第十七話 シスター
ラグナは街の門を避け、大きく迂回して郊外から街へと入った。
アルゴーの街の属する東部辺境領は、王都から遠く、住民の多くがドワーフや獣人などの亜人種であるために独立志向が強い土地だ。
そのため王国の支配権の及びにくい場所ではあるが、それ以上に冒険者ギルドの影響力が強い。亜人種の作る装備は強力であり、古くから冒険者ギルドはその装備を活用してきた。その代価として彼らは東部辺境領からの依頼を優先的に受注することで軍事力を提供してきた。
両者の関係は蜜月であり、東部辺境領の街には必ず冒険者ギルドの支部が存在している。ラグナのようなお尋ね者が正面から街に入れば、厄介ごとになるのは目に見えていた。
ゆえに、ラグナは盗みでもするような密やかさで故郷に帰らなければならなかった。
三人が目的地にたどり着いたのは日が暮れるころだった。
目的地の教会は文字通り街のはずれにあった。ほかの家からは離れており、石畳の道もここには続いていない。まるで、ここだけが周囲に疎外されているかのようだった。
「……むぅ」
ラグナは教会の扉の前で唸り声をあげる。何度も呼び鈴に手を伸ばしては、そのたびに手を止めてため息を吐いた。
警戒していた追っ手の気配はないが、やはりここに戻るのは躊躇われた。
「そ、その、開けないんですか?」
いつまで経っても扉に手を掛けないラグナに、リエルがしびれを切らす。
ここがラグナにとってどういう場所なのかはリエルも聞かされている。彼女には家に帰るのに何をためらう必要があるのかわからなかった。
「…………そうだな」
リエルの言葉に、ラグナは覚悟を決める。深呼吸をして、
ドアノブに手を掛けた。
「お入りなさい」
そんなラグナの心中を見透かすように、扉の向こうから声が響いた。
リエルはその声に母を思い出す。声そのものは似ていないが、声色や響きに近しいものを感じていた。
ラグナは観念して扉を開けた。
反射的に目をつむる。帰ってきて最初に浴びせられるのは罵倒か叱責だとラグナは考えていた。
だが、彼を待っていたのは予想外のものだった。
なにかの焼ける芳ばしい香りが二人の鼻を突く。ここ二、三日干し肉とパンしか口にしていない二人には酷な匂いだった。
匂いに誘われるようにして、ラグナとリエルは孤児院の奥へと向かう。奥に進むにつれ匂いは強くなった。
匂いの源は教会の中庭にあった。そこでは巨大な鳥が丸ごと火にかけられていた。
ラグナはすぐにその鳥がアルゴー周辺に出現する大怪鳥だと気付いた。大怪鳥のレベルは五十前後、人界に出現する魔物としては高レベルだが、この孤児院の主ならば簡単に射落とすことができる。
その主は、炎の側に腰かけて、鳥を回していた。
主の名は、シスター。シスターと名乗り、僧衣をまとっているものの、聖剣教会には帰依していないという奇妙な女性だった。
「……シスター」
ラグナが声をかけるが、その声はひどく弱弱しいものだった。
五年ぶりの再会、それもここに帰るまでの自分の来歴を思えばどう言葉を発するべきなのか、ラグナにはわからなかった。
「帰ったのなら、まず最初に言うべきことがあると私は教えたはずだが」
そんなラグナにシスターは淡々と言った。炎に照らされてフードの下の顔が明らかになる。
白磁のような肌に翡翠の瞳。五年の年月を経てもラグナの知る彼女の美しさに陰りはなかった。それどころか、ラグナには彼が幼い頃から彼女が歳をとっているようには思えなかった。
「……ごめんなさい?」
「違う。家に帰ってきたのだ、一言めは決まっているだろう」
シスターににらまれてラグナが怯む。
その様子を見てリエルは目の前の女性には逆らうまいと決めた。シスターのことは何一つ知らないが、力関係は明らかだ。
しばらく考えてから、ラグナは慎重に言葉を発した。
「……ただいま?」
ラグナの返答にシスターは「よろしい」と頷く。そのまま彼女はリエル前まで来ると、しゃがんで視線を合わせた。
思わず後ずさりをしてしまうリエル。人間にここまで近づかれるのはラグナ以外では初めてだった。
「初めまして、私の名はシスター。貴方は?」
「り、リエルです」
尋ねられてリエルは反射的に答える。
シスターは優しく手を取ると、リエルの服の泥を払った。
「お腹が空いただろう。さ、こっちへ」
シスターはリエルの腕を引いて、鳥の丸焼きの方へと連れてく。
強引ではあったが、シスターの手つきはひどく優しいものだった。
そんな二人を見て、ラグナの脳裏に過去の記憶が過った。
シスターはいつでも子供たちのことを第一に考える。腹を空かせているとみれば自分の分の食事を譲り、凍えているとみれば自らの衣をまとわせる、そんな人物だ。
だからこそ、ラグナは己の不甲斐なさに歯噛みする。
できることならば誰も巻き込みたくなかった。この孤児院に戻ることなど二度とあるまいとそう覚悟していた。
それがやむを得なかったとはいえ、この孤児院に戻ってきてしまった。
それがどれだけ危険なことかラグナはよく理解している。
冒険者ギルドに、王国騎士団。魔族。ラグナを追うものは枚挙にいとまがない。それらの追手がもしこの孤児院を襲撃したら、そう考えるだけでラグナは己の腹をかっさばいてしまいたくなった。
「なにをしている。突っ立ている暇があるならもう一人を連れてこい」
肉を切り分けながらシスターが言った。
リエルはすでに大きな切り身にかじりついている。恐怖心や戸惑いに食欲が勝っていた。
「もう一人?」
シスターの真意が読めず、聞き返すラグナ。
「もう一人はもう一人だ。お前たちの後ろをついてきたのがいただろう」
「あー……」
ラグナは言われて、ようやくユウナギのことを思い出す。
彼女はアルゴーの街に入っても二人を追跡していた。当然この教会の近くにも来ているはずだ。
「あいつは、その……」
「なんでもよいから、連れてこい。私は誰かを爪はじきにするようなことは好かぬ」
「……わかった」
この孤児院で育ったものであれば、シスターの言葉には差からべから図という不文律は身に染みている。
ラグナは深々とため息を吐くとユウナギを探すことにした。ここにいてもできることはない、であれば体を動かす方がよかった。
「……まったく、手のかかる」
ラグナを見送ってから、シスターが言った。肉の塊を掴むと、豪快に丸かじりにする。
「あ、あの……」
「なんだ? おかわりならいくらでもあるぞ」
「い、いえ、あ、いや、お代わりは欲しいですけど……一つお聞きしたいことが……」
リエルは慎重に言葉を選んだ。
だいぶ警戒心が薄れたとはいえ、リエルにとってシスターは脅威そのものだ。人間であるということもそうだが、あのラグナがかしこまるほどの相手だというのも大きかった。
「どうして、その……私たちが来るとわかったんですか……?」
「ふむ。そんなことか」
リエルの問いに、シスターは拍子抜けしたように微笑んだ。
この大怪鳥の丸焼きはそのおおざっぱさに反比例するように手間のかかる料理だ。
獲物をしとめて、下ごしらえし、焼くことを考えれば一両日かかる。事前に二人が来ることを知らなければ、こうして用意しておくことはできないだろう。
「勘だ。より正確には母の勘というやつだな」
自信満々に言い放つシスターに、リエルは頷くしかなった。
実際、リエルにも似たような経験はあった。いつもより遠出して帰りが遅れたとしても、母はいつもそれに合わせて夕餉を用意していた。人間でも亜人種でも母とはそういうものなのだとリエルは納得した。
しばらくして、ラグナはユウナギを連れて戻ってくる。
しかし、ユウナギは肉を受け取ると再び物陰に身を隠す。レベル120、最高位の星の冒険者が借りてきた猫のような有様だった。
それから、四人は無言で肉を食らった。静かな時間ではあったが、ラグナにとっては久方ぶりの安らぎだった。
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