第二十三話 生ける屍
ラグナは日が暮れるまで、臍を噛むような思いで待った。一秒ごとに村人たちの命は危険にさらされているが、日があるうちに動けばすべてを台無しにしかねない。こんな小細工を弄する必要のないほどの力が自分にあれば、そう思った瞬間は数えきれない。
それでも耐えられたのは隣にマオがいたからだ。自分よりもはるかに苦しんでいる人間がいると思えば、ラグナはどこまででも忍耐強くなれた。
そうして、夜が来る。太陽のない、彼らの時間が。
「――あ゛、あ゛あ゛」
異臭と共に彼らは姿を現す。
生きていたころにそうしていたように扉を開き、往来に這いだした。
腐り、倦み、這いずるもの。すなわち、生ける屍。アンデットに属する下位の魔物であり、もっとも忌み嫌われる魔物の一つだ。
生ける屍はその名の通り、屍を材料に作られる魔物だ。
大陸において最大宗教である聖剣教にとって死者への冒涜は最悪の罪の一つであり、死霊術師は問答無用で異端認定を受けることになる。
この時点で十分に忌まわしい存在だが、下位の魔物である生ける屍が、冒険者ギルドにおいて最優先討伐に位置し続けるのはもう一つ理由がある。
生ける屍はある種の呪文を用いて生者を感染させることで作成され、それらの個体は他の生者に感染を広げることができる。生ける屍によって死を迎えたものは生ける屍となってしまうのだ。
その感染力たるやすさまじく、古来から黒死病や天然痘と並んで災害と称され、史書の記述には一つの村から発生した生ける屍によって国が滅んだというものさえある。
ヴィジオン大陸における最大最悪の脅威の一つが、生ける屍であり、マオの村を襲う敵の正体だった。
生ける屍は夜になると動き出し、生者の匂いを追って公会堂へと集う。ドアを掻きむしり、窓を叩いて次はお前たちだとわめきたてる。
その数にして、二百超。元からここに派遣された屍に、感染した村人を合わせてそれだけの数がこの村には潜んでいた。
しかし、これだけの数がいながら彼らは決して公会堂を破壊しようとはしない。目的が捕虜への精神的拷問と示威行為にあるからだ。
この屍たちの主は狡猾にもすべての村人を感染させることはしなかった。新たな獲物を捕らえ、さらに死の伝染を広めるためには生きたエサが必要だからだ。
村が占領されてから四日、頑強に抵抗を続けてきた山猫族たちだが、限界は近い。
そうして、とうとう耐え切れなくなった村人の一人が自ら協力を申し出ようとする。
「おおおおおおおお!!」
獣の如き咆哮が響いたのは、その時だった。
『騎士の咆哮』。
その轟きを受けて、屍たちは公会堂から別の場所へと注意を向ける。耐性も理性も持ち合わせぬ彼らはこの戦技の効果を無視することができない。
そして、咆哮の主たるラグナは屍たちの背後の屋根に悠然と佇んでいた。
「――オレが相手だ」
ラグナが言った。静かではあるが、力強い宣戦布告だった。
その意味を知ってから知らずか、屍たちは一斉にラグナに殺到する。おぞましいうめき声を上げながら、ラグナのいる建物ごと物量で押しつぶそうとする。
屍の波中心に、ラグナは飛び降りる。背負った聖剣を鞘ごと引き抜き、着地点を薙ぎ払った。
数体の屍が吹き飛ばされ、体の一部を失う。同時に腰の直剣を抜き放ち、足元の屍の頭をかち割った。
だが、彼らはもとより死者だ。その程度では止まらない。
ラグナは休まず両手の剣を振るい、屍の海を走り抜ける。
下位とは言え物理耐性を持つ彼らのHPを一撃で0にすることはできないが、それでも吹き飛ばすことはできる。ラグナの前方には道ができていた。
そのまま、ラグナは家々の間の狭い路地へと入る。屍たちは腐りかけの足とは思えぬ速度でそれを追った。
決して一か所にとどまらず、常に動き続けること。
これはラグナが一人で多数の敵を相手取るにあたって、まず最初に肝に銘じたことだ。他人の援護が期待できない以上、囲まれることは死を意味する。
もう一つは、己の有利な場所を選ぶこと。狭い路地へと逃げ込んだのは窮したからではなく、反撃に転ずるためだ。
生ける屍はその平均レベルの低さに相反して非常に頑丈な魔物だ。打撃や斬撃に対しての耐性を持ち、魔法も効きにくい。
だが、それでも下位の魔物に属しているのには明確な理由が二つある。
一つ目が、知性の欠如。屍である彼らは本能に従うだけで複雑な思考を持ち合わせない。彼らには道幅の狭さを考慮する程度の知能もない。
「――あ゛あ゛?」
突然身動きが取れなくなり、屍たちは困惑のうめきを上げる。一斉に路地へと押し掛けたために、渋滞を起してしまったのだ。
狙い通りだ、そうほくそえみながらラグナは反転する。懐から小瓶を取り出し、屍たちの頭上、最も効果的な位置に狙いを定めた。
瓶が放物線を描き、その頂点で破裂する。透明な液体が周囲に降り注ぎ――、
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
阿鼻叫喚の大合唱が起こった。
液体を浴びた生ける屍たちが次々と倒れ、動かなくなる。一瞬でHPが0になっていた。
聖属性の攻撃に対する脆弱性。これこそが生ける屍の二つ目の弱点だ。
この特性はアンデット種全体に共通する弱点ではあるが、生ける屍のそれは致命的なものだ。
僧侶や司祭の扱う聖属性の魔法どころか、下位のアイテムでさえ彼らには命取りになる。今ラグナの放った聖水のようなどこにでも売られ、誰にでも作れるようなアイテムでさえ、だ。
「――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!」
残された屍たちが一斉に吠えた。
かつてあった心の残滓が仲間の死に怒っているのか、あるいはただの反射行動なのか、それはラグナにはわからない。分かっているのは、突っ立っていては死ぬということだけだ。
「――っ!」
路地を走るラグナを屍たちは執拗に追う。
幾度となく聖剣を振るい、聖水を振りまくが、それでも減らせるのはごく一部。屍たちの総数は減るどころか、新たに家々から這い出してきた個体を合わせればむしろ増えてさえいる。
途切れることのない屍の波に、ラグナは果敢に対処した。傷一つ追うことなく、たった一人で屍の群れを引き付けていた。
もっとも、屍たちの攻撃は青鱗兵団の兵士のそれに比べれば手ぬるくさえある。平均レベルも二十前後と低く、囲まれさえしなければ余裕をもって対処可能だ。
問題は、やはり、屍たちの耐久性だ。騎士であり、攻撃力に乏しいラグナでは屍を一匹倒すには二度は剣を振るわねばならない。それで足を止めれば、一巻の終わりだ。
そして、もう一つ。この屍たちを指揮しているはずの上級アンデットの姿が見えないことがラグナには気がかりだった。
そろそろ、姿を見せてもおかしくない。そんな思考がラグナの歩みを一瞬遅らせた。
「なにっ!?」
ラグナの眼前で地面がはじけ飛ぶ。叩きつけられた槌が土くれと無数の屍を宙に巻き上げた。
屍の騎士。家一軒ほどある巨体に甲冑を纏い、武技を備えた上位の魔物だ。おそらくこの魔物が屍たちを指揮しているのだとラグナはあたりをつけた。
「――オオオオオオオ!!」
巨大な槌を軽々と振るい、屍の騎士はラグナを追い詰める。ラグナは紙一重で攻撃をかわすが、直剣を弾かれ、逃げ場を失ってしまった。
すぐさま、殺到した屍たちがラグナを袋小路へと追い詰める。ラグナが一度に対応できるのはせいぜいが十数体。そこに屍の騎士とくればもはや手に負えない。
万事休す。その刹那にラグナは獣のように笑った。すべて計画通りだ。
「――ここまでだな」
ラグナの背後で爆発音が鳴る。その直後、彼らの頭上に鉄砲水が降りかかった。
大量の水に押し流され、屍たちが体勢を崩す。そうして、次の瞬間、彼らは二度目の死を迎えた。
聖水だ。押し寄せる聖水がアンデットたちを殲滅していた。
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