第二十九話 戦場を駆ける
手綱を強く握り、ラグナは乗騎に『跳べ』と命じる。
刹那の遅れもなく鋼の馬は大地を蹴って、死の騎士たちの頭上を飛び越える。着地の間際、全身から魔力を放って群がる敵を吹き飛ばしさえした。
そのまま馬は屍を蹴散らして、死中に活を開く。数秒後、ラグナは死地を脱していた。
戦場を脱して、ラグナは鋼の馬を疾駆させる。ラグナの騎乗スキルは騎士として必要最低限でしかないが、この馬は駿馬の如き走りを見せている。それこそ、騎手たるラグナが戦場にいながら戦いのことを忘れるほどの見事な疾走だった。
まさしく人馬一体。
この鋼の馬はラグナの微かな思考さえも拾い上げながらも、自ら判断し主さえ知らない機能を巧みに駆使している。ヴィジオン大陸広しといえども、これほどの性能を誇る馬は二頭といないだろう。
それでも、一つだけ難点があるとすれば、またがった鞍から馬の鼓動と熱を感じられないことだろうか。
そんなラグナの思考を読み取ったのか、馬は抗議するかのように短くいなないた。
「――すまん」
思わずそう詫びてから、ラグナは馬に反転を命じる。
囮の役目は終わったが、まだ戦いは続いている。たった一人の遊撃隊だが、たとえ一人でもできることがあるのをラグナは知っていた。
山の王の鍛冶場を視界の端に捉える。そこにはヴィジオン大陸の長い歴史でも稀にみる奇妙な戦場があった。
数千の魔法陣が空中に展開され、そこから放たれる光の雨が屍の軍勢を押しとどめている。一つ一つの威力は微小でも、この数ならばこれほどの敵でも対抗できる。
巨人やオークなどの大型の魔物はうち漏らしてしまうが、当然対策はしてある。
鍛冶場にある三つの尖塔。そこから放たれる雷撃の威力は光弾のそれとは比べ物にならない。大型の屍さえも一撃で灰へと還るほどだ。
事前にバルカンから聞かされてはいたものの、実際に目にするのと聞かされるのではまるで違う。これほどまでの力があるとは想像してもいなかった。
「――いいか! こいつはただの城じゃねえ! 十二神が降臨する前からある古代の遺跡だ! つまり、とんでもなくすげえ代物だっつうことだな!」
説明になっているようでなっていないバルカンのだみ声が、ラグナの脳裏をよぎる。
十二基の恒星間級魔力炉心。多重積層術式による空間遮断防御結界。五千門の魔術砲台に、神の雷。これだけあっても本来の機能の半分でしかないとバルカンは言っていた。
ラグナにはそれこそ半分も理解できなかったが、バルカンの言葉を信じてラグナは作戦を立てた。
まずは陽動。ラグナ自身が一人で敵軍と向かい合い、できるだけ敵の戦力を引き付ける。
次が攻撃だ。鍛冶場の全火力を集中して、屍の数を減らす。少なくとも夜明けまで鍛冶場の防備が持ちこたえられる数まで。
あとはただ耐えるだけ。少なくとも六時間戦い続ければ、勝利が東の空からやってくる。
作戦におけるラグナの役目は前線の的だ。光弾の合間を駆け巡り、敵の注意を引き受け、その数を減らすのだ。
ラグナは鋼の馬を駆り、波状攻撃を潜り抜けた敵に剣を振るう。
想定よりも数が多い。囲まれては一巻の終わりだ。決して動きを止めるわけにはいかない。
そんなラグナの動きを阻むものがいる。鋼の馬に三騎の死の騎士が追いすがった。彼らは降り注ぐ光弾を意に介してさえいない。
死の騎士の一撃がラグナを捉える。手にした白銀の盾が斬撃を受け止めた。
「――くっ!」
衝撃と痛みにラグナが息を漏らす。盾で防いだにもかかわらず、HPが大きく減少していた。
死の騎士の固有能力、『死の先触れ』だ。
この固有能力はあらゆる防御技能、魔法の効果を無視して触れた相手のHPを減少させる。どんなレベルで、どれだけの防御力を誇ろうともこの騎士の前ではあらゆる生者はいずれ死す運命にあるものでしかないのだ。
ラグナとてその例外ではない。これを受け続けては死ぬ、ラグナは理性ではなく本能でそう理解した。
そして、そう感じたのはラグナだけではなかった。
”――!”
銀色の棘が死の騎士を弾き飛ばす。鎧の防御さえ貫通し、手痛いダメージを騎士に与えた。
形態変形による自動反撃。馬と同じくラグナ自身の判断を待たずに、盾が己で判断したのだ。
この盾に銘はない。鍛冶場に放置されていたものを戦いに際してラグナが借り受けているだけで、盾と呼んでいいのかさえ不確かな何かだ。
実際、この盾はラグナのステータスに何の恩恵も与えてはいない。ラグナとしても気休め程度にしか思っていなかったが、これならば――、
「はっ!!」
右側からの攻撃をラグナは聖剣で防ぐ。疾走する鋼の馬に身を任せ、自らは三方から迫る攻撃を一手に引き受ける。
死の騎士の攻撃は青鱗兵団の兵士たちと比べてもはるかに熟練している。
攻撃に切れ目はなく、一つ一つの斬撃が重く鋭い。その上、馬上のラグナの死角を的確に突いてくる。まさしく死の嵐、生命そのものを否定するような猛攻だった。
死の騎士たちは、ステータス数値以上の強敵だ。以前のラグナならば何もできずに彼らの仲間を入りをしていただろう。
だが、ラグナとて伊達にあのユウナギとの死闘を生き残ったわけではない。幾度となく感じた死の実感はラグナを鍛え上げた。
ラグナの隙を狙い、死の騎士の一人が突きを繰り出す。切っ先はうなりを上げて、ラグナの喉元へと迫った。
”ぬぅ!?”
その軌道を銀色の盾が阻む。大型のはさみのような形状に変化し、死の騎士を掴んだのだ。
ラグナは騎士を掴んだまま、地面に叩きつける。噴煙が上がり、騎士の身体はバラバラになり、HPが0になった。
やはり、可能だった。己の確信が現実となり、ラグナは牙を剥くように笑う。
最初の反撃と違い、先ほどの一撃はラグナ自身が意図したものだ。銀色の盾はラグナの意志に応えて、その形状を変化させたのだ。
騎士たちを引き連れたまま、ラグナは戦場を駆け回る。
聖剣を大上段に振るい、兜ごと髑髏をたたき割る。落馬したものを蹄で踏み砕き、盾を変形させて頸椎を切断した。
盾と剣を絶え間なく振るい、死の騎士の数を一人ずつ確実に減らしていく。
作戦は順調に進んでいる。そんな安堵を踏みにじるかのような光景がラグナの目に飛び込んできた。
巨人の屍が弾幕を抜けて、結界に張り付いている。光の壁に体を焼かれながらも、前進を続けようとしていた。
それだけではない。弾幕を抜ける屍の数は刻一刻と増えている。鍛冶場からの攻撃が弱まっているのではない。屍たちの防御力が強化されている。
これは想定外だ。このまま弾幕を抜ける屍が増えれば、いずれは結界の限界が来る。そうなれば作戦そのものが破綻してしまう。
誰かが強化魔法をかけている。この戦場にいるすべての屍に同時に防御強化が付与されているのだ。
普通ならば、ありえない。これほどの範囲で、これほどの数を対象にした魔法を実行すれば熟練《レベル80以上》の魔法使いでさえ一瞬でMPが枯渇し、死に至る。人間の魔力量では逆立ちしても不可能だ。
だが、この戦場を支配しているのは人間ではない。寿命さえ克服した彼らの王ならばこんな奇跡さえ容易く起こせる。
魔法への適性の乏しいラグナでも簡単に知覚できるほどに、あまりにも強大な魔力が渦巻いている。底どころか、どれほど大きいのかも把握できないが、そこに流れがあることはラグナにも分かった。
「――あそこか!」
流れの源は、敵陣の後方中央。そこに向かって、ラグナは馬を走らせる。
このまま突撃を敢行し、流れの源を断ち切る。無謀そのものだが、この状況を覆す方法は他にない。ロンドが死んでから、無茶無謀はラグナにとっては日常だ。
勝ち目がないわけではない。術者の意識を乱せば、強化は途切れる。数分でも、いや、数十秒でも時間があれば十分に立て直しは可能なはずだ。
そう考えながらもラグナの脳裏からある予感が離れなかった。
このままでは勝てない、そんな弱気を払うようにラグナは聖剣を振るう。
夜明けまでは、あと三時間。戦いは佳境へと差し掛かっていた。
次の更新は土曜日