第二十八話 灰陵兵団
山肌を食い破るように、屍の軍団は姿を現した。
軍勢の中には人間、亜人、獣人の人間種をはじめとして、コボルトやゴブリン、巨人などの魔物の姿も見える。
生者の気配を追って、彼らは行進を続ける。同胞を増やすという本能が彼らを突き動かしていた。
彼らには知性がない。圧倒的な数で敵地を制圧、占拠する。それだけが役目であり、そのためには知性などむしろ無用の長物でしかなかった。
ゆえに、彼らを率いるものたちがいる。
鎧をまとい、屍の馬にまたがる骸骨の騎士たち。虚ろな眼孔の奥には、意志の光が輝いてた。
死の騎士。平均レベル70を越える上級アンデットであり、冒険者ギルドの格付けでも上位に属する危険度の魔物だ。
死の騎士はアンデットの中では珍しく知性を持ち、言語すら解する。そのため、彼らが出現する際は、多くの場合ほかのアンデットを引き連れている。
そのためか、死の騎士そのものは単体としてしか出現しないとされてきた。
そんな死の騎士が五十体。まるで将軍のように屍たちを率いている。まさしく異常事態だ。
さらにその後方には、死の主が戦列を組んでいる。魔法を操る屍である彼らもまたレベル70を越える上位の魔物だ。
一列に並び、まるで長弓兵のように振舞っていた。
総数にして、一万。屍により構成され、屍が率いる軍隊。ヴィジオン大陸の数千年の歴史を紐解いても、前例のない光景だった。
そう、軍だ。翻る旗は屍の頭、彼らこそが魔軍の一翼を担う灰稜兵団だった。
そして、軍である以上は、そのすべてを統括する総大将がかならずおわす。
生ける屍となったギガントキメラの背、そこに据えられた玉座にそれはいた。
死の王。
夜の帳の如き衣を纏い、いくつもの魔石を埋め込まれたその威容は見る者に本能的な恐怖を抱かせる。身に秘められた魔力のすさまじさに周囲の空間さえ、彼に傅くようにゆがんでいた。
そのレベルにして200。神の領域さえも踏み越え、深奥にさえこの魔物は手を掛けていた。
個体名、ネルガル・アウグストゥス。まつろわぬ古の王にして、この灰陵兵団を率いる兵団長でもあった。
兵団が目指すのは、ティターン山脈中央部アトラス山。その中腹には、山猫族の村があった。
派遣していた先遣隊の全滅を知らされたネルガルは自ら軍を率い、出陣した。灰稜兵団の戦力、その九割を導入し敵を撃滅せんと決断したのだ。
王は最低限の戦力と最強の僕だけを残し、自ら軍を率いている。未知の敵に対して戦力の逐次投入の愚を避けたというのもあるが、それ以上に念話から伝わった屍の騎士の見た最期の光景がネルガルの興味を引いた。
聖剣を背負った騎士。その人間が魔王が生け捕りを命じたそれであるならば、自ら見聞する価値があるとネルガルは判断したのだ。
そうして、月がが中天に昇るころ、軍団は目的地へと到達する。
死の騎士たちの指揮の元、灰稜兵団は陣形を整える。攻撃を主眼とする鋒矢の陣形、村のわずかな防備ごと一息に踏みつぶすつもりだ。
力の差は歴然としている。灰陵兵団の戦力をもってすれば、山猫族の殲滅程度赤子の手をひねるようなもの。例の騎士にしても、この攻撃を生き残れないようでは謁見を許すほどの価値はない。
だが、ネルガルには奇妙な予感があった。この戦は決して容易くはない、と。
実際、その予感を証明するように目の前の山猫族の村からは生者の気配をわずかしか感じられない。村を捨てて逃散した、という可能性もあるが、この山一帯を探ってもそのような気配は一切感じられなかった。
"ーー物見を出せ"
ネルガルの思念を受けて、死の騎士の一人が部隊を率いて先行する。人間の軍隊がそうするように敵の様子を探ろうというのだ。
灰陵兵団の兵士たちは全てネルガルと念話で繋がっている。兵士たちの見たもの、聞いたもの、感じたもの、それら全てをネルガルは把握している。距離が離れればそれだけ送受信に時間差が発生するが、こと軍単位の連携という点においては地上においても魔界においても並ぶものはない。
軍勢の先ぶれが村へと達する。次の瞬間、彼らの思念が途絶えた。
そうして、無数の死を乗り越えてその気配が現れる。
一人の生者。その者が発する綻びにネルガルは敵の正体を確信した。
月明かりに照らされて、敵の姿が明らかになる。
人間の騎士。兜を被り、背中には鞘に収まったままの聖剣がある。左腕には白銀の盾があり、馬に跨っていた。
騎士の騎馬からは、命の気配が感じられない。灰陵軍団と同じ命なきものだ。
されどその体を構成するのは肉と骨ではない。
鋼だ。命なき鉄が馬の形をとり、嗎をあげていた。
その馬上で、騎士は剣を掲げる。己こそがお前たちの敵だ、とその勇姿が宣言していた。
ネルガルはその挑戦を鷹揚と受け入れた。こうでなくては興がない。彼の知る限り、虫食いとは皆困難にこそその真価を発揮するものだ。そうでなければ、見聞する価値すらない。
王の意思は、末端の兵士まで一瞬で伝達される。騎士一人を標的と定めて灰陵兵団はその本能を解放した。
雪崩の如き死の群れが、騎士へと迫る。
屍の波濤が騎士へと達する、その直前――、
――数多の光が死の軍勢を打ち据えた。
指向性を持った魔力弾の雨。それら一つ一つは特定の呪文による魔法ではないが、数百、数千となれば耐性のある屍たちにも有効打となりうる。
その雨の合間を縫うように、騎士と騎馬が駆け抜ける。振るわれる聖剣と蹄に屍の軍勢に道が開いた。
騎士は一直線にネルガルの元へ通し進んでくる。屍の巨人も死の騎士さえもものともせずに。
その姿に、ネルガルは古の光景を重ねる。かつて、まだ彼の身体が生きていたころにもこのような策を取るものはいた。
王の意を受けて、複数の死の騎士が動く。素早く陣形を組み替え、懐に入った敵の動きを封殺していく。
聖剣の騎士はあくまで陽動に過ぎない。先ほどの光弾は側面から降り注いだ。つまり、本命は別にいる。
”――現れよ”
王の言葉が呪文となって、世界に命を下す。
圧倒的な魔力と人知を超えた習熟度で理に無理やり干渉したのだ。最上位の魔物でもあり、もともとは古代の存在でもあるネルガルだからこそできる偉業だった。
アトラス山全体が地鳴りのような悲鳴を上げる。動力源でもある魔力炉心が暴走し、本当の敵が姿を現した。
灰稜軍団から見て、北側の山、その山頂付近にそれはあった。
山の峰を侵食するように建てられた奇妙な砦。壁は継ぎ目のない藍色の何かで形作られ、淡い光を帯びている。三つの尖塔の先端にはクリスタルが輝いていた。
”――ほう”
それの正体を一目で看破し、ネルガルは数百年ぶりに感嘆の息を漏らした。
古代の遺跡。それも砦としての機能を残している遺跡などそうそう見られるものではない。
先ほどの攻撃にも納得がいく。遺跡には大出力の魔力炉が複数ある。それらをもってすれば大規模な魔力弾の放出など容易い。
”踏み砕け”
ネルガルはその脅威と戦力を十分に理解したうえで、二度そう命じた。
灰稜兵団の戦力はいまだ健在だ。先ほどの光弾で数百人の兵士が欠損したが、それも互いに補わせれば問題ない。
これだけの兵力があれば、例え古代の城砦が相手でも十二分に蹂躙できる。
その上、こういった城砦を相手取るのはネルガルにとっては初めてのことではない。
征服の記憶。大陸全土をかけ、いずれ星々の果てまでわが手にせんと夢見た日々がまざまざと蘇る。
とうに失せたはずの心臓が強く脈打つ。魔物に墜ちながらも、彼の魂はいまだ武人であり、王のままだった。
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