第二十六話 山の国
バルカンの証言によれば、魔軍の本隊が山の国に攻め寄せたのは今から十日前、つまり、勇者ロンドの死の直後のことだった。最初の侵攻は南部辺境領ではなく、東部辺境領アトラス山脈『山の国』にて起きていたのだ。
「門が開いたのは『山の国』の真上、柱の山だ。おかげであっという間に出入り口をふさがれちまった」
戦う機会さえなかったとバルカンは拳を握り締める。戦士でもある彼には屈辱そのものだった。
ドワーフたちの共同体「山の国」は古くからアトラス山脈を支配してきた。山の内部遠大な坑道を掘り、一国に匹敵する軍備と経済力を持って自治権を維持してきたのだ。
それゆえ、山の国と王国の間には常に諍いが絶えなかったが、それでも百年前には交易を持ち、魔物に対しては協力して対処してきた。
しかし、今では二つの国の間には一切交流がない。人の往来は途絶えて久しく、情報どころか噂話さえも届くことはない。つまり、どちらかの国が滅んでもそれを知るのはすべてが手遅れになってからということだ。
ゆえに、魔軍はまず第一に山の国を標的とした。
アトラス山脈という天然の要害を有していながら、孤立無援の者たち。手間こそかかるが、唯一の出入り口である坑道さえ制圧してしまえば大陸最大の鉱床にして武器工房が手に入るのだ。考えてみれば、第一目標となるのは至極当然とさえ言える。
問題は、魔軍にそんな思考が存在しているということだ。
「――神々が降りて以来、魔軍が直接山の国を攻めたことは一度としてなかった。連中は獣だ、人口の多い街を優先して襲うだけで兵站がどうとか弱点がどうとか考えねえ。だが、今回は違う。なにかはわからねえが、違う」
バルカンが唸るように言った。彼の語った疑問はラグナも感じていたものだ。
ここ最近の魔軍の動きはそれまでと決定的に異なっている。南部辺境領においても人口密集地ではなく、ダークエルフの村という比較的守りの薄い場所を標的としていた
ロンドの死以降、魔軍は明確な戦略をもって行動しているとしかラグナには思えなかった。
「わしは外ににおったからどうにか逃げられたが、他のドワーフはみな山の中に閉じ込められた。せめてここの連中に危機を伝えようと思ったんじゃが、追いつかれてあのざまじゃ」
我ながら情けない、とバルカンは嘆く。
実際、魔軍の動きは迅速かつ的確だった。
山の国と唯一交流のあるこの村を抑えてしまえば外部との連絡は完全に寸断できる。先んじてマオが使者として送り出されていなければ、冒険者ギルドや王国が異変に気付いた時にはアルゴーの街まで屍の軍勢が達していたかもしれない。
「なんにせよ、これまでみてえに勇者様ご一行に任せて高みの見物ってわけにはいかねえ。わしらドワーフの問題はわしらで解決せにゃならんし、ほかの連中も無関係ではおられん」
昔を懐かしむようなバルカンの横顔に、ラグナは共感を覚えた。
確かにロンドが死ぬ前は何もかもが単純だった。
盾で守るべきものも、剣で倒すべきものもわかりやすく目に見えていた。こうして、何とどう戦うべきかさえ考える必要はなかった。
だが、嘆いても時の針が戻ることはない。それに、すべきことだけはどんな時でもはっきりしていた。
「……あんたは、これからどうするつもりだ?」
「生き延びちまったからな。どうにかして国を救う方法を考えにゃならんが……」
ラグナの問いに、バルカンは髭をさする。しばらくそうしていたかと思うと、大きなため息を吐いた。
「ここの連中を放ってもおけん。また魔軍が来るのは時間の問題だしな」
これもまたラグナの認識と一致していた。魔軍が再度この村を占領しようとする公算は高い。
それも一度撃退された以上、今度は全力で攻めてくるとみてまず間違いない。これまでの魔軍ならばともかく、今回は戦力の逐次投入などという愚策は取りはしないだろう。
「……ドワーフはみなしつこいうえに頑固だ。そう簡単には滅ぼされたりはせん。まあ、あっという間に魔軍に制圧されてちまったわしらが言っても説得力はないがな!」
呵々と笑うバルカン。一方でラグナはこの村と山の国、この二つを同時に救援する方法を考えていた。無茶ではあるが、ロンドなら必ずそうするだろうという確信がラグナにはあった。
「で、おまえさんはどうするんだ? 冒険者なら報酬貰って逃げた方がいいぞ。これから先はどう戦っても割に合わん!」
「――オレは」
「おーい! 二人とも!」
ラグナが言いかけた瞬間、背後からマオの声が聞こえてくる。
彼女は二人に走りよると、呼吸を整えながら、こう続けた。
「そ、村長が、呼んでる……ぞ……なんでも、急用だって……」
「分かった。すぐに行く」
村長は広場で炊き出しの指揮を執っていた。
マオよりも毛深くより猫らしい風貌で、加齢のためか背も曲がっていた。
村長はラグナとバルカンの二人を見つけると、両手を広げて歓迎の意を表した。
「おお、お二人とも、よくぞいらっしゃいました。この度のこと感謝に堪えませぬ。本来ならば、村総出で御礼申し上げねばならぬのですが……」
「い、いや、大したことは――」
「わしゃなんもしとらんわい! それよりなにか用ならはよういわんかい!」
バルカンの単刀直入を通り越して無礼な物言いも、村長は気にした様子はない。笑顔を崩さぬまま、村長は髭をさすった。
「実はですな。村の顔役、といってもまあ、生きておる者で話し合ったのですが、この村から一度逃げようという風にまとまりかけておるのですじゃ」
村長はなんでもないことのようにそう切り出した。しわくちゃの顔からは懊悩は見て取れなかった。
「ですが、やはりここはわれらの故郷。簡単には捨てられませぬし、どうしても山猫族だけでは決めきれませぬ。そこで――」
「わしらの意見を聞きたいっちゅうわけかい。相変わらず抜け目がないのう、村長」
呆れたようにバルカンが言った。
ため息をつくと、その場にドカンという音を立てて座り込む。酒があるなら今すぐ喉に流し込みたい、そんな顔をしていた。
「オレは――」
「安易に答えるな、坊主。こやつの腹は村を捨てると決まっておるのだ。そのうえでわしらに意見を問うておるのは、何かあった時の責をわしらに押し付けて村人をまとめる為だ。まったく、強かというか、せせっこましいというか……」
バルカンの忠告に、ラグナは怒りはしなかったし、戸惑いもしなかった。ただ、そういうものか、という納得だけがあった。
物事には必ず裏と表がある。一見慶事のように思えても、ひっくり返せばその下には数多の権謀術数が蜘蛛の糸のように張り巡らせているものだ。
ロンドと共に王国の内部事情にかかわることもあったラグナにしてみれば、むしろ、なじみ深くさえあった。無論、こんな小さな村にもそんな強かな人物がいるのか、という小さな驚きはあったが。
だが、貧乏くじには慣れたものだ。今更少しばかり責任を押し付けられたとしてもラグナにしてみれば痛くもかゆくもなかった。
「おぬしらには恩がある。いざというときに押し付られるのもわしは構わん。だが、こやつはやめておけ。お前らにも救い主は入用だろう」
なおも、口を出そうとしたラグナをバルカンが制する。
「…………申し訳ございません」
村長は笑顔のまま、小さな声でただそう答えた。
そんな村長にラグナは反感よりも、むしろ好感を覚えた。人の上に立つ人間は必ずこういった資質を求められる。ラグナには、この類のしたたかさは一生身に着けられる気がしなかった。
「逃げるっていうのにはわしは賛成だ。この村には石垣も、塀もねえ。門だって粗末だ。屍どもが本気で攻めてきたらひとたまりもあるまい」
「ええ、この村は古来より交易で成り立ち、身を守ってきた村ですので……防備の類はあいにくと……」
百年前までは、この村の護衛は人間の冒険者とドワーフ族の戦士が分担して行ってきた。地力での防衛など想定していないし、ましてや魔軍の標的になるなど考えたこともなかったのだ。
一方で、南部辺境領での戦いのようにラグナ一人で戦うわけにもいかない。
あれ自体が相当勝ち目のない博打であったということもあるが、それ以上に今回と前回では敵の規模が違いすぎる。山の国を占領できるほどの大軍となればラグナ一人ではどうにもならない。ましてや、村を守りながらではマンに一つも勝ち目はない。
「どこか逃げる宛はあるのかい? あいにくと山の国は満員だぜ」
「……麓のアルゴーを目指そうかと思うております。歓迎してはくれぬでしょうが、屍に囲まれるよりはようござりましょうし」
苦渋に満ちた村長の答えに、ラグナは思考を巡らせる。
魔軍に戦略があるならば、こちらも頭を使わなければ勝てない。
アルゴーまで避難するというのはどう考えても無謀だ。
夜明けとともに出発しても村人全員での行軍では日暮れまでに街まではたどり着けない。日が暮れれば、屍たちは自由に動ける。夜道で襲撃を受ければ全滅は必至だ。
であれば、避難場所はここから半日以内にたどり着ける場所ということになる。それも、この村以上に防御に適した場所でなければ非難する意味さえない。
いくら考えたところで答えは出ない。ラグナはこの辺りの地理に特別詳しいわけではないのだ。いくら彼が虫食いとしてこの世の理から外れつつあるといっても、一人では限界がある。
ロンドならば、ラグナの脳裏にそんな弱気が過る。それを叱咤したのは、予想外の声だった。
「――な、なあ、オレからもいいかな?」
か細い声に、ラグナは振り返る。そこには勇気を振り絞って、尻尾を震わせるマオの姿があった。