第十五話 恋
鋼と鋼のぶつかり合う甲高い音があたりに響いた。
夕凪の手のひらにありえない感触が伝わる。
硬いものに刃が当たる不快さ。切れない、という初めての確信がユウナギの脳裏に過った。
「断絶」の二つ名は伊達ではない。今までユウナギはあらゆるものを一刀両断してきた。
魔物の甲殻の中でも最強の硬度を誇る「千年亀」の甲羅も、外部からは破壊不能とされるミスリルゴーレムの核も、大陸最高峰とされる魔法学院の「多重立体結界」さえも彼女は切り伏せてきた。
もし、ユウナギにも切断、破壊できないものがあるとすれば、それは――、
「――固有装備!」
唖然としてユウナギが声を漏らした。
だが、ラグナはそんなアイテムを有していないはずだ。凡庸なラグナには固有装備をえる機会など一度としてなかった。
そう、ラグナ本人の固有装備はこの世界に存在しない。ラグナ本人のものは。
「付けるだけならオレでもできる」
ラグナの両腕には、星光の籠手が輝いている。破壊不能と謳われるオリハルコンがユウナギの奥義を受け止めていた。
本来、固有装備は所有者本人にしか装備できない。だが、刺客との戦いでラグナが聖剣を振るったようにただ使うことはできる。
各種耐性やステータス上昇の恩恵は得られずとも、オリハルコンの強度、そして固有装備の持つ特性は不変だ。
ゆえに、ユウナギの一撃を受け止めることができた。
距離を取り、転げまわっていたのはただ隙を伺うためだけではない。最初から籠手を拾うために、ラグナは戦いを進めていたのだ。
あえて剣を捨てて、ラグナはユウナギの懐へと飛び込む。
至近距離。刀の振るいようのない間合いに入るのがラグナの狙いだ。
踏み込むと同時に、ラグナは右拳を振りぬく。狙いは顔面、命の取り合いに容赦などない。
それをユウナギは刀を手放してかわす。そのままラグナの懐へと逆にもぐりこんだ。
「はっ!」
かち上げるような掌低打ちがラグナの顎を掠める。体勢の崩れたラグナの腹に鋭い蹴りが叩き込まれた。
ラグナのHPが再び0になる。
例え刀を使わずとも、ユウナギの並外れた攻撃力は健全だ。彼女の一挙手一投足が一撃でラグナを死に至らしめることに違いはない。
再びの死。それでもなおラグナは倒れない。その場に踏みとどまり、もう一度拳を振るう。
ユウナギは怯まず、ラグナの拳を受け止める。そのまま、背負うようにしてラグナを投げた。
背中から地面に叩きつけられて、ラグナのHPが0になる。
だが、三度彼は立ち上がる。ユウナギには刀を拾う暇さえなかった。
何度死を迎えても立ち上がる。それこそがラグナ・ガーデンという人間であり、彼の最大の異常性だった。
そして、ラグナ自身さえ知る由はないが、この異常性こそが勇者ロンドがラグナに誓いを立てさせた最大の理由だ。
定められたシステムをも超える『意志』の力。世界がラグナの死を決定しても、ラグナの精神がそれを受け入れない限り、彼は何度でも立ち上がることができる。
精神と肉体が折れないかぎり、限界をも超えて成長する力。今は忘れ去られたその力をかつてのヴィジォンでは『虫食い』と呼んだ。
「おおおおおおおおお!」
「くっ!!」
ラグナは何度でもユウナギへと組みつく。この機を逃せばもう勝機はない、ラグナはそれを理解していた。
そんなラグナをユウナギは足技で迎え撃つ。頭を狙って右足を振りぬいた。
横合いからの衝撃に、ラグナの足がぐらつく。HPではなく明らかにラグナの身体を狙った一撃だった。
その隙に、ユウナギは刀を拾い上げる。そのまま、流れるようにラグナの喉元を狙った。
とっさにかわしはしたものの、ラグナは一歩引いてしまう。
二歩半の間合い。ユウナギにとっては必殺の距離だ。
ユウナギもまたラグナの異常性を理解し始めている。
HPを0にしても死なないのならば、身体を破壊すればいい。そんな思考の変化がユウナギに起きていた。
虫食いであるラグナとの接触が原因なのか、あるいは彼女自身にその素質があったのか。そのどちらにせよ、ユウナギもまた理から外れつつあった。
それを知ってか知らずか、ユウナギは笑っていた。
踊りだしたくなるような充足感が彼女を満たしている。この戦いはユウナギが初めて経験する命取り合いだった。
しかし、どんな享楽にも終わりはある。
崩れた体勢、隙だらけの一瞬をユウナギは見逃せない。
戦技「一の太刀」。今までよりも早く、より鋭く奥義が振るわれた。
切っ先は雲鷹を超え、神域へと至る。まさしく神をも屠る剣閃がラグナを捉えた。
刀が体を両断する直前、その刹那にも満たない一瞬に、ラグナは覚悟を決めた。
両腕で防御してもおそらく断ち切られる。今のユウナギにはそれができる。
ゆえに、逃げない。今まで盾としてそうしてきたように正面から受け止めるだけだ。
そうして刃が、止まる。神速の一刀はラグナには届かなかった。
「――見事」
ユウナギは思わずそう呟いていた。
目の前で起きた奇跡、己が奥義を阻止したその戦技をユウナギは知っていた。
戦技「白刃取り」。侍の習得する戦技の一つにして、最難関の一つ。その発動条件の難しさと汎用性の低さゆえに、だれも見向きもしなかったその戦技をラグナは無意識のうちに再現していた。
これもまた虫食いのなせる業。戦技を習得していなくとも、ラグナの経験は唯一の活路を知っていた。
挟み込んだ刀をラグナは全力で弾き飛ばす。不意を突かれ、ユウナギは指を放してしまった。
そのままラグナはユウナギを押し倒す。
身体ごとぶつかり、細い体を地面に押し付ける。すばやく解体用のナイフを取り出し、ユウナギの首に当てた。
ユウナギはすぐには動けない。
決着だ。ユウナギのHPは1たりとも減っていないが、このまま首を掻っ切られれば彼女は死ぬ。ユウナギ自身もそれを理解していた。
しかし、いつまで経ってもその瞬間は訪れない。ラグナはナイフを押し当てたまま動かなかった。
「……とどめを刺さぬのですか」
「そうしてほしいのか?」
「はい」
ユウナギは迷いなく頷く。
今の彼女は満たされている。負けはしたものの、この戦いはユウナギにとって最高の出来事だった。この瞬間を終えて、まだ生きていくことなど考えもしなかった。
刃を交えたものとしてラグナにもそれは理解できる。 ラグナとて終わりたくはなかった。
ユウナギとの戦いはラグナにとっても最高の戦いだった。
ユウナギの攻撃はすべてが死そのものだった。それを凌ぐたび、かわすたび、防ぐたび、生きている実感を覚えた。充実というなら、一瞬一瞬が限りなく満たされていたのだ。
それでもラグナは勝たねばならなかった。
戦士としての本望さえ今は捨てていかなければならない。ラグナにとって誓いとはそれほどまでに重いものだ。
「じゃあ、終わりだ」
ラグナはナイフを収め、ゆっくり立ち上がる。呆然とするユウナギに背を向けて、歩き始めた。
「……そうですか」
その背中を、ユウナギは呼び止めたかった。
だが、できない。、ラグナが殺してくれないなら、自ら胸を突く。ユウナギはそう決めていた。
なにかに気づいたように、ラグナが足を止める。深く息を吐くとこう言った。
「……そういえば、オレは勝ったんだよな」
はい、とユウナギが頷く。
「じゃあ、勝者の権限だ。死ぬな」
「なぜ……?」
「まだ借りを返していない。それまでは死なれたら困る、それだけだ」
それだけ言ってラグナは体を引きずりながらその場を後にする。ユウナギが背中を襲うとは考えてもいなかった。
やるべきことはいくらでもある。ユウナギとの戦いを終えても彼の進む道には数え切れぬ苦難が待ち受けていた。
「……ひどいやつ」
遠ざかっていくラグナの背中をユウナギはにらむ。これまで以上の殺意と敵意が沸き上がる。できることならこのまま背中に切りかかってしまいたいとさえ思った。
だが、それ以上に、ユウナギにはラグナの背中が愛おしく思えた。
戦いの高揚がそうさせているのか、あるいは出会った時からそうだったのか、それはユウナギにもわからない。
確かなことは凍っていた彼女の心に熱が宿ったということ。人々が恋と呼ぶその熱をユウナギはようやく知ったのだった。
これにて第一部完結です。次の更新は三日後です。