第二話 大罪人ラグナ
南部辺境領アレグノーの荒野には、屍の山が築かれていた。
死んでいるのは青い鱗を持つ「ハイリザードマン」の兵士たち。魔王軍の一翼を担う彼ら「青鱗兵団」は人界侵略の先鋒を命じられていた。
兵士たちは平均レベルにして50超。先鋒を命じられるだけあって、魔界の屈指の精強な軍団だ。
しかし、人界への侵攻を命じられた際には、斥候でありながら300を数えた彼らが今や100の兵を残すのみ。その100体の精鋭たちも目の前の敵の異様さに立ちすくんでいた。
彼らが相手しているのは、たった一人の人間。本来ならばだだ蹂躙するだけの相手に、青鱗兵団は三日三晩足止めされていた。
盾砕け、刃折れ、もはや虫の息であるその人間の名は、ラグナ・ガーデン。勇者ロンドの旅の仲間でありながら、聖剣を盗んだ人界の裏切り者である。
「……面妖な。何故死なぬ」
先鋒の指揮を任された青鱗兵団千人竜長ドルナウは怒りとも感心とも取れる呻き声を上げた。
青く輝く鱗に、天をつくような巨躯。4本の腕にはそれぞれ剣、戦斧、槍、槌と別の武器が握られている。
固有職、戦神。あらゆる騎士職の中でも最高位に属する職業だ。そのレベルにして90。神の域とされるレベル100に手が届くほどの天才だ。
その天才をして、ラグナの戦いぶりは異様と言わざるをえないものだった。
何度致命傷を与え、武器を折り、鎧を砕いても、倒れない。瀕死の身でありながら立ち上がり続けるその姿はドルナウに同胞であるアンデットを思い起こさせた。
だが、ラグナは人間だ。人間であるからには必ず死ぬ。実際ラグナのHPが0になる瞬間を幾度となくドルナウは目にしていた。
HPが0になればアンデットとて死を迎える。ましてや、人間が死の淵からよみがえるなどありえないことだ。
であるにもかかわらず、ラグナはいくどなく立ち上がった。そうして、もう三日間も戦い続けている。
加えて、ラグナのレベルはたったの60しかない。
一対一であるならばまだしも、同レベル帯の兵士に囲まれてここまで持ち堪えられるはずがないのだ。
また一人、兵士が倒れる。剣で喉元を貫かれて、命《HP》が尽きた。
残りの兵士たちの足がすくむ。生来恐怖心の薄いリザードマンたちが目の前の敵に恐れを抱き始めていた。
ラグナは膝をついて、息も絶え絶えだ。決定的な隙のように思えるが、ラグナはこの状態からすでに数十人を兵士を討ち取っていた。
罠に、奇襲に、だまし討ち。あらゆる手を使ってラグナは戦っている。魔族でさえ顔をしかめるような陰惨さではあったが、その戦いぶりは見るものに畏怖さえ抱かせた。
「もうよい。我が出る」
これ以上は看過できぬ、そう判断して、ドルナウは兵士たちを下がらせる。
そのまま跳躍し、ラグナの眼前に降り立った。
「青鱗兵団千人長、『四腕』のドルナウである」
堂々と名乗りを上げたドルナウに、ラグナはゆっくりと顔を上げる。
兵士たちから奪った剣を杖代わりにして、立ち上がった。
「名乗るがいい、人間の騎士よ。お前の名は我が記憶に刻む価値がある」
「……そいつは、光栄だ」
ふらつきながらラグナが答える。足元には血だまりができ、地面がぬかるんでいた。
HPは残り一桁。肉体的には死に体といってもいい。
今薄れていく意識を繋ぎとめているのは意志の力だ。ふがいない己への怒り。友との誓いという使命。そういったものがラグナを現世に留めていた。
「ラグナ・ガーデンだ」
「ラグナか。記憶した」
満身創痍のラグナに対して、ドルナウはあくまで武人としての礼を崩さない。
魔物は人間に対して本能的に敵意を抱くようにできている。ドルナウはその本能を武人としての誇りでねじ伏せていた。
「騎士ラグナよ。見事な戦いぶりであった。だが、解せぬ。なぜそなたは一人で戦っている?」
「……人に嫌われやすいたちなんだ」
自嘲するラグナに、ドルナウは疑問を深める。
ラグナの背にあるのは間違いなく勇者が持つという『始まりの聖剣』だ。
だが、ラグナは勇者ではない。その証拠にラグナは一度も聖剣を装備していない。ドルナウに認識できるラグナの職業は騎士のままだ。
そもそも勇者は死んだ。己に対抗しうる唯一の存在が消えたからこそ魔王は人界への本格的な侵攻を命じたのだとドルナウは理解していた。
であれば、目の前の敵はいったい何者なのか。神に選ばれた勇者でもなければ、うわさに聞く最高位の冒険者でもない。
ただの人間がなぜここまで戦えるのか、ドルナウには理解できなかった。
そのうえ、もう一つ。ドルナウには解消すべき疑問があった。
「我らが目指しているのはダークエルフの村。人にも魔にもなれぬ半端ものをなぜ守る?」
「……それがなにかあんたと関係があるのか?」
「答えよ」
ラグナは深く息を吸って呼吸を整える。肺から空気が漏れているのか、「ヒュー」という音が鳴った。
「背後にあるのが、人間の町だろうが、エルフの森だろうが、魔物の巣だろうと関係ない。オレは友に誓った。戦う理由はそれだけだ」
決然と言い放つラグナ。今にも息絶えそうな肉体からは、一歩も引かぬという覚悟が気炎となって立ち上っていた。
「友、か」
魔族であるドルナウにも友情は理解できる。ゆえにこそ、ラグナの覚悟のほども感じ取っていた。
武人として敬意に値する。そして、それ以上に魔界のために決して生かしておけない相手である、とドルナウは認識を改めた。
武器を抜き、魔力をたぎらせる。目の前の敵を滅殺せんと構えをとった。
ラグナもまたそれに応える。転がっていた盾を拾うと、剣を構えた。
荒れた息が整い、傷がふさがり始めていた。
身体回復(小)。
僅かずつHPを回復させていくこのスキルは、パッシブスキルとしては決して珍しいものではない。高レベルの冒険者であればより上位のスキルを習得するか、魔法でそれ以上の効果を得ることができる。つまりは、誰重視しない下位のクズスキルに過ぎない。
そのクズレベルのスキルがラグナの命をつないでいる。
「……喋っててくれたおかげで、肺の穴がふさがったよ」
「それを待っていたのだ、ラグナよ。これで心置きなく、貴様を討ち取れる」
そう挑発するラグナに、ドルナウは泰然と応じた。
もはや、問答の時間は終わっていた。
疾風よりも素早くドレナウが切りかかる。
四種の武器を同時にラグナの脳天へと振り下ろした。
スキル魔法も用いないただの攻撃ではあるが、その威力は雲を割り、大地を砕く。たとえ同レベル帯の冒険者であっても正面から受けてはひとたまりもない。
そんな一撃をラグナは正面から受け止めた。
攻撃を放ったドレナウ自身ももまた周囲で戦いを見守っていた兵士たちもラグナの死を確信した。防御ごと押しつぶされて、息絶えたはずだ、と。
だが、ラグナは生きていた。ドレナウの一撃を受けてなお、立ち続けていた。
本来のラグナの防御力ではひとたまりもない。間違いなく死んでいたはずだ。
ラグナは一歩踏み込んで、ドレナウの攻撃をずらした。たったそれだけの行動がラグナの命を救ったのだ。
兵士たちが未知の現象に恐怖する。そんな中、ドレナウは己の中に湧き上がる困惑と疑問を無視して、四本の腕で再び攻めかかった。
斧と槌が噴煙を巻き上げ、切っ先と穂先が音を超える。
スキルと強化魔法も使用した全力の猛攻。本来なら軍勢を相手に用いられ、『死の嵐』と名付けられた必殺の武技がラグナ一人に襲い掛る。最後の一撃が振り下ろされた後に残るのは、血煙のみだ
仕留めた、誰よりもドレナウ自身がそう確信していた。否、そう思い込もうとした。
しかし、身体は理解している。
掌に伝わる感触がない。肉を割く実感、命を奪う快感がどこにも感じられない。
ドレナウの眼前にあるのは、巻き上げられた土煙のみだ。
その中で、刃が煌めいた。
次の瞬間、ドレナウの喉元を剣が貫いた。もっとも鱗の薄い場所を狙った必殺の一撃だった。
着ていく意識の中、ドレナウは己の命が尽きるのを知覚した。
土煙の中に、ラグナは立っている。ドレナウの喉から剣を引き抜くと、血反吐を吐き出した。
ただでさえ満身創痍だった身体には致命傷と思しき傷がいくつも刻まれていた。
それでも死は回避した。死に直結する攻撃だけを避け、いなし、受け止め、ラグナは生存を勝ち取った。
ありえないことだった。
ラグナの『素早さ』では『死の嵐』は回避できない。また、ラグナの『攻撃力』ではドレナウのHPを一撃では0にできない。
無数の不可能を凌駕するその姿はまさしく理不尽極まりまないものだった。
ラグナの姿と千人長ドレナウの死を目撃した兵士たちは心の底から恐怖した。恐れが本能を上回り、彼らに逃走を選択させた。
魔界にて魔王の先槍と謳われた青鱗兵団は死にかけの騎士一人を相手に敗走を余儀なくされたのだ。
「……どうにか、なったか」
最後の兵士が逃げ出すのを見届けて、ラグナはあおむけに倒れた。
もはや、息をしていることすら奇跡のようなありさまだった。
身体回復ではもはや修復が間に合わない。
幾度となく超えた死が、今まさにラグナを捉えようとしていた。
「……これでいいのか、ロンド」
消え行く意識の中、空を仰いでラグナはそう呟いた。
天に昇った親友に届くとは期待していなかった。
三話までは今日中に投稿されます。