第十九話 冒険者ギルド
冒険者ギルドは元来、国の庇護を受けられない弱者のための組織だ。
魔物に対抗できない貧民や棄民、亜人種たちを庇護する、そんな志のもとに冒険者ギルドは設立された。
それゆえ冒険者ギルドは辺境領において強い支持を受けている。辺境領の人々には勇者や国の軍隊など遠い存在でしかない。彼らにとって守護者、頼れる相手とはすなわち冒険者ギルドなのだ。
その冒険者ギルドは今、大きな方針転換を迫られている。
切っ掛けは、やはり勇者ロンドの死。対魔軍の要である勇者の不在によって、冒険者ギルドの役割は以前から大きく変化した。
第一の変化は、各地に出現した『門』の破壊という新たなな依頼。本来は勇者の役割でもあるこの依頼は灯や月光の冒険者の手には負えるものではない。結果、ギルドはユウナギのような強大な戦力をすべて門の破壊依頼に投入せざるをえなかった。
もっともそれすらもあくまで依頼という形で各冒険者の自主性を重んじなければならない以上、十全とは言い難い。実際、中央地域の防衛に手いっぱいで辺境領は後回しにせざるをえないのが現状だ。
そうして、もう一つが聖剣を盗んだ大罪人、ラグナ・ガーデンの捕縛。本来なら賞金首の捕縛は通常業務の一環なのだが、一億Gという史上最高額の賞金を前にあらゆる位階の冒険者がこの依頼に殺到した。最終的には所属する冒険者の半数近くがラグナの捕縛にかかりきりになってしまったほどだ。
この二つの変化の結果、冒険者ギルドはその本来の役割をおざなりにせざるをなくなってしまった。すなわち、冒険者ギルドは、その存在理由でもあった辺境領の弱者の庇護を放棄したのだ。
ここ冒険者ギルド東部辺境領支部『東風』においてもそれは変わらない。むしろ、大罪人ラグナの故郷の街となればその傾向はより顕著だった。
「聞いたか。『大罪人』が南部に現れたって噂」
「ああ。東部が本命だって聞いたのにとんだ骨折り損だ。あのシスターも馬鹿みてえな強さだしよぉ」
「レベルを把握する暇もなかった。ちくしょうめ……一億だぞ、それだけあればあいつらの身請けだって……」
「まだあきらめるに早いよ。ここは大罪人の故郷だ。戻ってくることだって十分にありえる」
口の端に昇るのは、大罪人の事ばかり。噂には尾ひれがついて、場合によってはラグナは人間ではなく魔物だとか、実はラグナの目的は国家転覆だとか、人々の間ではまことしやかに囁かれていた。
そんな噂を当のラグナはため息交じりに聞いていた。無意識に手元の酒を煽ろうとして、ジョッキのふちが兜の顎にぶつかった。
「……慣れないな」
ラグナはジョッキを降ろして、唸るように言った。他人の兜はやはり簡単には馴染んでくれない。
『梟の兜』という名のこの兜はシスターから譲られたものだ。できる限り人里を出歩けるようにという心遣いだ。
顔をすっぽりと覆うこの兜にはその見た目以上の隠蔽効果がある。
まず、基本的なステータスとレベルの隠蔽。これそのものは珍しい効果ではないが、自力で隠ぺい系のスキルを使えないラグナには必要不可欠だ。
背中の聖剣と籠手にも効果は及んでいる。ほかの者には何の変哲もない長剣と籠手に見えていた。
そして、重要なのは今のラグナの姿を見たものは、意識的にそう努めない限りはラグナのことを記憶できないということ。書き留めたり、直接顔を見ない限りは印象のない誰かとして忘却してしまうのだ。
最後の効果については、アイテム欄には記載されていない。だが、実際にその効果は発揮されている。そうでなければ冒険者ギルドの酒場で堂々と情報収集などできはしない。
依頼が持ち込まれる都合上、冒険者ギルドの支部にはその地域の情報が集まる。魔物の出現場所や強さ。どんな特性があり、どのようなアイテムを落とすか。当然、魔軍の動向についての情報もここには入ってくる。
少なくとも、ラグナはこの場所をそのように認識していた。
だが、半日の間、こうして酒場の真ん中に居座ってみても聞こえてくるのは自分に関する噂話ばかりだ。
あわよくば魔軍に関する情報をえられないかと考えての行動だったが、今のところは無駄に終わっている。
いい加減やり方を変えるべきか、ラグナの脳裏にそんな考えが浮かぶ。リエルはシスターが面倒を見てくれているが、孤児院もいつまでも安全とは限らない。多少の危険には目をつぶるべきだ。
諍いが始まったのはそんな時だった。
「――だから、支部長を出せって言ってんだよ!」
声の方に視線をやると、そこでは少女と体格のいい冒険者がもめていた。
「支部長はお留守だと言ってるだろう! さっさと帰れ!」
「嘘つけ! さっき上に商売女が上がってくの見たぞ!」
「だから、なんだっていうんだ。支部長閣下がいらっしゃったとしてもお前のような耳付きが会えるわけないだろうが!」
冒険者が怒鳴り返す。胸元には白夜のロザリオが揺れていた。
少女の方は獣人だ。それも、山岳地帯に住まう山猫族。ぴんと立った耳と顔に生えた猫髭。まず間違いない。比較的人間とも親交のある種族で、ラグナも交易に来ているのを何度か見かけたことがあった。
「いいから会わせろってんだ! 族長から頼まれてんだ! ほら、手形もあるぞ!」
「てめらの汚い手形なんか知るか! いいから、帰れ! こんなところで騒がれちゃ迷惑なんだよ!」
「なんでだよ! あんたらはオレたちを助けるためにいるんだろ! ほら、手形とこれ!」
少女がズボンから取り出したのは、石だ。何の変哲もない石を突き付けられて、冒険者は顔をゆがめた。
「ただの石じゃねえか。そんなもんでどうすんのかね」
「石じゃないオレらの宝だ! こいつで報酬は十分だろ! な!」
冒険者はますます見下したような目になるが、少女の尻尾はぴんと立っている。自分の言葉が受け入れられないことなど考えていなかった。
少女にとって石はそれほどの宝だ。ただ稀少でかちがあるというだけではない。村のみんなに託されたという事実こそが彼女にとっては重要だった。
「これだから蛮族は……」
それだけ呟くと、冒険者は無造作に少女を払いのけた。
石が宙を舞う。少女の宝は無残に地面に叩きつけられ、割れてしまう、はずだった。
「――危ないぞ」
ラグナの左手が石を受け止める。そのまま近くで観察するが、やはり、ただの石にしか見えない。詳しく確かめようにも、ラグナは鑑定系のスキルを持ち合わせていなかった。
ラグナは最初、騒動を無視するつもりだった。今厄介ごとに首を突っ込むべきじゃない。それは百も承知だったが、体が自然と動いた。
「ほら、大事なものなんだろ」
「お、おう、ありがとう」
石を少女に返し、ラグナは冒険者と向かい合う。どうせここまで関わったのなら文句の一つも言わねば気が済まなかった。
「話くらいは聞いてやったらどうだ?」
「て、てめえに関係ないだろ!」
ラグナに気圧されて、冒険者がうろたえる。
本人は気付いていないが、身長も高く体格もよいラグナにはただでさえ威圧感がある。そのラグナがフルフェイスの兜をかぶっているのだ。大の男が恐怖を覚える程度の迫力はあった。
「事情があるんだ。それより、この子の話を聞いてやれ。ほら」
男の様子をいぶかしみながら、ラグナは少女にそう促す。
ラグナ自身は冒険者ギルドに好感を持ってはいないが、この組織の存在意義は理解している。少女の願いを聞くには自分よりも冒険者ギルドの方が適任だと認めてさえいた。
「う、うん、実は里が……魔軍に乗っ取られたんだ……」
恥じるように、嘆くように少女が言った。それこそがラグナの探していた情報であり、冒険者ギルドにとってはこの上ない凶報だった。
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