第二十話 彼らの事情
「ま、魔軍だぁ?」
「本当だ! 本当に来てるんだよ! それもすげえ数が!」
信じようとしない冒険者に、少女が詰め寄る。それでも冒険者は少女の言葉を真に受けてはいなかった。
無理からぬことではある。彼のような末端の人間にしてみれば魔軍の襲来など他人ごとでしかない。ましてや、獣人族を蛮族と見下しているのだ。当然の反応とさえ言えた。
「一ついいか」
見かねてラグナが言った。
ラグナにはこの冒険者のような偏見はない。シスターの「一皮むけば全部人型」という教育の賜物だ。
だが、確認はしておかなければならない。魔軍でなくとも魔物が集団で行動することは稀にある。
「な、なんだよ」
「どうして、魔軍だってわかったんだ?」
「そ、それは……」
ラグナの問いに、少女は考え込む。尻尾がだらんと垂れて、元気がなくなってしまった。
「……むぅ」
少女の反応に、ラグナも唸る。やはり、子供の相手は苦手だ。
けれど、いつまでもそう言っているわけにもいかない。ラグナはかつて親友がそうしていたように兜の下で笑顔を作った。
「ゆっくりで大丈夫だ」
「う、うん」
「け、付き合ってらんねえな」
「待て」
立ち去ろうとした冒険者をラグナが呼び止める。
一人ですべて解決できるとうぬぼれるようなラグナではない。どのような形でも冒険者ギルドの協力を得られるのならそれに越したことはない。
「な、なんだよ、そいつの言うことを信じんのか? だいたい、あんた部外者だろうが」
「本当に魔軍だったらどうするんだ? 責任問題になるぞ」
「お、脅してんのか、そりゃ」
「いや、可能性を指摘してるだけだ」
淡々と告げるラグナに、冒険者はますます気圧されていく。
実際、本当に魔軍の襲来があったとしたら問題だ。支部長の責任問題ではあるが、支部長が自ら泥をかぶるような人物ではないことは明らかだった。
「……わかったよ。聞くだけだ」
冒険者の結論に、ラグナが頷く。
少女はゆっくりと口を開いた。
「……『門』だ。山の中の門を見た人がいるんだ。魔軍は『門』からくるんだろ?」
「……そうだ」
ラグナの肯定に、冒険者の顔が青くなる。
山猫族が暮らすヴァレロン山脈はここアルゴーに近い。そこに魔軍が侵攻したとなれば他人事ではいられなかった。
「支部長を呼んだ方がいいんじゃないか?」
「あ、ああ、す、すぐに!」
踵を返して階段を駆け上っていく冒険者。その背中を見届けながらラグナは思考を巡らせた。
少女の言葉を信用するならば、魔軍は山脈一帯を制圧できるだけの兵力だ。ラグナが戦った青鱗兵団とは比較にならない数が門を通過している。
この『東風』はギルドの支部の中でも弱小だ。所属する冒険者の数も少なく、平均レベルも低い。ここの戦力で魔軍と正面から渡り合うことは難しいだろう。
だが、戦い方を選べば勝ち目はある。自分一人にできたのだ、多くの冒険者の知恵と武勇を結集すれば不可能などない。ラグナはそう考えていた。
「な、なあ」
「……うまくいけばいいが」
「なあっ! おい、兜のおっさん!」
ラグナの耳元で少女が怒鳴る。そのままラグナの襟をつかむと無理やり視線を向けさせた。
「……おっさんはやめてくれ。まだ二十歳だ」
「じゃあ、兜の兄ちゃん」
「…………まあ、それならいいだろう」
名乗るわけにもいかず、ラグナは渋々受け入れる。
少女の尻尾は先ほどまでとは違いピンと立って、小刻みに揺れていた。
「あんがとな! 兄ちゃんのおかげで、お偉いさんと話ができそうだ!」
「当然のことをしただけだ。それより、君の村だが……」
「あ、うん、まあ、大丈夫、だと思う。敵が来るってわかってすぐにオレは逃がされたから、わからないけどさ。でも、オレたち山猫はしぶといんだ、簡単には死なないよ」
少女の声は強がっているが、垂れた尻尾は彼女の内心を如実に物語っている。彼女一人を逃がすだけでもかなりの犠牲が出たことは想像に難くなかった。
それでも少女は山から一人でこの場所にたどり着いた。その勇敢さはラグナにリエルやロンドのことを思い出させた。
「名前はなんていうんだ?」
「マオっていうんだ。よろしくな、兜の兄ちゃん」
「よろしく、マオ」
ラグナは少女、マオと握手を交わす。
山猫族の少女と兜で顔を隠した大男が握手を交わしているのは奇妙な光景ではあったが、当人たちははぐれもの同士互いに対して奇妙な信頼を感じてさえいた。
しばらくして、先ほどの冒険者が息を切らして戻ってくる。ただでさえ青ざめていた顔は白くなっていた。
「大丈夫か?」
「あ、ああ。い、いや、大丈夫じゃねえ。その、あれだ……」
冒険者は気まずそうに視線を伏せて、言葉を探している。そうして、深いため息をつくと視線を合わせぬままこう言った。
「し、支部長は、その今は……病気だ。誰にも会えなくらいの酷い病気なんだ」
「…………は?」
ラグナが感じたのは、怒りというよりは呆れに近い感情だった。
支部長が健在で、二階にいることは周知の事実だ。それにもかかわらず、この非常事態に平気で仮病を使ってみせる神経がラグナには信じられなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! どういうことなんだよ!」
「と、ともかく支部長は病気なんだ! 魔軍相手に号令をかけられるような状態じゃない!」
「報酬ならあるんだ! ほら! 調べてくれればちゃんと価値があるってわかる!」
「駄目なんだ。わかってくれ……!」
「本当に、本当に魔軍がきてるんだよ……! あんたら冒険者ギルドはオレたちを助けるためにあるんだろ!? なら、どうして!」
「……すまん」
詰め寄るマオに、冒険者は首を振るばかりだ。彼の立場でこれ以上のことを口にすることは許されていなかった。
「……今正式に依頼を受理することはできない、そういうことだな?」
「……そうだ」
頷く冒険者の悲痛な面持ちに、ラグナは彼の評価を改めた。
一見、ただの粗暴な男だが冒険者としての本文を忘れているわけではない。マオの邪魔をしたのも彼が支部長の職務に忠実だからだ。
問題は、なぜ彼がそのような嘘を口にしなければならなかったか。
もちろん、ラグナの捜索に人手がとられているというのもある。
だが、ラグナの捕縛は火急の依頼ではない。魔軍を撃退してから捜索を再開しても何ら問題はないし、賞金首一人の捕縛に本来それほど多くの人数を裂く必要はない。。
ゆえに、もし、問題があるとすれば誰かに手柄を横取りされたくないという支部長の野心だけだ。
一方で、魔軍の侵攻を知りながら放置していた、ということになれば責任を問われかねない。
そこで依頼そのものを黙殺することにしたのだ。冒険者ギルドの仕組み上、一度依頼として受理すれば記録に残ってしまう。それを防ぐために見え透いた仮病で面会そのものを謝絶したのだろう。
ようは、亜人種の集落がいくつ壊滅しようが目の前の栄誉に比べたら何の痛みもない。そう考えているのだ。
そのように結論付けて、ラグナは支部長室の扉を蹴破ろうとする衝動を抑え込んだ。この場で最も辛いのはマオである、そんな想いがラグナを冷静にさせていた。
「どうして、オレたちどうすれば……」
マオは呆然と立ち尽くしている。尻尾は落ちるように垂れて、細い指は小刻みに揺れていた。
涙を流してはいない。そうするには彼女の肩にかかっているものは重すぎた。
その重さ、苦しさを理解できるのはこの場ではラグナだけだけだった。
「マオ」
マオの肩に手を置き、ラグナは彼女に向かい合う。一切視線を逸らさずに、こう言った。
「大丈夫だ。オレが何とかする」
それはマオが求め続けていた言葉であり、ラグナが言うべき唯一の言葉でもあった。
弱者を守護し、絶望を払う。それこそ勇者の一番の役割であり、今のラグナのすべきことだった。
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