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第二十四話 勝利

 マオは目の前の光景に呆然としていた。


 屋根の上にしゃがみ込み、低く喉を鳴らす。身体が濡れるのも気にしなかった。


 押し寄せる聖水の波に、苦しみながら消えていく屍の群れ。あれほど圧倒的だった魔軍がたった一瞬で壊滅していく。まるで夢から醒めるような容易さだった。


 だが、これが現実だということは誰よりもマオが知っている。この雨を降らせたのは、立役者はラグナとほかならぬマオ自身なのだから。


「――オレが給水塔まで来たら、この二つを給水塔の中に投げ込むんだ。いいな?」


 戦いが始まる前ラグナは、そういってマオに二つの道具アイテムを渡した。

 

 一つは、聖剣の意匠を施された聖剣教会の『剣十字』。

 これは使用することでアイテムを聖別することできる消耗品で、水に使用すれば聖水を作ることができる。


 もう一つは導火線の付いた小さな爆弾だ。

 このヴィジオンにおいて、爆弾はそう珍しいアイテムではない。魔物に対して()()()()()()を与えるこのアイテムは非力な職業に就くものにとっては必需品ともいえる。

 

 どちらも便利ではあるがレア度の低い、どうってことのないアイテムだ。道具屋に行けば二束三文で購入することができる。


 その二つのアイテムがこの大戦果をもたらした。マオのようにこの世界の理に生きる者にはにわかには信じがたいことだ。


 だが、理屈そのものは単純かつ明快だ。

 剣十字によって貯水塔の中の水は聖水に変わっていた。その貯水塔に穴が開けば、当然中の水は流れ出す。そして、生ける屍が聖水に触れれば……、


 ラグナが村中を逃げ回ったのは、自らを餌として生ける屍をこの場所に誘導するためだ。

 結果として作戦は最大の効果を発揮した。村を占拠していた生ける屍はこの一撃で壊滅していた。


「……ぅぅ」


 何かを口にしようとしたものの適切な言葉が思いつかず、マオはただ唸り声をあげた。


 村を救う手伝いをして、数百体の魔物を打倒した。村の歴史に残る偉業だ。素晴らしいことだ。それはわかっている。


 けれど、あまりにもあっけなさすぎた。

 貯水塔に駆け上がるのも山猫族の身体能力ならば容易かったし、水の中にアイテムを放り込むだけなら赤子でもできる。なにもかもが簡単すぎた。


 これで終わりのはずがない。マオの心中を漂う違和感は、水飛沫と共に姿を現した。


 屍の騎士だ。聖水の奔流の直撃を受け、頭部の半分を失いながらも立ち上がり腕を振り上げている。


 狙っているのは、屋根の上に避難しているラグナだ。


「あ、あぶない!!」


 間に合わないとわかっていても、マオは叫んでいた。

 

 唸りを上げる巨大な拳。騎士の一撃が小さな家を吹き飛ばした。

 大きな水柱が上がる。痛ましい結果に目を背けようとして、マオはもう一度奇跡を目にした。


 巨人の腕を駆け上がるラグナ。紙一重で拳をかわし、そのまま腕の上にジャンプしたのだ。

 狙いは頭部。巨人は腕を大きく振って振り落とそうとするが、ラグナは跳躍し、巨人の頭上へと。


 残された巨人の目がラグナを追う。空中で聖剣が翻り、聖水の雫が宙を舞った。


 そうして、聖剣の切っ先が屍の騎士の眼球を貫く。鞘に収まったままでも腐敗しかけた粘膜を貫通し、脳を壊すには十分だった。


 騎士の身体が地面に倒れる。流れ残った聖水に浸かり、巨大な屍は土くれに帰っていた。


「す、すげえ」


 戦いを見届けて、マオは心からそう口にしていた。


 ラグナがただものではないことはそのたたずまいからマオにはわかっていた。その一方でレベルも職業もわからない相手を心のどこかで疑っていたのも確かだ。


 しかし、その疑いはこの戦いで跡形もなく吹き飛んだ。こんな常識外れの作戦を思いつき、巨人の屍を一人で打ち倒すほどの猛者などこの大陸にも片手で数えるほどだろう。


「兄ちゃん!」


 屋根から屋根を伝って、マオはラグナの元へと駆け寄る。


 戦いが終わったというのに、ラグナの背中には殺気が満ち満ちている。聖剣を構えたまま、周囲の気配に注意を払っていた。


「に、兄ちゃん? どうしたんだ?」


「……いや、なんでもない」

 

 ラグナは構えを解く。聖剣を背中に戻すと、濡れた髪を払いのけた。増援が現れる気配はない。


「……公会堂に行こう」


「……う、うん」


 マオを連れて、二人は無人の村を進んだ。


 自然、足取りは重たくなる。ラグナの推測では村人たちの半分は生きているはずだが、それが正しいとは限らない。

 勝利の喜びを味わうにはまだ早い。ラグナもマオもそのことを理解していた。


「……いくぞ」


「う、うん」


 ラグナは覚悟を決めて、公会堂の大扉に手を掛けた。この扉の向こうになにがあるにせよ、二人はそれを受け入れるつもりだった。


 力を込めて、閂ごと大扉を開く。今のラグナの筋力ならば簡単だった。


「……どういうことだ?」


 だが、扉の向こうにあったのはラグナの予想にも、マオの想像にもないものだった。


 扉の向こうにあったのは、身を寄せ合った屍でも、怯えた村人たちでもない。公会堂は無人だった。

 

「み、みんな? どこだ?」


 マオが不安げな声を上げて、鼻をひくつかせる。彼女の鼻もここに仲間たちがいると告げている。

 だというのに、どこにも姿が見えない。ここで大人数が生活していた形跡はあるのに、人の姿だけが見当たらなかった。


 ラグナは公会堂の中に入り、隅々まで見渡した。やはり、ここは無人だ。飛び散った血や屍の一部もない。何かが起きたというにはあまりにも閑散としていた。


「……なんだ?」


 二階へ行こうとしたラグナの足元に奇妙な感触がある。確かめるとそこだけ床板がたわんでいるようだった。


「マオ、こっちだ!」


 すぐさまその意味に気付き、ラグナはマオを呼ぶ。床板に手を掛けて、引っぺがした。


 床板の下には人ひとり分の大きさの穴があけられていた。穴の向こうは暗くどこかへと続いているようだ。


 二人は穴に飛び降りる。底の部分は広い空間になっていた。前方に灯りが見えた。

 逃亡用に掘られた洞穴か、あるいは屍たちが掘った穴か。どちらでもありうる。ラグナの額に汗がにじんだ。


「この匂いは……!」


 マオが鼻に懐かしい匂いが届く。それと同時に前方からも声が響いた。


「マオ? マオなのか!?」


「そうだよ! オレだよ!」


 灯りの下から男の山猫族が飛び出してくる。男はマオを抱きしめると何度もひげをこすりつけた。


「無事だったんだね! 父ちゃん!」


「ああ! どうにかな! 母ちゃんも無事だ! おい、マオだぞ! みんな、こっちに!」


 マオの父親が呼ぶと村人たちは一斉に姿を現す。周囲の暗闇に身を隠していたのだ。

 だが、マオのは母親以外はすぐには寄ってこない。彼らの視線はラグナに注がれていた。


「マオ、こちらの偉丈夫いじょうふは……?」


「えっと、兜の……」


 尋ねられてようやくマオは、恩人の名前すら知らないことに気付いた。ラグナの方もここに至るまで名乗る気はなかった。


「……ナナシ、と呼んでくれ」


「お、おう! 魔物どもを蹴散らして、オレたちを助けてくれた大恩人のナナシさんだ!」


 とっさに考えた、偽名にもなっていない名前だったが、誰も気にしなかった。

 ラグナが敵ではないと認識した瞬間、山猫族たちから割れんばかりの歓声が上がり、彼らはラグナの元へと殺到した。


「おお、いい筋肉だ! これなら屍どもも一ひねりだな!」


「背中には立派な大剣を背負われているぞ! これであの巨人を両断されたのですか!?」


「野郎どもは引っ込んでな! あたしらに道を開けるんだ! むさ苦しいやつらに触りまわされたってナナシの旦那はうれしくなんかないだろうさ!」


「そうよ! 英雄様! どうかこちらに! 私たちの肉球の触り心地は大陸一だって評判なんですよ!」


 山猫族は口々にラグナをほめそやしながら、胴上げでも始めかねない勢いでラグナの身体に触りまくる。


 そんな山猫族の対応に、ラグナはどうしたらいいかわからなかった。こうして多人数から手放しにほめたたえられた経験などなく、兜の下で赤面していた。


 ふと、ラグナは山猫族の総数が二十人にも満たないことに気付く。

 マオに聞いていた村の人口は五十人、半数近くがこの場にいない。特に若い男の姿がほとんどない。

 生ける屍の中には山猫族の屍もあった。彼らが犠牲者であることは誰の目にも明らかだ。


 兜の下でラグナは唇をかむ。己の遅さを罵り、弱さを呪った。あと一日早ければ、そんな後悔が胸にわだかまった。


 そんなラグナの心を吹き飛ばすような勢いでその声は響いた。


「やかましいぞ!! ドラ猫ども!! いったい何を騒いでいやがる!!」


 広場からつながる通路の一つからそれは現れた。

 雄々しく蓄えられた顎髭に、ずんぐりとした体躯。手足は丸太のように太く逞しい。土と埃にまみれたその姿はまさしく、寝物語に聞くドワーフそのものだった。


 

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