第二十二話 占領
東部辺境領に広がるアトラス山脈はかつて「大陸の屋台骨」と呼ばれていた。
剣のように険しい山並みが南北に連なり、魔石や貴金属を豊富に産出していたことがその名の由来だ。最盛期にはヴィジオン大陸で鋳造されるアイテムの半分以上にアトラス山脈産の功績が使用されていたほどだ。
それがここ数十年で大きく変化した。山脈の住人であり、採掘の担い手でもあったドワーフ族とアルケイデン王国の対立が深刻化し、ついには内乱にまで発展したためだ。
現在では内乱そのものは沈静化したものの、ドワーフと王国との交流は完全に断たれている。ただでさえ他の種族を軽視しがちだったドワーフ族はますます山に引きこもり、ここ十数年は姿を見せることさえ稀なことになった。
その結果、最もあおりを食ったのがマオを含めた山猫族だ。内乱が起きる前、社交的で比較的人間族に近い感性を持つこの種族はドワーフと人間の間に立って、交易の橋渡し役を担っていた。
そして、内乱後は橋渡し役の宿命か、山猫族は窮地に立たされた。人間、ドワーフ双方から爪はじきにされ、今では冬籠りのための備えをするのにさえ窮するようになってしまった。
それでも、かろうじて山猫族は生き延びてきた。粘り強く交渉を続け、人間、ドワーフ双方と細々とだが交易を再開したのだ。
『山猫族は必ず道を見つける』。それこそが山猫族をもっとも端的に表す言葉であり、マオのような子供でさえそのことを誇りにしている。
そんな山猫族は、今最大の危機に瀕していた。
「……かなりまずいな」
高台から山猫族の村を見下ろして、ラグナが言った。マオの村は山間の谷にあり、周囲の山からは村の様子が簡単に偵察できる。おまけに、晴れているおかげで村の隅々まで見渡すことができた。
村は完全に制圧されている。村人たちは各々の家に押し込まれ、広場の中央には『腐りかけの頭』の意匠の旗が翻っていた。
ラグナの知るどの国の軍旗とも一致しない。そもそも、こんなおぞましいものは象徴とする人間などまずいない。まず間違いなく、魔軍の旗だ。
「に、兄ちゃん、どう思う? みんな生きてるかな?」
「……まだわからん」
泣き出しそうなマオにラグナは努めて冷静に答えた。
アルゴーを出て、村に到着するまで半日。孤児院に帰る時間さえ惜しんで、最高速で急いだが、どうにか間に合ったようだ。
村人たちはまだ生きている可能性は高い。もし皆殺しになっているのなら、村はもっと散らかっている。
少なくともラグナの経験上、虐殺があったのならこんなに整然とはしていない。遺体にせよ、その一部にせよ、何らかの痕跡が残っているはずだ。
マオの村にはそういった痕跡が何一つとしてない。住人の姿が見えないこと以外はむしろ整然としているくらいだ。マオの話では山猫族は抵抗を試みたはずだから、こんなに村が整然としていることはありえない。
そこまで考えたところで、ラグナは違和感に気付いた。
姿が見えないのは住民だけではない。村を制圧したはずの魔軍の姿も見当たらなかった。
見張りの兵士さえ見当たらない。不用心を通り越して、無防備とさえいえる。
「……マオ、敵の姿は聞いてるんだよな?」
「う、うん、小鬼とかオークとか、あと蛇人とか……怪魚人もいたって見た人は言ってた」
やはり、あまりに統一性がない。最後の怪魚人に至っては本来は海生の魔物だ。地上を、しかもこんな内陸部をうろついているはずがない。
だが、考えても答えが出ない。魔物の生態を鑑定する『魔物使い』であればこの謎を看破できるスキルがあるのだろうが、ただの騎士であるラグナには望むべくもないことだ。
「……ほかに覚えてることは?」
「な、ないよ! そんなことよりはやく乗り込んでってやっつけちまおうよ! 兄ちゃん強いんだろ!?」
「落ち着け」
居ても立っても居られないマオを、ラグナが抑える。
ラグナは自分の無謀さを自覚しているが、それは勝つために博打が必要ならば迷わないというだけで無為無策で行動する類の愚かさではない。
今回の場合は、あまりにも情報が少なすぎる。そのうえその数少ない情報も正確さが欠けている。そんな状況で博打を打つのはただ愚かなだけだ。
「匂いでも、音でも、感覚でもなんでもいいんだ。何か思い出せることはないか?」
「そんなこと言われても……」
足踏みしながらも、マオは必死で記憶をたどる。そうして、一つ強烈な刺激を思い出した。
「そうだ……匂いだ。すげえ臭かった。山の方から来る風がすごく臭かったのを覚えてる」
「……どう臭かったんだ?」
そう尋ねながら、ラグナの脳裏に一つの仮説が浮かぶ。もしこの仮説が真実ならばこの不可解な状況にもすべて説明がつく。
だが、それは同時にマオにとっては悪夢そのものともいえる事実を指し示していた。
「そりゃ、あれさ、なんか腐った肉みたいな、そんな感じの……」
「…………そういうことか」
確信を得て、ラグナは歯噛みする。間に合ってなどいないかもしれない、もっと早く行動していればそんな後悔がラグナの脳裏をよぎった。
「兄ちゃん? どうしたんだ?」
「…………なんでもない」
ラグナはそれでも希望に縋った。
確かに状況は絶望的だが、まだ村人たちが全滅したと決まったわけではない。
敵はただの魔物ではなく魔軍、すなわち統制の取れた軍隊だ。捕虜の有用性は当然理解していると見るべきだ。
であれば、どう動くべきか。ラグナは改めて村の様子を隅々まで眺めて、観察した。
戦場を分析して、作戦を組み立てる。ラグナのような弱者が強者を打倒すには確かな戦術がなくてはならない。
基本的にはなんてことのない山村だ。だが、二つ、ラグナの目を引くものがあった。
「マオ、あの塔は?」
ラグナが指さしたのは、村の中央にある奇妙な塔だ。
塔の先端部分に円錐形の容器のようなものが乗っており、屋根もついている。監視塔の類かとも思われたが、窓もなく人が乗っていられるような空間も見当たらない。
「あれは給水塔だよ? ほかの村にはないの?」
「……少なくとも俺は見たことないな」
「村長が言うには、大昔に飲み水に困らないようにってドワーフが作ってくれたらしいんだ。すごいんだぜ、地下から水を見上げて村中に水を配るんだ」
ラグナは感心しながらも、内心ほくそ笑む。
マオの説明が間違っていないのならば、あの給水塔には大量の水がため込まれている。かなり使える、作戦の要だ。
次にラグナは、村で一番大きな建物に目をつけた。
ほかの家屋は窓に覆いがしてあるが、この建物だけは窓が解放されている。また、ここだけは外側から封鎖されているようだった。
「あれは?」
「公会堂だよ」
「どれくらいの人数が入れる?」
「村人の半分くらいは……どうしてそんなこと聞くんだ?」
「……村の人たちはまだ生きているかもしれん」
ラグナの推測に、マオの尻尾がぴんと立つ。
今度は気休めではなく根拠のある推測だ。捕虜を取るならばまとめて一か所で管理するのが一番効率がいい。公会堂を収容所として利用していると考えれば合理的だ。
条件は整った。村を占領している敵の戦力が見込み通りならば、この作戦で十分に対処できる。無茶無謀の類であることには変わりがないが、勝ち目はある。
もっとも犠牲は必要になる。魔軍を撃退できてもこの村は相当な痛手を負うことになるだろう。
「マオ、やってもらうことがある」
それを承知の上で、ラグナはマオにその役目を押し付けた。
ラグナ一人ではこの作戦は成り立たない。ゆえにこそ、責任は一人で背負う。いざとなればラグナはマオから自分に責任を押し付けさせるつもりだった。
たとえ正しくなくとも、ロンドならばそうする。己を犠牲にするのはそれだけの理由で十分だった。
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