第十六話 故郷へ
青鱗兵団撃退の報は、冒険者ギルドによって大陸全土に伝えられた。
彼らはすべてをユウナギの手柄として喧伝した。ギルドの誇りたる星の冒険者が勇者の代わりに魔軍を打倒したのだと。
当然、ラグナはその活躍はおろか、存在さえも隠蔽された。
冒険者ユウナギがたった一人でダンジョンを踏破し、門を破壊して魔軍を退けた。それが公的な記録であり、人々の認識だ。
もっとも、これは利己的な政治戦略だけに基づいているわけではない。
門の消失を確認しに派遣された部隊が見つけられたのは大規模な戦闘の跡のみ。肝心のユウナギの姿はなく、その後、三日待っても彼女が報告に現れることがなかった。
ゆえに、冒険者ギルドは状況証拠を最大限活用することを選んだ。真実はどうあれ、魔軍を退けたという実績は強大だ。勇者ロンドの死後、各組織がしのぎを削る情勢ではその強大な実績が必要だった。
結果として、冒険者ギルドは諸王国に対してかなりの優位を確保することができた。青鱗兵団の襲来は冒険者ギルドにとって思いがけない贈り物となったのだ。
そうして、本来の戦いは闇に葬られた。聖剣を盗んだ裏切者が世界を救ったなどという事実は誰にとっても不都合でしかなかった。
真実を知るものは、ラグナ本人とリエル、そして、ユウナギだけだった。
その三人は、一路、東部辺境領アルゴーの街を目指している。その街こそがラグナと、そして、勇者ロンドの故郷だった。
◇
遺跡からアルゴーまでの道行きは比較的穏やかなものだった。
魔軍襲来など遠い出来事かのように、平和な風景が続き、人々もそれぞれの営みに励んでいる。そんな光景はラグナに感慨を抱かせた。少なくともこの日常を守ることが自分にはできたのだ、と。
一方で、それらの日常はリエルにとっては非日常そのものだった。黄金の麦畑も、馬車の轍も、人間たちの群れも、なにもかもが初めて見るものだった。
ラグナとユウナギの戦いの後、彼女はラグナと合流した。戦いの最中は近づくことさえできなかったが、そもそも傷を負っていたラグナの世話をしたのはリエルだ。
選択の余地がなかったとはいえ、彼女はラグナに同行することを選んだ。母の願った通り、外の世界を知るために旅に出たのだ。
それから五日、リエルは人間の世界について多少なりとも知ることができた。
まず人間は街を作る。見上げるような壁に囲まれた大きな集落だ。
遠目に見ることしかできなかったが、石造りの巨大な城壁には足がすくむような威圧感があった。いったいどれだけの人間がこの壁の建設にかかわり、どれだけの時間がかかったのか、リエルには想像することさえ難しかった。
次に人間は石が好きだ。道も石で作るし、建物も石で作る。ダークエルフのように木々の恵みに祈りを捧げたりはしない。代わりに石でできた『教会』に祈りをささげていた。
そして、三つ目は人間は理解不能だということ。リエルには、ともに旅をしているはずのラグナとユウナギが何を考えているのかまるで理解できないでいた。
「……あの……ラグナ……さん」
不愛想な背中に向かって、リエルは慎重に言葉をかけた。
返事はない。ラグナは黙々と歩き続けている。
「ら、ラグナさん!」
気付かれてないのではと思い、リエルは声を張った。村に獲物の毛皮を交換しに行くよりもはるかに勇気が必要だった。
「……なんだ?」
振り返ることなくラグナが答える。リエルは赤面した。ラグナが怒っているのかとも思ったが、すぐにわからなくなった。彼の態度は年を経た大樹のように揺らぐことがない。
「そ、その放っておいていいんでしょうか?」
「……またか」
リエルの問いに、ラグナは首だけ振り返る。視界の端に問題を捉えると、珍しくため息を吐いた。
道端に生えた一本の木、その背後に誰かが身を隠している。といっても、木が細すぎてほとんど隠れることができていなかった。
藍色の着物に腰の刀、特徴的な黒髪。木で遮られていても美しいとわかる立ち姿は、間違いなくユウナギのものだ。
彼女はこうして五日間の間、ラグナとリエルを追跡していた。
「……隠れてるつもり、なんだよな?」
「た、たぶん、そうだと思います」
ユウナギの真意が理解できず、ラグナとリエルは顔を見合わせた。
ユウナギの隠身は秘かに後を追うというにはあまりにもお粗末すぎる。
岩陰に隠れても刀の鞘がはみ出ているし、ステータスの隠蔽もしていないせいで遠くからでも120レベルという数字が見えていた。
そもそも、ユウナギは『侍』だ。侍はあくまで前衛職であり、『忍者』や『暗殺者』のような隠身に関するスキルはない。
つまり、隠れることはできない。にもかかわらず、ユウナギはラグナやリエルから身を隠そうとしていた。
ふいに、ラグナとユウナギの目が合う。その瞬間、ユウナギはすさまじい速度でその場を離れる。すぐに背中が見えなくなった。
「……何がしたいのかわからん」
「わ、わたし、聞いてきましょうか?」
「いや、逃げるだけだ」
ラグナが呆れたように言った。
本人を問いただそうにも、声をかけるどころか、今のように目が合った瞬間に逃げられるのだからそれも不可能だ。しかも、ユウナギの敏捷はラグナの十倍近くある。どれだけ必死に走っても追いつくことはできない。
そのくせ、しばらくすると一定の距離を保って追いかけてくるのだからラグナには頭痛の種だった。
まるで野良犬になつかれたようだ、とラグナは思った。近づいてきはしないが、必ず付いてくる。そのうえ、すげなく追い払うには愛らしいところまでそっくりだ。
「……放っておこう」
少し考えてラグナは結論を出す。
追跡の目的は不明だが、ユウナギほどの実力者がわざわざ隙を伺う必要はない。
一度はラグナが勝利したものの、あれは『星光の籠手』という切り札があったからこその奇跡だ。再び戦えばラグナに勝ち目はない。ほかならぬラグナ本人がそれを一番わかっている。
そんな相手に追跡されているというのは不気味ではあったが、ユウナギの存在が助けになっているのもまた事実だ。
彼女ほどの高レベル帯の冒険者が側にいれば、それだけで低レベルの魔物は逃げていく。おかげでラグナはここ数日安心して眠ることができていた。
再び歩き出す。もうアルゴーの街は見えてきている。このまま進めば、日が暮れる前には目的地に到着することができるだろう。
目的地は、街のはずれにある孤児院。そここそがラグナが幼少期を過ごした、故郷ともいえる場所だった。