えて、すべての守護騎士を拘束した。ラグナのHPは0になるが、それでは彼を倒すことはできない。
王への道が開く。その道をユウナギは駆け抜けた。
言葉を交わす必要すらない。二人は最初から己の役目を理解していた。
すなわち、剣と盾。この世界において基本にして理想とされる戦いの在り方。揺るがぬ信頼、あるいは愛情のような繋がりがなければこの戦法は実現しない。
王はなおも動じず、右手を掲げる。三重の魔法陣が展開し、そこから最強の呪文が放たれた。
九つの頭がユウナギを迎え撃つ。それら一つ一つに城壁を打ち砕くほどの威力がある。
『九頭蛇の牙』。暗黒属性の魔法の中でも最高位の呪文だ。
ユウナギは止まらない。ラグナそうするように彼女は己の役目にすべてをかけていた。
「覚悟!!」
そうして、奥義が放たれる。固有装備さえも破壊する一撃がついに振るわれた。
『一の太刀』。神を屠る一撃は形のない呪文を切り裂き、死の王さえも両断した。